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優しい傷

この創作は実際の土地や人物の名称とは全く関係がありません

週末のクラブ内は満員御礼、様々な喧騒と音楽と光り続けるホストや客達ーーー

「弥〜子ちゃん♪おまたせ!」

「きゃっ?」

ステージに近いテーブルに、カルーアミルクを白い手に遊ばせながら一人ぽつんと座っていた女性客の顔を後ろから手で目隠しをするように、翔は声を掛けた

「ああ・・・びっくりしました。翔さんこんばんは」

「もーなんでいつもヘルプ断るの?他の店みたいに怖いヤツなんていないでしょこのクラブは・・・勿論僕がそんなこと絶対にさせないけどね弥子ちゃんに」

弥子と呼ばれた女性ーーー柔らかそうな肩までのストレートの髪、非常に華奢な肢体に淡いピンクの清楚なスーツを身にまとっているがその年齢はかなり若いだろう。その可愛らしい容姿には一種あどけなさが残っている。大人の社交場であるクラブ内の雰囲気に少々気後れを持っているのだろうか。頬を少々赤らめながらこくんと一つ頷く

「だって・・・他の男の人と何をお話していいか分からないし・・・」

隣に座った翔の笑顔を見上げながら申し訳無さそうにそう呟く

「お話するのは僕らなんだから、弥子ちゃんはそんなに気を遣わなくていいんだよ?もーホントに君は可愛いね」

ドリンクとフルーツの追加をボーイに指示し、翔は弥子の手を取った

「どしたの?この指の傷・・・」

余りにも自然な流れで手を取られ、それを振りほどこうなどと思わせない笑顔で質問してくる

「あ、ちょっと猫ちゃんにひっかかれちゃってーーー」

弥子という女性客は、かなりの資産家の令嬢だった。勿論仕事などする必要は無い。だがその素直な性格と博愛精神で父親が多額の寄付をしている動物愛護団体の役員をしているのだった。彼女の動物好きは生来のものだろう。ペットショップなどで売れ残った動物達を安楽死させるーーー哀しい行為、血統書付きの動物を歪んだ交配をさせ売りさばくブローカーやブリーダー、それらを撲滅させる為の運動なども精力的にこなしているようだったーーー可憐な外見に似合わず、正義感の強い芯のしっかりした女性だった

「弥子ちゃんの優しい所は僕大好きだけどさ・・・弥子ちゃんの綺麗な手に傷つけるようなコトは僕ヤだなーーー僕ちょっと怒ってるかも?」

「えっ・・ご、ごめんなさい・・・」

弥子は傷を隠すように手を握り、下を向く。全くこのような純情な女性がいかに高級な会員制とはいえ、ホストクラブに出入りするようになったのは、半年ほど前に彼女の父親が連れて来てからだった。愛護団体の仕事や撲滅運動などに身が入りすぎる真面目な娘を心配し、男友達もいないーーー最も彼女の周囲には恋心を抱く男性が多数いたがーーーその娘を一種男性に慣れさせる為に、このクラブのオーナーと経済的な面で知り合いであった父親が少々無理に連れてきたのだ。このクラブの選び抜かれたホストならば、くだらない男は全くいない。その全幅の信頼からオーナーは翔に弥子の相手をするように命じた。彼の容姿は女性に近く、優し気で若い女性の扱いは手馴れたものだ。黒男などの男性的なホストでは弥子は一目見た瞬間怯えてしまうであろうーーー

「違うよ弥子ちゃん・・・僕が怒ってんのは弥子ちゃんにじゃなくて、その猫ちゃんに嫉妬しちゃってる僕自身にだよーーー分かる?」

初来店で翔の優し気で明るい雰囲気に安心感を持ったのか、それ以来彼女は一定間隔にこのクラブを一人で訪れるようになった。勿論父親も了承しているし、嫁入り前の大切な娘に妙な傷をつけないこともオーナーから翔は命じられている。それでもヘルプなどはつけない。あくまでも彼が来るまで彼女は一人で大人しく待っているのだ

「どういう・・・意味ですか?」

きょとんとした大きな瞳で翔を見る弥子の手ーーー微かな傷が付いている細い指を、翔は自らの唇にあてた

「猫ちゃんはさ、弥子ちゃんのこと大好きで甘えて引っかいたんじゃないかなあ?僕もその猫ちゃんみたいに弥子ちゃんに優しい傷つけたいな、って思っちゃったからだよ」

翔の柔らかい唇の感触にびくりと身を竦ませた弥子であったがーーーそのままじっとしていた

「イヤかな?」

真っ赤になった耳元に唇を近づけて翔は囁くーーーいつもの軽い口調でなく、正反対の低い声ーーー

「あ・・・あの・・・」

瞳をぎゅっと閉じて硬直する弥子をじっと見詰めーーーいきなり翔はあははと笑い出した

「あはは!かーわいい!耳まで真っ赤だよ?」

ふっと身を離し、ケラケラと笑う翔に弥子は唖然とし

「かっ・・・からかわないで下さい!」

恐怖よりもーーー少々の期待を裏切られた女性本来の感情がその可愛らしく怒ったような口調に現れていた。勿論それを見逃す翔ではない

「僕弥子ちゃんをからかおうなんて思わないよ。ただ、ね・・・弥子ちゃんがそう望むならーーー俺はいつまでも待っているよ・・・」

再度低い声が、真剣な眼差しが向けられる。「俺」と言った翔は、常時の女性的な優しい雰囲気は消え去り、冷たい男性的な雰囲気を強く放っていた

「−−−翔さん・・・」

頬を染める可憐な女性は握られた手に伝わる熱い感触を噛み締めるように瞳を潤ませていた




「いらっしゃいまーーーえっ?劉先生・・・?!」

新しい女性客の来店に一斉に歓迎の声を上げようとしたスキンヘッド達が驚いたような声を上げた

「あ、あのーーー本日ご来店のご連絡を頂いておりましたでしょうか・・・?」

慌て、ボーイ達は胸のメモを必死に捲る。この店は予約制ではないが、殆どのホストが指名が重なることは無論ーーー劉先生、と呼ばれた女性はNO.2ボウの一番の太客であり、来店の際は必ず数日前に連絡をする几帳面な女性だった。それは無論指名ホストの予定を合わせる為でもあるがーーー

「あらーーー迷惑かしら?なら帰るわ。タクシーを呼んで頂戴」

地味ではあるが仕立ての良いパンツスーツ、短く刈り込んだスタイリッシュな黒髪。派手さを押さえた薄化粧ーーーしかしその容姿は上品で知的な雰囲気に満ち満ちていた。スッと伸びた鼻筋、切れ長の鋭い瞳を、安易な流行とは正反対の高級な眼鏡で際立たせ、その眼鏡を先細りの指で軽く押さえるとーーーくるりと優雅に身を翻した

「どーも。1メーターキス一回な」

引き止めようと慌てるボーイ達の頭上に低い笑気を含んだ声が響きーーー身を翻した女性客の目の前に金髪の男がぬっと立っていた

「三回に値上げすっか?ベストセラー作家の劉丁一先生?」

「タクシーが値上げしたからって、貴方まで値上げする気?ボウ

そうふっと微笑を漏らすと、先生と呼ばれた女性客は形良く整えられた爪をーーー男の雰囲気を高める為の不精髭の生えた顎に添え屈ませーーーベージュのルージュが塗られた唇をフレンチに触れさせた

「・・・お客様?目的地に着いたみてえだがどうします?」

「そうねーーー私の席まで運んでくれる?」

唇を離しーーー唖然とするボーイ達に一瞥くれ、微笑んだ女性客は金髪のホストに細い腰を抱かれながらテーブルに歩み出した




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