太陽と月
実在の人物や実際の地名等とは一切関係がありません
ホストクラブ「Yamato-nadeshiko」閉店時刻ーーー
ホストクラブ「Yamato−nadeshiko」の多数の華で飾られた豪華な出口前は、多くの女性客、それを見送るホスト達、アフターに消えていく客とホスト、呼ばれ、また出待ちの多数のタクシーなどで混乱に近いものだった。タクシーの運転手達もこの不況下では客を確実に拾えるこの店の前は狙い目であり、タクシーの縄張り意識も強いこのネオ新宿で、この店の専属にでもなれれば安定した収入を得ることが出来る。多数のタクシーに客が消えていく喧騒の中、一台のブラック・シーマが弥子の前に止まった
「弥子ちゃん、じゃあ気をつけて帰るんだよ。まあ君ん家の運転手さんの運転は全然心配してないけどね」
翔は後部ドアを開け、少々の眠気を表している弥子を車中に促したがーーー弥子は何故か中々入ろうとしなかった
「・・・あの・・・来週会合があるんです。私が役員をしている団体の・・・私皆様の前でお話することになってしまってーーー」
店ではそのような話題は一切出なかった。弥子は縋るような視線で翔を見上げるーーー運転手は翔が扉を開けた為か車中から降りては来ていない
「えーそうなの?!すっごいじゃん!!でも弥子ちゃん恥ずかしがりやさんだから心配だなあー」
翔はにこにこと弥子の手を取り、頑張って!と掌に軽く接吻した
「−−−そ、うなんです・・・今から緊張してて・・・だから、だからあのーーー翔さんが見てて下さればきっと上手に出来るかなってーーー私・・・ごめんなさい・・・」
掌に感じる柔らかい唇の感触ーーー離さないで欲しいという、視線
「うん!勿論!ケーキとお花持って応援に行くよ!弥〜子ちゃ〜ん?僕が見ててあげるんだから、失敗しちゃったらおしおきしちゃおっかな♪」
ふざけたように明るく、もう一度車中に促す。雪がちらつく外の冷気は可憐な女性には厳しすぎるだろうと
「・・・あ、ありがとうございますーーー頑張ります、私」
弥子が翔の胸を両手で弱弱しい力で掴んできた。そしてその小さな顔を屈んだ翔の耳に寄せるーーーそのような行為をする女性では無い。ある種お目付け役でもある運転手には決して聴こえないようにする為のーーー行為。震える唇が開いた
「ーーーその、後・・・一緒に・・・」
聞き逃してしまうかのような、小さな儚い声だった。だがその言葉は純情な弥子にとっては精一杯の勇気と覚悟を持って表した感情、伝えたかった恋情
「優しい傷、つけて欲しいのか?弥子」
再度ーーー低く男性的な声が、真っ赤に染まった弥子の耳に吹き込まれた
「・・・はい・・・」
「じゃね!楽しかった!アフターでもう少し呑みたいけど・・」
華火は黒男に抱きつき、どう?という瞳を向ける
「公演までオトコは我慢しとけ華火、稽古場に酒の匂いなんざ入れるような役者最低だろが?ーーー大成功すんだろなお前の舞台。今のお前見てりゃ分かるぜ・・・オラ、風邪引くぞ。役者が公演前に体調崩したらどーすんだ?ちゃんとファつけろっつの」
笑いながら強く抱きついてくる華火の首回りのファを巻き直す
「そーいう意外に優しいトコなんかタマんないのよ!もう!何よ公演終わるまでアタシを放っておく気なの!?」
するとーーー黒男は長い黒髪を乱暴に掴み細い腰を引き寄せーーー深く唇を重ねた
「ーーーん・・・ちょ、っとーーー皆、見てるーーーでしょ・・・」
周囲には多数の客やホストで溢れている。実際見送り時にキスや抱擁を繰り返すのは不思議な事では無い。しかしーーー華火のハイヒールが地から離れ浮きーーー非常に深く長く重ねられた接吻は周囲の注目を集めた
「今はコレで我慢しとけ。公演が終わったらご褒美にたっぷり可愛がってやる」
唇を外し、腕の中の体を地に降ろしーーー至近距離で黒男はからかうように言った
「−−−ばっ・・・」
悔しげに手を上げた華火だったが、その手はゆっくりと下ろされる
「それまで他の男なんざと遊ばねえ方がいいぜ・・・?我慢すればする程ーーータマらねえだろ?」
その何ともーーー卑猥な低い言葉に華火はバッと顔を背け足早にタクシーに向かった
「じゃあな華火!公演バッチリキメたれや!チケット送れよ?俺はその後の公演バッチリキメてやっかんなーーー!」
ハハハ、と笑いながら、気の強い女性が自分の表情を見られたくなくてタクシーに逃げ込む姿にもう一度揺さぶりを掛けーーー黒男は離れていくタクシーに向かって手を振った
「オーナー、お疲れ様でした」
未だ店の出口は喧騒に包まれているが、翔は足早に店内に戻り店奥のバー・カウンターに向かった。そこには予想通りオーナーが居た。彼は終礼前にここで必ず一杯飲んでいる。カウンター内には小千が居た。シェイカーを振ってカクテルを作っている
「おう、おつかれ。どうしたアフター行かねえのか。お嬢様はちゃんとパパんトコ帰したろーが、他の客いるだろ」
翔は軽く会釈をしーーー予想通りにオーナーの隣に座る黒い美少年に視線を向けた
「他のお客様はお帰りになって頂きました。今はアフターをする気分じゃありません」
黒いスーツを身に纏い、目の前に差し出されたギムレットに手もつけず身動きもしない、彼ーーー本当に動くのだろうか?声を出すのだろうか?あの血の様な瞳は果たして人間の瞳か?ーーーカラーコンタクトなどには全く見えない
「お前の気分なんか知るか。とっとと仕事しろ。NO,10以内が終礼に出るつもりか?ウチで枕しなくていいのはNO.1だけだ」
「お疲れ様ッス・・・」
いつの間にか翔に背後に黒男が立っていた。彼もまた華火を見送った後、他の客の見送りをこなしーーーバー・カウンターに来たのだ。目的は翔と同じ。その細身の後姿を見て予想範囲内の翔の行動に、彼もまた自分と同じ感情からここに来たのだと確信する
「お前もかよ・・・おいガキ共、俺の方針に従えないっつーならいつでもいいぞ辞めろ。客なんざ幾らでも連れてっていーぜ。好きにしろ」
何とも陰気で、冷たい言葉を吐くオーナーだった。そのふざけた服装とは裏腹に何の感情も持たないような乾いた雰囲気を持つーーー
「−−−申し訳ありませんオーナー。お聞きしたいことがあるんです」
翔が意を決したように口を開いた。ここまで地位を築いた最高の店を辞めるなど考えられないことだ。逆らうつもりはない、とその穏やかな笑顔に込める
「俺もッス、オーナー・・・さっきのステージなんスか?その、ガキーーー何なんス?」
黒男も会釈をしながらオーナーの隣に座る微動だにしない人形に視線を向ける
「−−−ん?この子か?」
オーナーは二人の男が凝視している美少年の肩に手を置くーーーピクリ、と人形が動いた
「月弥さん。本日契約。来週末に店に出すーーー今日は顔見世と店の雰囲気に慣れさせてやろーって思ってなあ」
その黒髪に野太い指を絡めーーー意外な程の優しげな声でオーナーは小さな顔を覗き込んだ
「触るな」
喋ったーーー変声期が来ていないと思わせるほどの、非常に高い少女のような声
「どうだキレーだろ?」
人形にしか見えない彼が言葉を発したーーー二人の男は目を見開いたように凝視していたが
「ーーーす、すげえ美少年ッスね。勿体無いんじゃねえスかそのやたらキレーなオンナみてえな黒髪切っちまうのは・・」
黒男は取り繕うように、軽口を叩く。認めたくない、気付かれたくないーーー自分が人形に見惚れていることを
「いーや?こいつはNO,10からだ。髪は切らせない」
オーナーは当たり前のようにそう言い放ったが、驚いたのは二人だ
「ーーー君、どこの店にいたの?君みたいな美形なら業界で噂になる筈だけど知らないなあ・・・余程お客様持ってるんだね?」
翔は人懐こい笑顔を浮かべ、社交的に美少年に話しかけるが、彼は翔を見ることもせずギムレットを一口に飲み込んだ
「いーや?こいつは業界未経験。だから今日店を見せてやってたんだ」
ーーー?どういうことだ?二人は他店から多数の客を連れてこの店に入店した為、髪は切らずにいることを許された。既存客への営業に関わる為であり、それは店側も認めている。勿論その月内に順位を順調に上げ、今の地位を築いている。だがこの美少年は未経験者というのだ。勿論客もいないであろうし、規律を徹底させることには異常な程の執着を持つオーナーが、彼に至ってはそれを曲げるというのだーーーいや、もう一つ特例はあった。現在のNO.1が入店した時も同じような扱いだった。しかしそれは当時のNO.1である非常に影響力を持つ男が後ろ盾についたからであった筈。この美少年にもそのような後ろ盾がいるというのか
「ーーーへえ・・・そういうことかよ・・・お前よっぽどオーナーに気に入られてんだなァ?」
黒男は会得したように美少年の隣に座るーーーそういう、ことかと。男性社会ではままある、行為。
「先輩に挨拶位出来ねえのか?この世界は礼儀と客好みの笑顔を作ることが一番だぜ?お前笑えるのかよ?」
あからさまに向ける敵意ーーー黒男は認めたくないのだ。しかし一種侮辱的な言葉を掛けられても、冷たい無表情は微動だにせず黒男を見ることも無かった
「聞いてんのかよテメエ!」
そのスーツの胸倉を黒男は掴みあげた。その乱暴な行動を翔は止めさせようとオーナーを見るが、彼は薄い微笑を浮かべているだけーーーこの世界にはホスト同士の暴力沙汰などは当たり前だ、完全な男性社会なのであるからーーーしかし余りに相手は華奢で歳若い少年だーーーったが
「離せ」
黒男の大柄な体がビクン、と跳ねたーーー少年の紅い瞳が凄まじいほどの鋭さを持って睨みつけて来たからだったーーー射竦められている
「NO.4だったかお前・・・?フン、つまらない男だな。たった一人で寂しくて寂しくて仕方なくて手当たり次第に女抱いて、抱いた後結局一人ってコト気付いて虚しく彷徨ってるだけーーー必死こいて取り繕ってる荒々しい行動も虚しい自分を隠す為だけだろうがーーー中身の無い、からっぽの男だお前」
黒男はその高い声で発せられる言葉一つ一つに、サングラスを外されたような気がした。全てを暴かれたような気がした。余りにも的確にーーー自分自身すら気付いていなかった本心を全て見透かされたようなーーー彼は決してオーナーのお手つきのようなモノでは無い、そうじゃないーーー
「ま、あまあ止めなよ黒男!君もホラ・・・ホスト同士の諍いは店全体に良くないんだからさ!」
完全に固まった様な黒男の手を外させ、翔は努めて明るく少年の肩を抱こうとしたが
「馴れ馴れしいんだよ」
そう、一喝されーーーその鋭すぎる視線に彼もまた射竦められた
「NO,3、お前もだよ。その嘘臭い作り笑顔で本心隠してるようだけどバレバレだよ。先の先を計算して女騙して操ってーーー何が楽しいんだ?そんなことでしか優越感を持てないなんてつまらない男だ」
アッハハハ!と堪えられないようにオーナーが頭を押さえて笑った。感情的な黒男はともかく、常に店内では笑顔を浮かべている筈の翔までもがその素顔を曝け出して硬直したように突っ立っているのだーーー
「痛い所突かれたなあ、お前等。どうよこの子?カオもそうだがNO.1と同じだろ?初対面でも一発でそいつの本性見抜いちゃうだろ?最もあっちはそれをすげえ穏やかに癒すのがお得意だが、この子はお前等みてえに氷みてえに固めちまう。凍らすのさーーー正反対だ」
翔と黒男は確信したーーーこいつは、売れる
自分の順位は変わるだろう、いや自分だけではないーーー全ての安定が崩れ去る
NO,1すらもーーー
「好き嫌いは分かれるだろーがな・・・なあ小千?こいつメチャクチャ客つくだろな?テメエの一番痛いトコ凍らされてーーー自分を見詰め直したい客と・・・この無愛想でとんでもなくキレイなカオ変化させたいっつー客がな」
「ロールプレイングをしますか、月弥さん・・・私が女性客として、腕時計をプレゼントされたら貴方はどう返答致しますか?」
オーナーに声を掛けられ、無言で喧騒を見ていた小千がその腕に嵌めているロレックスを外し、少年ーーー月弥に差し出した
「そんなもの、いらない」
予想内の、その無愛想な返答
「どうして?私が一生懸命貴方の為に選んだのにどうして受け取ってくれないの?!貴方みたいな愛想の無いホストなんてもう嫌!私帰るわ!」
いきなりオーナーがその筋肉質の身を捩り、女性のように高い声で女言葉を発し席から立ち上がろうとしたーーー女性客のつもりであろうが非常に気味が悪い
「帰るな」
月弥はオーナーの袖を掴み、じっと見上げてきた
「受け取ったよ・・・時計じゃなくて、私の為に選んでくれたーーーアンタのその瞳」
何とも甘い言葉。翔も女性客からの贈り物には同じような言葉を返すがーーー氷の美少年の言葉はその外見や雰囲気から全く意味合いが違うものになった。決して手に入れられないのに、その身を惜しげもなく晒し光り続けるーーー天高く浮かぶ月のような存在が、縋るように見詰めてきて
「ありがとう」
濡れたような紅い唇の端が上がったーーー余りにも対比が激しいその氷の微笑
「100点だ。お前のその冷たい笑顔見たさに客は通いつめるだろうな。とっととこいつら抜いちまいな」
オーナーが元の口調に戻り、その小さな耳に紅いピアスを嵌めた。それをうざったそうに身を振り元の無表情を浮かべ、月弥は自分を凝視している二人の男に一瞥をくれる
俺の為に笑え、俺にだけその極上の笑顔を見せろーーーと、黒男は強く思った
俺の思い通りにこの氷の人形の感情を動かしたいーーーと、翔は強く思った
月弥は二人の男の心中など全く興味が無いように、ホールへと視線を移動させた
「お前等にも、こんな店の順位なんかにも私は興味ねえんだよ。私が興味があるのはーーー」
ホール中央ーーー背の高い男と多数の美女に囲まれながら、客の見送りに出口に向かうーーー
「NO,1だけだ」
安定は停滞を生み、停滞は衰退を生み出すーーーしかし、そこに刺激を加えれば
競争が生まれ、混沌が生まれ、焦燥、憧憬、嫉妬・・・
そして最後に、純化された発展が生まれるだろう
世界有数の繁華街、ネオ新宿・ネオ歌舞伎町一のホストクラブ「Yamato-nadeshiko」
伊勢教授の経済論をオーナーは知ってか知らずか、それを実践した。衰退はあり得ないーーー強烈なる刺激を加え益々の発展をするであろうこの店には、これから始まるであろう競争と混沌を象徴するが如くに、今宵の満月が照らされる
もうじき月は薄くなり、太陽が浮かぶだろうーーーネオ新宿
太陽と月の壮絶なる競争がこれから始まるーーーネオ歌舞伎町
ホストクラブ「Yamato-nadeshiko」