チャンス
美奈穂と花蓮が闘志を燃やし、正也が恐怖に青ざめていると、呑気そうに源三がスタジオに入ってきた。
「おお~い、正也! ちょっと、こっちに来い」
その場の空気から逃れたい一心で、正也は源三のもとに向かった。
「おやおや、ひどい顔色だのう。緊張しとるのか?」
今の現場を見ていない源三に事情を説明する気力もない正也は、短く「はい」と答えた。
「若い男がだらしないのう。いいか? よく考えろ。美奈穂の御守りのスイッチさえ切ってしまえば、強化下着を着ているお前が有利じゃ。しかもアイドル志望の美奈穂が、本気でお前をカメラのあるところで殴り倒すわけにはいかん。手加減をしない訳にはいかないはずじゃ」
「ああ、そうか! アクションシーンの撮影中なら必ず隙ができるはずなんだ。その隙をついてお守りさえ奪えば!」
「それにお前もあからさまな事は出来ないだろうが、一応襲いかかる役どころじゃ。美奈穂にタッチするくらいのチャンスはあるかもしれんぞ」
今や正也は美奈穂の手に触れるどころか、美奈穂に手が届く範囲に近づくこともためらわれる。うっかり美奈穂の機嫌を損ねれば、殺人ビンタが往復で飛んでくる恐れがあるのだ。
そんな風に手の届かない存在になればなるほど、興味が惹かれるのが思春期だ。美奈穂のやわらかそうな身に触れるチャンスがあると思うと、正也はがぜんやる気が湧いてきた。
「おおー! よおし! やる気が出てきた!」
「じゃが、お前の役目は美奈穂に他の男を近づけんことじゃ。そこは忘れるでないぞ」
「分かってるって。こっちは強化下着を着てるんだ。悪役ついでに気に食わないイケメン野郎もコテンパンに襲ってやります!」
自分も度胸がない癖に相手がヘタレと知ると、正也も強気になるらしい。性根の腐り具合いが実によく表れている。だが、その気分を吹っ飛ばすような、やや野太い女性の集団の声がひびいてきた。
「ぎゃーっ! 宏治く~ん! がんばってー!」
華の盛りをやや過ぎた女性が黄色くもない声をかけると、他の同世代の女性も負けじと、
「宏治くーん! もっと、マネージャーとくっついてー!」
「いっそ、しなだれかかって―!」
「マネージャー! 宏治君を襲ってー!」
「押し倒してー!」
と、白昼堂々とんでもない言葉を叫んでいる。宏治のマネージャーは頭を抱えて唸っていた。
あまりの騒ぎに正也が天野に声をかける。
「なんですか? あのオバハン集団は?」
「……あれが宏治君の最近のファンの主流なんですって。美奈穂ちゃんの人質事件の時に、宏治君がマネージャーにしがみついて脅えていたのが話題になったのがきっかけで、宏治君に『同性愛疑惑』が持ち上がったの。マネージャーがそこそこ美形なのが災いして、いくら否定しても腐女子系のファンが増える一方なんですって」
見れば宏治の笑顔も結構ひきつっている。それでも構わずオバハン達はギャアギャアと(キャアキャアと言う声はすでに出ないらしい)騒いでいた。女子も本格的に腐るまでにはそれなりに時間がかかるらしく、上級の腐女子達はすでに恥や外聞を気にする年齢ではないようだ。そういうことは某専門誌の世界に求めてくれと言いたくなるようなことを、全力で叫んでいた。
「……俺、やっぱりあいつを襲いたくない。男の人生が色々終わりそうな気がする」
せっかく芽生えた正也のやる気スイッチは、あれよと言う間に行方不明となった。
その様子をスタジオの片隅で苦々しく見ている、三人の男の姿があった。
今更だが美奈穂の出演している番組は、「戦隊物」である。ヒーローとヒロインは宏治と美奈穂の二人と言う訳じゃない。ヒーロー役を務めるだけあって宏治ほどの華は無いが、それなりにイケメンであり運動神経も悪くないにもかかわらず、作者が横着者のせいで登場出来なかった哀れなヒーロー役が三人もいたのである(テヘペロ)。
「もともと宏治が一番人気があったとはいえ、今の状況はあんまりだ」
爽やか系の宏治と違って甘さの勝る顔立ちのややチャラそうな男が嘆いた。
「俺……確実にファンが減った」
ベビーフェイスの小柄な少年が半泣きでつぶやいた。
「そりゃそうだろ。視聴者層ががらりと変わってるんだ。肝心の子供より、アスカのヲタクファンと宏治の腐女子ファンの方がずっと増えてるんだ。子供の良いお兄さんキャラで売ってきた俺達には不利になるに決まってる」
いかにも体育会系細マッチョな長身の男が吐き捨てるように言った。彼は特にその体格から、宏治と絡めて腐女子達から好きなように妄想する相手役と言う目で見られているらしい。若い女性や母親のファンが潮が引くように離れてしまった。他の二人も彼には特に同情した。
「いや! だからって負けてられない。このままじゃこの番組はヲタクと腐女子に占領されてしまう。俺達が活躍すれば以前の様な健全な親子ファンがまた戻ってきてくれるはずだ! 自分たちの力で人気を取り戻すんだ! 必ずチャンスはある!」
「そうだ。今一番番組中に目立っているのは紅一点のアスカだ。宏治よりもアスカと絡んだり、助けたりする場面を俺たちも増やさなくては。とにかく宏治より目立って、注目を浴びるんだ!」
「この番組の売りはアクション。悪役からアスカを守ったり、助けたりすれば目立つはずだ。悪役はあの怪力男だから、三人で協力してあいつを倒しに行こう」
強化下着の秘密を知らない人々は、正也を人間離れした怪力男だと信じている。あの時怖がってバスをシェイクしたのがアダとなったことに、正也は気づいていなかった。
「よし。宏治の画面登場数を少しでも減らして、腐女子達をこの番組から一掃しよう! 打倒宏治。打倒腐女子だ!」
おいおい。脚本やキャスティングの事は一切無視かよ。そう突っ込みたくなるほど三人の無視されたヒーロー達は燃えていた。がっつり円陣を組んで掛け声までかけている。
その声を聞いた正也は身ぶるいし、
「なんだろう? 急に寒気と、嫌な予感に襲われるんだが……」と首をひねった。