沈滞と刺激
この創作は実際の土地や人物の名称とは全く関係がありません
ホストクラブ「Yamato-nadeshiko」一番の華やぎを見せる団体席ーーーキャンサー・Gのテーブル
「豪さんお久しぶりです。「Poke-danz」の開店おめでとうございました。お祝いに伺いたかったんですが・・・」
「あー!翔君?うっわ相変わらず美形だねー!さんざ女の子泣かしてるんでしょ!君はそのキレーな顔と正反対の酷いオトコだからねー!」
グレイシィら美女を侍らせ、その肩や胸に腕を絡ませながら、キャンサー・G=豪はテーブルに声を掛けてきた翔に陽気に答えた
「それは酷いですよ。僕は女性を騙したことなんて一度もありませんよ」
苦笑しながら翔は美女達の間に座る。周囲の美女達は絵のように端正な美形ホストに色めき立つ
「はっはは・・・女から望ませるようにしちゃってんでしょ?おう皆!この美形は酷いオトコだぜ?一旦目つけられたらーーにされちゃうからな!気をつけろよー!」
美女達は一斉に笑い、翔も笑う。ーーってなんですか?と
「まあまあナイショにしといてあげよっかなー。あ、ところでさ君ジョニー社長に事務所入れって言われたんだってねえ!あの社長もスキモノだから気をつけなよー!」
チョコレート・ケーキを意外な程の器用な手つきで包み直しながら、豪は翔に話題を振る
「ああ、あれですか?お断りしましたよー。僕人前で歌ったり踊ったりなんてアガリ症ですから無理ですし」
「モッタイないヨー!ジョニー北河社長に売り出されタラ芸能人ダヨ!アイドルだヨー」
イエローの耳の衣装を着けた美女が、翔に酒を勧めながら腕を絡ませてくる
「いえいえ・・・僕なんかに勿体無い程のお申し出でしたけど、オーナー判断にお任せしまして丁重にお断りして頂きましたよ」
「いいじゃねえか、小娘相手のアイドルになっちまえよ美形くん」
背後から低い声が翔の耳に届く。黒男だった
「キャンサー・G。いつもお世話になってます。本日はご開店おめでとうございます」
「出たな〜?この大食漢が。ウチの女共殆ど食べちゃってどんだけフードファイターなの君はー!」
豪は黒男をからかうように声を掛け、席を作るように美女達に手を振る
「勘弁して下さいよ。俺はそーいう男じゃないッスよ」
「あのねえ黒男・・・もう少し言葉遣い改めなよ。女性客にはそれで売ってるかもしれないけど、豪さんに失礼だと思わないの?」
対面に座る翔が鋭い視線を向けてきてそう注意を促す。先程の軽口に対する反撃なのか。黒男は鼻で笑う
「まあまあ、相変わらず仲悪いね君等。楽しく行こうぜ!ホラホラ皆じゃんじゃんボトル空けろや!」
クックッと笑いを堪えられないように火花を散らす二人のホストを嗜めると、ピンクドンペリのボトルを掴みそれをそのまま飲み干した。その豪快な呑みっぷりに美女等が歓声を上げ、二人も酒を一気に飲み干した。場は益々華やかになって行く
「あーねえ・・・君等もなんつーかさあ、決まった子作んなよ。手当たり次第に食いまくってないでさ。ホストだからまあ難しいだろっけど、それ一人いるだけでまた変わってくるもんだぜ?体の中心に一本ぶっとい線が入るっつうかなー。それでまたオトコっ振りも上がるってモンだぜー」
豪は空いたボトルを放り、新しいワインを空けながら二人に話しかける
「耳痛いですー・・・中々そういう子いないんですよねー」
翔がちょっかいを出してくる美女の頬にキスをしながらそう応える
「その言い方ってことは・・・豪さんには居るんスか?結婚したっつー噂は聞かないッスけど?」
膝の上に二人の美女を乗せて黒男はからかい半分にそう質問する
「結婚?そんなの俺がするわけないでしょ!−−−あ〜でも俺にはいるよ!もう可愛くて可愛くて堪んねェね!その子に嫌われたら豪ちゃん生きて行けないかもしんない!ちょっと不安そうな表情されただけですげえビクビクしてんもん俺!その代わり笑ってくれなんかしたらもう幸せで幸せでもっと堪んねえなーーー!」
「ボス!そんな子いつの間ニ?!お店の子?酷いヨー!グレイシィ達はみーんなボスのことアイシテルのにーーー!」
グレイシィが豪の腕を絡めながら笑い問い詰める。豪はハハハと笑いながらワインをまた一気に煽った
「何でも思い通りになる女だけじゃなくてよ・・・どうしたら笑ってくれんのかーーーそれだけを考える相手、見つけろやガキ共」
ふと低い声になる豪の雰囲気にーーー翔と黒男は一種違和感を感じた
「ーーーご歓談中失礼致しますキャンサー・G様。伊勢教授が御来店されました。バー・カウンターでお待ちでございます」
ボーイが話のタイミングを見計らって、ソファの背後から身を屈め言葉を掛けた
「−−−あ!やっと来てくれたの?!ネオ成田から直行だってお約束だったんだ。結構早かったなあ・・・」
絡みつく美女の腕を優しく外し、豪は立ち上がった。彼の来店は勿論NO.1との同伴でもあったが、もう一つの目的もあった。それはバー・カウンターで待つ人物とのアポイントメント
「じゃ、豪ちゃんちょっと行ってきまーす。君等は好きにしていーよ。ここで女達と好きなモン頼んで自分のポイントにしてもいーし、自分の席戻ってもいーしーーーその代わりって言っちゃあ何だけど、俺の指名の光ちゃん苛めたら許さねえよ!」
あはは、と陽気に店奥に設置されているバー・カウンターに歩いていく豪の後姿を見ながら、翔と黒男は顔を見合わせた
「なんつーか・・・ほんっと豪快なヒトだよな・・・伊勢教授とあのヒトが何の話があんだァ?全く正反対じゃねえか・・・」
黒男は美女が突き出してきたメロンやらチーズやらを口に放り込みながら怪訝な表情だ
「何か意外だよね。あのヒトにそんな執着する女性なんているのかなあ?・・・って僕らお説教喰らったみたいだね。そんなコト言われてもこの状況じゃあねえ・・・」
美女達のキス攻めに少々の苦笑を漏らしながら翔は溜息をついた
「ーーーそーいや・・・オーナー、事務所にいねえのか?もうこんな時間だぜ?いつもならとっくに店中歩き回って客等に挨拶してんのにな?どうしたんだかなーーー」
クラブ内の喧騒に二人の会話は飲み込まれるーーーこれからだ。これからこの華やかな社交場は最高の盛り上がりを見せ始める。それがこれから始まるーーー
「お待たせして申し訳ありませんね、教授」
店の最奥ーーーカウンター内に初老のバーテンダー。カウンターに座っているのは男が一人ーーー。喧騒を続けるホールとは正反対の、テイク・ファイブが低く流れる静寂の別世界だった
「4分26秒の遅刻をしたのは私の方です。申し訳ありません」
カウンターに座っているスーツの男ーーー教授と呼ばれるには余りにも若い。30をいっているのかも曖昧な程の美青年だった。ツーポイント(縁無し)の眼鏡を掛け、額を出した女性のような細い栗色の髪と非常に知的な容姿ーーーネオ東京大学名誉教授・伊勢政治だった
「そんなの遅刻に入りませんって。海外の学会から帰国したばかりを無理にお呼び立てしたのはこちらの方なんですから、幾らでもお待ちしますや」
豪は伊勢の隣に座ると、バーテンダーに飲み物の注文をした
「教授は?何も呑んでらっしゃないじゃないですか。何呑みます?それとも何か軽く食いますか?結構旨いですよ」
このクラブはかなりしっかりとした食事も可能だ。厨房にはダルジャンやマキシムなど一流料理店から引き抜いてきた正規の免許を持つシェフも数十人は控えている。ネオ銀座の小さなクラブなどのようにボーイが手近な料理屋からラップで覆った料理を運ぶなど有り得ない
「結構です。私は明日大学での講義がありますからその論文もまとめたいし、アルコールを入れる訳には参りません」
伊勢はそう何の感情も窺い知れない様な口調で軽く手を上げる。豪は軽く笑ってバーテンダーに視線を送ると、彼は心得ているのかノンアルコールの飲み物を手早く作り、伊勢の前に置く。豪にはギムレットを無言で差し出した
「トムズ・バーでも良かったんですが、今日俺ァちょっとこのクラブに来なきゃいけねえ大切な用事がありましてね・・・じゃ、さっさと話終わらせてご研究の世界にお帰ししなきゃいけませんや」
「そうして下さい。私はこのような場は余り好みません」
伊勢はこの国最高学府の名誉教授という肩書きを持つ知識階級であり、ある意味その世界以外を知らない、生き方そのものが研究者であった。その身に溢れる知的な雰囲気はーーー例えば貴子のような都会的に洗練されたものとは少々違い、全く知識を探求することに全てを掛けるアカデミックな知的さだ。確かに彼にはホストクラブのような世俗に塗れた社交場は相応しくないだろう
「だが、このクラブに出入りするようになったからこそ、アンタはそのお得意の経済論に現実性が増し、最高の論文を書き上げスゲエ賞を掴み取りーーーそのトシで名誉教授なんつー肩書きを手に入れたんだろが?教授?」
豪は伊勢の端正な顔を覗き込むように笑った。伊勢は少々乱暴な言葉にも全く無表情を崩さず飲み物を一口飲んだ
「ーーー経済学はどうしても机上の論理になりがちです。いやそれこそが理想論を掲げる本質なのかもしれませんーーー確かに私はこのクラブで貴方や夜の世界に身を置くプロの方々と親交を深め、それをある意味研究の因数とした。理想論では無い・・・本当に現実に・・・リアリズム徹した研究こそが私のライフワークーーーいや、それは厳密には経済学とは言えないのかもしれない・・・それは最早ーーー」
アカデミックな人間は一種独特の雰囲気がある。何とも難解に自分自身に自問自答を常に続ける研究世界に入り込んでいる。豪は一つ溜息を付くが気にせず話を続けた
「・・・で、来期の国会で法律がまた強化されるっつーのはマジでしょうかね?」
「ーーーえ・・・ああ、そうです。政党公約の一つとしても、マスコミ等でさんざん取り上げられている飲食業(ホストクラブやキャバクラなどは正確には飲食業に入ります。風俗営業法は性的サービスを金銭の代価を通して営業する店に適応されます。かなり細かく分類されてます)に対しての締め付けは益々強くなりますーーー全く・・・経済というものは人と人が競争するからこそ発展し理想に近づいていくものだというのに・・・この国の夜の世界のサービスは他国から見れば類を見ない程多様化し非常にレベルが高い。それがマクロな意味で経済全体の牽引の下敷きになるという事が全く分かっていない!だからこそ私は貴方のような真のプロとお付き合いしーーー」
熱い演説的な口調になってきた伊勢を豪は見る。まあーーー悪い男では無いのだ。この国の動向を、未来を真剣に考えその専門的立場から全体を見通しそれに発奮する。非常に真面目で、彼の本質は熱い男なのだ。その冷静で知的な雰囲気とは正反対に。彼の論文は勿論豪は目を通している。彼のようなアカデックな人間と話すにはこちらにも相応の知識が必要だ。一度自分達の世界に分不相応と判断されれば、このようなアカデミックな世界に身を置く人間は決して心を開かない。本音は言わない。冷たく何の感情も無く下界のイキモノと判断されてオワリーーー彼の論文はクールで整然とした文章であったが、その内容は非常にこの国全体の事を考え、その打開策を見つけようとしていることが分かる、熱いものだった
「・・・どうも。さて俺らはどうすりゃいいんですかね?その助言をお聞きしようと、お忙しい中お呼び立てしたんですよ・・・」
熱い演説を振っていた伊勢がぴたり、と止まりーーー不思議そうに豪を見た
「−−−え・・・ああ、貴方は完璧ですよ?ネオ池袋に大規模店をオープンさせたと伺ってます。何とも競争原理に徹した素晴らしい店です。この国を代表する繁華街の一つ、ネオ池袋は暫く問題ありませんーーー問題はこの「Yamato−nadshiko」です」
何を言っているんだ?というような表情で豪を見た後、片手を額にあて溜息をつく伊勢を豪も不思議そうに見た
「−−−どういう意味ですかね?この店は路線変更しても、完璧な盛況振りじゃないですか・・・寧ろ以前よりーーー」
確かに一年前、NO,1は入れ替わった。しかしそれは決して間違った方向ではない。時代に合わせた柔軟な経営方針の転換は、経済学見地からいっても何の問題も無い筈だ。寧ろ正しいことだーーー結果は見ての通り。クラブは連日の満員御礼。周囲の店もそれに牽引されて華やかに、益々の発展。トラブル等もリーダー格の店が目を光らせ秩序は回復しーーー
「・・・Stability gives birth to stagnation, and stagnation accelerates the decline・・・」
伊勢はそうーーー小さく呟いた。一瞬の言葉を聞き取れず、豪は耳をそばだてた
「この店は余りにも安定し過ぎている。貴方が指名しているあのNO,1の少女のようなホストーーー彼は危険だ。余りにも穏やか過ぎる。彼の存在は以前のこの店の全てを根本的に変化させてしまったーーー刺激が必要だ。この状況を打破する強烈な刺激がーーーそれを行わない限りこの店に未来は無い、ネオ新宿の夜の業界・・・強いてはこの国全体の経済動向にも暗雲が立ち込めるでしょうーーー」
そう自問自答するように呟きーーー伊勢は懐中時計を取り出した
「貴方とのお約束の時間は終了しましたので、私は研究の世界に還らせて頂きますーーーそれでは、また」
伊勢はカウンターの上に何枚かの札を置き、そう退出の挨拶をして席を立ち、バーの側面にある出口から颯爽と出て行ってしまったーーー
「・・・Stability gives birth to stagnation・・・ーーー?」
初めからそこにいなかったかのように、伊勢が出て行ってしまったカウンター・バーで豪は呟く。微かなジョージア・オン・マイ・マインドの音色と、バーテンダーのグラスを拭く乾いた音
「・・・安定は停滞を生み、停滞は衰退を加速するーーーだと?」
その時、ホールに一層大きな歓声が上がったーーーホストクラブ「Yamato−nadeshiko」のオーナーがステージに現れたのだった