春に咲く花。
五日が過ぎて、少しずつ身体の痛みも引いて、やっと自分で動けるようになった。
目元の包帯はまだ取れないから、歩く時はガウェインに手を引かれてるけど。
一体いつになったら、包帯が取れるんだろうか。
瞼はまだ引き攣れてる感じはするけど、もう痛みはない。
この五日間、毎食ガウェインに食べさせて貰っている。
迷惑だろうと思って自分で食べると言えば、ガウェインは危ないからとやらせてくれない。
こんなふうに何度も顔を合わせるうちに、気安く話せるようになったのは嬉しいけれど。
もう床を出て、今はリビングらしき場所のソファに座っている。
私の服は破れてボロボロだったようで、ガウェインの大きな服を借りて着てるし、靴は洗ってくれたみたいだ。
そういえば私がここに来た日、ガウェインが服を着替えさせてくれたんだろうか。
それを思うと恥ずかしくて居た堪れない。今更考えても仕方ない事だけど。
今もガウェインが隣に座って、私に食べさせてくれている。
「ガウェイン。パンなら自分で食べられるよ」
「気にするな」
私が何を言っても取り合ってくれない。
パンを一口大にちぎって、口元に寄せられれば自然と口が開く。
何だか餌付けされてるみたいだ。
野菜が沢山入ったスープも完食すれば、珈琲を手渡してくれた。ミルクも入れてくれてるようだ。
「少しゆっくりしたら、外に出てみるか」
落ち着いた声で言われて、即座に頷く。
歩き出したと言ってもまだ家の中だけだったから。
「うん。でも私に付き合ってて大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ」
ガウェインはたまに出掛けている。外で何をしているのかはわからないけれど。
もしかしたら狩りでもしてるのかな。
魔獣を狩れば結構なお金になるから。魔獣の肉は極上の味で、毛皮や牙や爪も頑丈で高値で買い取ってくれたりするらしい。
でも、ガウェインの事でわからないのはそれだけじゃない。
私はガウェインという名前と、優しくて面倒見が良い人という事しか知らない。
それだけわかってれば充分なんだろうけど、もっと知りたいとは思う。
まだ、自分の事すら思い出せてないけど。
考えようとすれば、頭に靄がかかったり頭痛がしたりして、少しも思い出せない。
どうして森の中に居たのか。この傷は誰に付けられたのか。私は誰なんだろうか。
「ミリア。考え過ぎるな。気が滅入るぞ」
私が思考の渦に飲まれてるのに気付いたガウェインは、深みのある低い声で話し掛けてくる。
頭の中に染み込んでくる声。こうして、私を引き上げてくれる事に感謝してる。
私は一度考え込むと、なかなか戻って来ないと気付いたから。
昨日は昼から夕方まで微動だにせず、考え込んでしまっていたらしい。
ガウェインに呼ばれてやっと動いたようで。そんな自分にちょっと吃驚してしまう。
「うん。ごめん」
苦笑すれば、ガウェインは頭を優しく撫でてくれた。私を傷付けない大きな温かい手。その手を取って両手で包み込む。
「ガウェイン。何から何まで本当にありがとう。こんなに良くして貰って、どう恩を返せばいいのかわからないよ」
本心からの感謝の気持ちを吐露すれば、ガウェインが笑ったような気がした。
目が見えてれば良かったのに、と思ってるとガウェインが口を開いた。
「別にいい。俺が勝手にやってるだけだ」
いつも通りの言葉に、安堵すると共に情けなくなる。
今の私は、ガウェインがいないと何も出来ないただのお荷物だ。
「でも私は──」
尚も言い募ろうとすれば、両手を優しく握られた。
「じゃあ。包帯が取れた時、俺を見ても怖がらないでくれ」
ガウェインの言葉に意味がわからず首を傾げた。
「そんな事でいいの?」
「ああ、そんな事でいい」
首を傾げたまま問い掛ければ、静かな声で肯定される。
「うん。わかった」
不思議に思いながらも私は頷いた。
ガウェインの何を怖がると思うのだろう。顔に酷い傷でもあるのか。よくわからないけど、私がガウェインを怖がる筈がないのに。
「そろそろ外に行くか」
ガウェインは握った手を引いて、私を立ち上がらせてくれた。
そのまま大人しく手を引かれて歩けば、ドアを開けて外に連れ出される。
爽やかな風が頬を撫でて、長い髪を揺らしていく。
新鮮な空気を深く吸って吐けば、気分が上がって自然と微笑んだ。
「気持ちいい」
手を引かれて、ゆっくりと柔らかい草むらを踏みしめて歩く。
「そうか」
短い返事だが、その声は優しい。
目に包帯を巻いてるせいで暗闇の中に居ても、ガウェインと手を繋いでいれば安心出来る。
真上から太陽の光が当たって、身体がポカポカと暖かい。
今の季節は春らしく、そろそろ夏が来る。
四季がある事や、国の名称はちゃんと覚えている。
私が今居る場所は、ハンドレイク王国の最北端に位置するシュルゲン領だ。
ガウェインに聞いた時に、その事に気付いた。
その他にも物の名前や使い方、文字や算術等、私に関すること以外は全て覚えている。
それだけは良かったと本気で思う。一応、生活していけるだけの知識はあるようだから。
後は私には関係ないけれど、魔法使いが居るという事。
魔法使いは希少で、すぐ国に手厚く保護される。でも希少過ぎて、国に十人居るかどうからしい。
私には全く魔法使いの適正はない。わかってたけど。
「ミリア」
名前を呼ばれて振り向けば、鼻先に何かを近付けられた。
匂いを嗅いでみれば、それは甘い香りがした。
「花?」
繋いでいない方の手を持ち上げて、花の茎を軽く指先で持つ。
「ああ、春に咲く花だ」
低く温かい声に、笑顔が零れた。
きっとガウェインは、この花の名前を知らないのだろう。
春に咲く花という事しか。
でもそんなのはどうでもいい事だ。
花の名前がわからなくても、花の形を見れなくても、その甘い香りは楽しめる。
「ありがとう。ガウェイン」
私は嬉しくて、ガウェインに笑顔を向けた。
その後、ガウェインはその花を摘んで部屋に飾ってくれた。
本当にガウェインは優しくて、温かい人だ。
*******
ミリアの傷はまだ完全には治ってないが、一人で動けるようになった。白い肌に残る痣はまだ目立ってるが。
ずっと寝てると余計に辛いだろうと、手を引いてゆっくり家の中を歩かせたりもした。
久しぶりに動かした身体はぎこちなく、それでも頑張って歩いていた。
隣を歩くミリアは、俺の肩より下に顔がある。
特別背が低い訳ではないだろう。逆に俺がでかいだけだが。
この五日間でミリアの態度は柔らかくなり、話してる時に笑う事もある。
少しずつ元気になってくミリアに安堵した。
包帯を替える時に瞼の傷を見れば、既に傷は塞がっていて、すぐに包帯は取れそうだった。
だが、包帯を取った後の事を考えると、少し気分が重くなる。
俺の顔は強面らしく何もしてないのに、よく子供には泣かれるし女には怯えられる。面倒くさい事この上ない。
眦のつり上がった三白眼の目は、睨みつけてるように見えるらしい。よくわからんが。
ミリアも俺を見て怯えるだろうか。それが少し心配で、そんな事を考えた自分に呆れた。
馬鹿馬鹿しい。
そうは思っても不安はなくならない。
ミリアの恩を返したいという言葉に、俺を怖がらないでくれとまで言ってしまう始末だ。
それでもミリアには、怖がらないで欲しいと本気で思ってしまったから。
俺に向けるその笑顔が、恐怖に歪んだ顔になるのは、見たくない。