ライバル登場!
その日の夕食後、源三は性懲りもなく美奈穂の入浴の機会をうかがっていた。ただし、母親の佳奈代にばれないようにではあるが。
確かに源三は美奈穂の母親である佳奈代が苦手である。いや、苦手と言うよりも頭が上がらない。なぜなら……佳奈代は源三の憧れであり、今でも片思い真っ最中の相手なのだ。
息子の薫が佳奈代を自宅に連れて来た時は、佳奈代のあまりの清純な美しさに二人の仲をなんとか裂こうと腐心したが、結局徒労に終わった。もちろん美奈穂は母親の佳奈代に似たからこそ美少女なのだ。性格はかなり違うが。
結婚の許しを得に来た時も、当然源三は大反対しようとしたのだが、
「お義父さんはいつも私を優しい目で見て下さってます。私、お義父さんが大好きです! 私達のこと、ずっと助けて下さいますよね?」
「もちろんじゃとも!」
清純そうな美人が瞳を輝かせながらも、その目を少しうるませて、手を握りながらこんなことを言って来るんである。源三はあっさりと懐柔された。
これが佳奈代の計算であるのなら源三にも彼女の裏が見えてきて、幻滅するなり、あきらめがつくなり出来たのだが、恐ろしいことに佳奈代はこれが地であった。
どこでどう育ったらこんな人格が出来るのか知らないが、源三の変態的な視線は『優しいまなざし』と誤解され、下心見え見えの行動は『嫁への心遣い』と『親切』として受取られている。
「私、お義父さんを心から尊敬しています!」
どんな男でも一発で落せそうな清純スマイルで、こんな言葉を本気で吐かれる。源三は彼女の前ではまさしく骨抜きである。
ところがその夜の夕食後、美奈穂がいそいそとクッキーを用意し始めた。
「これ、お母さんと焼いたの。なかなかおいしく焼けたんだよ。あたしが焼いたのはお父さん、食べてね。おじいちゃんはお母さんが焼いたやつ」
「おおっ。佳奈代さんの手作りクッキーか。久しぶりじゃのう」
源三が嬉しそうに甘い香りのクッキーを一つ口にすると、佳奈代がティーポットとカップを三つ用意する。美奈穂は席に着くことなく、そのまま部屋を出ようとする。
「なんだ? 美奈穂は一緒に食べないのか?」
父親の薫が娘の手作りに感激しつつも、さびしげにそう言った。
「あたし、味見を兼ねて先に食べたもん。これ以上は太っちゃう。先にお風呂入らせてもらうね」
美奈穂はそう言って源三をチラリと見た。しまった! 美奈穂にうまく足止めされてしまう。
源三はそそくさと、
「わしはクッキーを部屋で食べようかのう……」
と言って席を立ちかけたが、
「あら、お義父さん。そんな事言わずにお茶も召しあがって下さい。この紅茶、正也君のお母さんからいただいた、いいお茶ですから」
と、佳奈代がニコニコと引きとめる。
「あー、いや、ちょっと今は、そのう……」
源三は席を立つ言い訳がとっさに思いつかず、しどろもどろになる。すると佳奈代が、
「もしかして、クッキー、お口に合いませんでした? 若い私達に合せて、ちょっとバターがきついのかしら……?」
と言って、不安そうにその目を潤ませる。たかがクッキーの出来に目の端にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
佳奈代は十代の娘がいるわりには見た目が若いが、その上性格から来る表情が子供のようにあどけない。美女のあどけなさの残る涙は男にとって反則だ。
「いや、佳奈代さんにお茶の手間をかけるのが申し訳なくての。せっかくだからいただこうか。お茶が無くとも十分に美味しいクッキーだがのう」
源三は必死に笑顔を作り席に着く。どんな些細な事でも、佳奈代を泣かせるくらいなら死んだ方がマシなのだ。もっともどれほど想いをよせても佳奈代は自分の息子の妻なのだが。果してこの同居は源三にとって天国なのか地獄なのか。
「やだあ、お義父さんったら。お口が上手ね!」
佳奈代が照れて頬を染めながらとびきりの笑顔をすると、源三はよだれを流さんばかりのしまりのない顔になり、隣で見ていた薫は嫉妬で顔をひきつらせる。
「美奈穂。紅茶のお礼をちゃんと正也君にも言っておくのよ」
男二人の表情に気付かず、佳奈代は紅茶を入れながら声をかける。
「えー? 紅茶くれたのはおばさんでしょ? 正也、関係ないじゃん」
「そんな事ありません。美味しかったとちゃんと伝えるのが礼儀です。美奈穂も正也君のお母さんにはお世話になっているんだから」
正也の母と佳奈代は仲が良い。それも佳奈代の性格を助長している。正也の母と子育戦争を共に乗り切ったために、普通の母親が嫌でも乗り越えなくてはならない『ママ友の派閥闘争』に巻き込まれずに済んでしまった。猛烈な強運の持ち主と言っていいだろう。
逆にこんな家庭に生まれて源三の歪んだ欲求の対象となってしまった美奈穂は、運に見放されているかもしれないが。
「はいはい、分かりました。お風呂、行ってきまーす」
そそくさと部屋を出る美奈穂を横目で見ながら、源三は諦めて佳奈代のクッキーを堪能するしか無かった。
その頃正也の方は、強化下着を着て鏡の前に立っていたが……
今時こんな下着があるのかと思うような、U字型の首回りをしたシャツ。パツンパツンのブリーフ。これでステテコでも履こうものなら、完全に昭和なじーさんだ。
「だーっ! もう、どうせ下着なんだ! 人に見せる必要もないんだ! 気にすること無いんだ!」
と、自分に言い聞かせると、
「もういい! もう寝る!」
と、現実逃避にベッドにもぐりこんだ。良い夢が見られたとは思えないが。
「おはようございまーす。……あれ?」
美奈穂と正也がスタジオに入ると、パッと目に着く美少女がいた。
「おはようございます! これからよろしくお願いします!」
「花蓮ちゃん。どうしてここに?」
花蓮は幼い時から劇団に所属し、子役からずっとテレビに出ているたたき上げの役者である。ついこの間まで美奈穂達と共演していて、悪に狙われるその名の通り可憐な少女を演じていた。
その時何かと宏治にまとわりつこうとしているのが美奈穂には気に入らず、花蓮の出番が終わった時は内心ホッとしていたのだが。
「アスカの親友のレイカ役の子が、急遽事務所を変えて歌手デビューすることになったんです。で、その代役に私が呼ばれました。皆さん、よろしくお願いします」
そう言って花蓮は愛想良く皆に笑顔を見せた後、実にさりげなく宏治の近くによると、
「宏治君、また共演ね。よろしくね」
と、さっき以上に華のある笑顔を宏治に向けた」
「ああ、君が一緒なら心強いな。よろしく」
お決まりの挨拶だが、実はヘタレの宏治には本音も交じっていそうだ。
「ちょっと、監督! どういうことですか? あの子前の撮影の時も『役者が怪我するような真似は出来ない』からって、散々撮影中ケチつけて大変だったじゃないですか! だいたい花蓮ちゃんは他のドラマに出る筈じゃ?」
美奈穂が監督を捕まえて問いただしたが、
「うん。あっちを断ってまでこの番組に出演してくれるらしい。君だって助かるだろう? あの子は役者として場数を踏んだプロだし、君はまだ演技の方は上手いとは言い難いからなあ」
それを言われたら美奈穂は文句が言えない。いくら慣れてきたとはいえ、たかだか数カ月の付け焼刃がすでに役者として十年以上のキャリアを持つ子に敵う訳が無いのだ。
「美奈穂ちゃん。宏治君と共々、私もよろしくね」
花蓮は宣戦布告も同様な挨拶を美奈穂に放ってきた。
「あら、こちらこそあたしが守ってあげる宏治君共々よろしく。でもねえ。気の弱い宏治君はあたしみたいな強い女の子の方が好みだと思うけど」
美奈穂も負けずに言い返す。
「そう? 気が弱いからこそ、私みたいに心を安らげる、優しい女の子がタイプだと思うんだけど。暴力的な子は苦手なんじゃないかしら?」
「あっらー。最近の子役さんはオツムが残念みたいね。スタントと暴力の見分けもつかないなんて」
「私、美奈穂ちゃんよりはよっぽど台詞の覚えはいいと思うけど?」
二人の間に目に見えんばかりの火花が散った。女の闘争心は火薬に劣らないのだ。
「とにかくよろしく」
「こちらこそ」
二人は引きつりそうな笑みをにっこりと交わし、握手をした。その手に込められた力の強さは、二人の手の震え具合で想像がつく。
「ふ、二人とも。君たちは親友同士の設定だからね? 分かってるね?」
あまりの緊張した空気に、監督が割って入った。
「分かってますわ」
「もちろん分かってます。監督」
そう答える二人の笑顔は目が全然笑っていない。
「俺、これからこの二人を襲う役なんだよな……」
一番この場で恐怖を感じているのは、この役に無理やり引っ張りこまれた、正也であった。