女傑
豪が伊勢とバー・カウンターで話している同時刻ーーー
「ーーー大丈夫か?」
関係者専用のレストルームから出てきた光に暴は声を掛けた
「うん、大丈夫ーーー今日はもう楽だから・・・」
手を拭きながら光はにっこりと笑う。ホールからは華やかな喧騒が響いてくるが、この場所は二人だけの静かな時間だった
「あの客疲れるだろ・・・適当に帰してアフターは断んな。今日はシャワー浴びてすぐ寝ろ、とっくにお前はNO,1のノルマ以上のモン稼いでんだからよーーー無理はすんな・・・」
「ーーーん・・・別に大丈夫だってば。豪さんは凄く優しいし、すっごく私に気を遣って下さるんだ。無理なんて全然させられないよ。「Poke-danz」でも女の人達にもみくちゃにされそうになったけど、豪さんずっと庇ってくれてた・・・でも、そうだね。今日はアフターはお断りするよ。少し疲れちゃった・・・」
ぽん、と小さな柔らかい髪質の頭に大きな手が置かれる。勤務時間はもう少しだから頑張れ、と
「あの客気をつけろ。金落とすのは結構だが来店が頻繁過ぎる。旨く距離取れよ。この商売は客掴むことも勿論大事だが、その客をどう操作するかの方が大切なことなんだぜ」
「−−−うん・・・ね、暴は今日アフター・・・ある、よねーーー勿論・・・」
言いにくそうに俯きながら光は暴に尋ねた
「−−−ん?」
「あ、あのさ・・・ごはん一緒に食べない?・・・私先に帰って何か作って待ってるから一緒に食べよう・・・よ・・・」
光が住むマンションはここから5分程の距離だ。それは勿論NO,10以内のホスト達限定で用意される高級マンションだった。ネオ新宿一等地に立つマンションの一室を破格の家賃で福利厚生費として給料から引かれる。暴は郊外に家を持っていたが、光が入店してからはそのマンションの一室に住んでいる。同じ階に住む二人は実際何度も互いの部屋を行き来し、食事なども共に摂っていた
「ばっか。アフターはねえよ。これから何か作るなんざお前疲れてるだろ、いいさ。何か食って帰ろうぜーーーお前のメシはすげえ旨いが、それは今度の公休の時にゆっくり食わせてくれな」
くすりと笑って髪をくしゃくしゃにすると、光は顔を上げ嬉しそうに笑った
「−−−じゃ、行くか。すっげお前の客等待ち捲ってるからな。あのド派手男にくっつかれてるお前見せつけられて戦々恐々だぜヘルプ共は・・・まあお前がにっこり笑ってやりゃあ途端に目尻下がるだろーが」
「え?暴は席に戻らないの?」
光の肩を抱きホールに戻ろうとする暴に疑問の声を掛ける
「暫くいいーーーああ、貴子来てるぜ」
「え!?ホント?お邪魔してもいい?サイン欲しくて・・・「胡蝶蘭」の感想も申し上げたいんだ!すっごくよかったよあのお話!泣いちゃったもん・・・」
分かった分かったと笑い二人はホールに戻っていった
「やっと来たか美少年!おらおら散れ散れハゲ共!このアタシを濡れさせるのはこの美少年だけだ!よしココ座れや光!」
ステージを真正面に見ることの出来るテーブルに座る女性客は、暴に伴われて光が姿を見せると今まで侍っていたニ三人のヘルプを踵の非常に高いブーツで蹴り飛ばすように立たせ、来い来いと手招きした
「すみませんね斎社長ーーー「デビル・ズ・エンペラー」が終わったばかりでご来店頂いたのに中々顔出させられなくて」
暴は光を女性客の隣に座らせ、自らも女性客の隣に腰を降ろした。ボーイに酒類の追加の指示を出す
「ん?NO.2!アンタもアタシの席に着くのか!このクラブのトップ二人をアタシが独占してるって状況たまんねーな!濡れるぜ!」
「社長さん今晩は。ごめんなさい遅くなっちゃって・・・」
光が挨拶と謝罪の言葉を向けにっこりと笑うとーーー怒気を現していたその女性の表情は途端に緩んだ
「いい!その表情いいぞ美少年!ざーとらしい男の媚が無い!ベタついた女の媚も無い!完璧なニンフェットだ!全く濡れさせてくれるなあお前は!可愛いぞ!」
ハハハ、と先程までの怒気は何処へやらーーー斎社長。耳の下で切り揃えシャギーを入れた白い金髪、ハード・ミュージックを好む者たち特有の黒を基調とした皮生地で構成されたレア・ジャケット。金の装飾品ーーーカラーコンタクトを入れたキツイ眼差しが印象的な、非常に迫力のある美女だった。ジョニーズ事務所と並ぶ音楽業界最大手の事務所ダイ・レコーズの社長ーーー斎の事務所に所属するヘヴィ・メタル・バンド「H・M・C(Heavy metal city)」は、ここ数日ネオ富士で行われていた最大の音楽イベント「デビル・ズ・エンペラー」で大成功を収め、つい先程までネオ六本木の「Satan in satan」で盛大な打ち上げを行っていたのだった。しかしこの剛毅な女社長は他メンバーが潰れている中呑み足りないと突然店を訪れたのだった
「いやーブッ潰れてるバカ共一応トランクに突っ込んで連れてきたんだが、よく考えりゃあいつらがこんな高級店に入れるわけねえよなー一発で入店拒否だ!あっははアタシのような上品なご婦人以外は入れねえもんなあ光!まあ呑め呑め!ハラ減ってないのか?何でも好きなモン頼めよ!」
何とも剛毅で、ある種キャンサー・G(豪)に似た所がある女傑だった。女性ながら殆ど裸一貫で海外に渡り本場の音楽をその華奢な体に叩き込みーーー当初は在籍アーティストがたった三人だった事務所を、老舗大手ジョニーズ事務所に匹敵する大会社に育て上げた。最もフェイス・イメージを前面に企画するジョニーズ事務所とは違い、この女社長の経営する事務所の在籍アーティストはその音楽性を顕著に押し出し、歌・楽器・音楽性への執着ーーーそれ以外の活動は決してさせなかった。それは他人には決して想像出来ないような苦労をしてきたであろう彼女の信念だった。たった一つでもいいから自分に自信を持てるものを持て、それだけに特化して何でもいいからそこにがむしゃらに突き進めーーーと彼女は荒い言葉で何度も何度も芽が出ない所属アーティストに叩き込んだ。彼女は決してアーティストを放り出さなかった。自身が本当に諦めるまで何度も何度も怒鳴り、時には殴りーーー夢を追い続けさせる。本人が本当に諦めるまで。後悔しない程やり尽くすまでーーーその彼女自身の本来の優しさがーーー業界全体で非常に恐れられている名物社長だが、決して忌避されず強い影響力を保ち続ける彼女の評価に繋がっているのかもしれない。現実に「デビル・ズ・エンペラー」では好敵手ジョニーズ事務所一押しのユニットとの対バンに圧倒的観客の支持を得て勝利したのだった
「ん?どした!アタシみたいな怖いオンナのお相手疲れちゃうか?ビショーネン!」
少々この高級店の雰囲気にはそぐわないかもしれないが、そこはやはり業界最大手の社長だ。本当に場を白けさせるような行動は決して行わない。あくまでもその場のルールに乗っ取って、その場を最大に楽しむのだーーー彼女が入店拒否されることなどあり得ないことだった
「ーーーそんなこと、絶対にありません」
この剛毅な女社長は、仕事の付き合いでこのクラブに来店し当初は場の雰囲気に合った服装や言葉遣いをしていた。しかしーーー適当にホストを侍らせて遊んでいた彼女が光が入店した一年前、指名をしてからーーー今の彼女のような言動や衣服になった
「怖くねーの?美少年?アタシを誰だと思ってんだ?」
斎は光の肩に手を回し、顔を近づけてきたーーー暴は瞬時に身を乗り出そうとするーーー酔っているのだ。しかし光はふ、と手を上げてその行動を穏やかに制し斎の目を見上げた
「斎さんはとっても綺麗で優しい女性です。私大好きですよ。怖いなんて一度も思ったコトありません。斎さんのお話とっても楽しいです」
にこりと笑うその笑顔ーーー光自身が持つ、誰にも真似出来得ない天性の、そのーーー
「この間「アレーモ・アレーム」っていう雑誌で斎さんのインタビュー記事読みました。確か<最近のアーティストについて>っていう記事だったと思います。その中で斎さん、<がむしゃらに突き進んだヤツ以外をアタシは認めない>って仰ってました。それって・・・斎さんががむしゃらに突き進んだからこそ、凄く凄くお辛い思いをされたからこそ言えるお言葉なんだって・・・感じました。他の人にそういう思いは絶対にさせたくないから、中途半端に夢を語るなってことだって・・・思いましたーーー私なんかが生意気に言えることじゃないですけど、もしかしたら間違って解釈してるだけかもしれないけど・・・大好きです、優しい女性・・・一般的な、表面上のものだけじゃなくてーーー本当の厳しさと優しさを持った女性は私好きです」
斎の笑顔が消えたーーー表情は険しいものになる
「・・・そんなコト、アタシ言ったかなーーーちっ・・・記者のヤローがツクリやがったんじゃねえか・・な・・・」
光の肩を離し、斎は酒をぐい、と煽るーーー
「わっ?」
ぐっ、と光の顔が引き寄せられーーー
「キスさせろ美少年。このアタシに向かって生意気に全く・・・憎たらしい位にーーーアナタ、可愛いわね・・・」
頬にキスをされ、慌て捲る光に斎は微笑んだーーー非常に優しい、穏やかな微笑
「アナタは男でも女でもないわね。ジョニーのクソジジイがスカウトしたって聞いたから、ウチの事務所にもスカウトしようと思ってたけど止めたわ。アナタは此処にいなさい。その信じられないほど綺麗で・・・あり得ないほどの素直さを此処で守り続けてーーーずっとそのままでいなさいね・・・」
光自身が持ち得る、他の誰にも持ち続けることが不可能な、その素直で無防備な精神。それ故にーーー如何に世俗に適応させ、硬い殻で覆った筈の自分本来の姿を見破られた。何となしに応えたインタビュー記事のたった数行で
「・・・そろそろ帰るわ。バカガキ共もトランクの中だしね・・・また来るからね。また・・・私の本当の姿を見てねーーー」
手を上げ、ボーイを呼ぶ斎は光の頭を撫でーーーパッと不敵な笑顔を作った
「旨い酒だった!オラさっさと明細持ってけハゲ!アタシのカードはブラック無限大!ジェット機だろーがヘリだろーが何だって買えるんだよ!アッハハハ!」
そうーーー来店時の彼女そのものに戻り勢い良く立ち上がると、慌てて駆けつけてきたボーイの頭を押さえつけ斎はリストへ歩き出した
「ーーーあ、の斎さん・・・待ってーーー」
何が何だか分からず斎を追おうと立ち上がった光にーーー
「来るなNO.1!拉致るぞ!見送りなんてベタベタしたのはアタシは大ッキライなんだ!さっさと次の席行け行け!仕事しろ仕事ーーー!働かざる者食うべからずってなーーー!じゃあなまた来るぜーーー!あーーー濡れたぜ濡れたーーー!」
剛毅に笑い斎は多数の客に紛れて見えなくなっていったーーー光は無言を保っていた暴を振り返るが、彼は静かに一つーーー首を振っただけだった
斎は確かに濡れていたーーーその白い頬に流れた一筋の泪によって
斎社長の設定は白泉社「デトロイト・メタル・シティ」若杉公徳先生の作品を参考に致しました(追記が遅れて申し訳ありませんでした)