名演技
美奈穂がロケバス内で誘導尋問(?)されている間、その回りは警官が取り囲み、さらにその向こうは撮影スタッフや野次馬達で騒然としていた。
マネージャーの天野は警官に美奈穂の家族の連絡先などを聞かれていた。なにしろ目の前にいる家族の源三がおろおろと歩き回っては、
「ああ、美奈穂が。わしの美奈穂がー!」
と、騒ぎながら警官に片っ端からつかみかかると言う有様で、その後を意味も無く追っている正也も、
「お、落ち着け、源じい。とにかく落ち着こう」
と、言葉では言っているが、警官を襲う源三を止めるでもなく、ただ周りで手足をばたつかせるだけと言う、はた迷惑な状況を繰り返しているのだ。
警察も人質がテレビに出演中の少女と言う事で、騒ぎが拡大して犯人を刺激しないようにと、野次馬達を必死にその場から退去させようとするが、野次馬達は情け容赦なくスマホ片手に現場の状況を一斉送信している。厄介な時代になったもんである。
しかも、あることない事不正確な情報が、フェイス〇ックやツ〇ッターに無責任に拡散する。
「アスカちゃん、ナイフで切られて怪我してるって」
「顔にあざもついてるってよ」
「服も切られてズタズタだって」
「もう、半裸にされちゃってるらしい」
「おお、アスカちゃんの半裸ー! 俺も見てええええ!」
変態の多い世の中に、無責任が拍車をかけるのだからどうしようもない。天野からの連絡より先に、デマだらけのSNSで事件を知った天野の上司が泡吹いて倒れ、そうとも知らずに連絡の取れない上司に必死に電話する天野も、ちょっとしたパニック状態である。天野の胃に穴が開かなければいいのだが。
「ああ、このままではわしの美奈穂が、あんなことされたり、こんなことされたり……」
デマなど無くても、もともと変態な源三があらぬ方向に妄想を始めると、
「うわわわわ! 言うなっ! 源じい。そんな事、考えたくなーい!」
と正也も、さすがは変態コンビらしい妄想の以心伝心で、悔しがったり、鼻の下を伸ばしたりしている。役立たずなのは分かっちゃいたが、少しは美奈穂の命の心配をするべきだろう。だが当人達が美奈穂を押しつぶしかけるくらいだ。心配の仕方もピントがずれていた。
「それもこれも、源じいが美奈穂の御守りに、余計な事するからだぞ!」
ついに正也が源三に八つ当たりをする。
「なんじゃと? お前だってあの時は賛同したではないかっ」
「大体源じいのやることはいつもどっかが抜けてるんだ。この御守りが無事だったら、こんなことには……」
正也が御守りをかざして源三に詰め寄っていると、横から声がした。
「ちょっと失礼。話の筋は見えないが、君が美奈穂ちゃんの御守りを持ってるって事は、このお守りは君が美奈穂ちゃんにあげた物かい?」
突然変な男に声をかけられ、正也は面喰った。
「あんた誰?」
「あ、すいません。私は週刊アクターって雑誌の高木って言う記者です。今日、美奈穂ちゃんにインタビューする予定だったんです。……で、そのお守り、君があげたの?」
「ええ、まあ、そうですけど?」
それを聞いて高木は正也をざっと観察する。中肉中背だがどこかしまりのない体つき。ジーパンにシャツと言う平凡な服装に、一体いつの時代の代物だ、といいたくなるデザインのジャージの上着を羽織っている。極めつけはどう見ても間が抜けたようにしか見えない顔立ち。今時これだけ「さえない」少年と言うのも珍しい。
うーん。美奈穂ちゃん、随分趣味が悪いなあ。
美奈穂が聞いたら卒倒しそうだ。しかし高木は考える。こうしてロケ現場にまで押しかけて来るのも怪しいし、天野さんも彼には甘いようだ。人間見た目じゃ分からない事も多いと言うし。
高木が勝手に推理していると、
「なんです? 人の事じろじろと。記者がこんなところでうろついたら、お巡りさんに摘まみ出されますよ」
流石に不愉快になった正也がそう言った。無駄に騒いでるあんた達二人の方が、よっぽど警官は摘まみ出したいと思ってると思うが。
「ああ、いやいや。何でもないです。美奈穂ちゃん、無事だといいですね」
「あたりまえだ!」「当然じゃ!」
二人に血走った眼で睨まれて、とりあえず高木はその場を退散した。しかしその視線はしっかり正也をマークしている。
その頃ロケバス内の犯人と美奈穂も、こう着状態になっていた。犯人は美奈穂がスタントアクションの達人と気づいてしまったので、逆上気味に美奈穂にナイフを突き付けているのだ。
「え……っと。そのままの格好って、疲れません?」
万歳している美奈穂も楽ではないが、ナイフを真っ直ぐ美奈穂に向けて突き付けている犯人の方が、興奮もあって消耗が激しそうだ。その腕がガクガクとふるえている。
「うっ、うるせー! じっとしてろっ!」
聞く耳持たずか。やれやれ困っちゃったな。美奈穂はため息をつく。
このままほっとけば勝手にへばるだろうから、刃物奪ってノシちゃえばいいんだろうけど……外はマスコミや野次馬で大騒ぎだろうし、人質のアイドルが犯人ボコっちゃうってのも、体裁が悪そうな気がする。それに逆上されて玉の肌に傷でもついたらまずいし。
美奈穂はしばし思案し、窓の外に目を向ける。警官達に交じって天野や源三と正也の姿が見えた。しかも源三と正也は何やら言い争いの真っ最中らしい。
なによー、人がこんな目に遭ってんのに。役に立たないんだからっ。こうなったら無理にでもあの二人に役に立ってもらわなきゃ。
「あのう。こんなことしてても疲れますよね? ドラマみたいになんか要求しないんですか?」
美奈穂はなるべく犯人を刺激しないように話しかけてみる。
「要求?」
「だってこのロケバス、動かせないじゃない。このままじゃ逃げられないんでしょ? 逃走用の車とか、逃走資金とか、要求するしか無いんじゃ?」
「……ああ、それもそうか。うん、要求しよう」
これでよく強盗する気になったもんだわ。この犯人、お金の心配の前に自分の頭の心配すれば良かったのに。 世の中、間抜けな大人が多いんだなー。
この多感な年頃にろくでもない大人ばかり見ている美奈穂。このままではかなり大人を舐めてしまいそうだ。将来が心配である。
「じゃあ、お前、こっちに来い。変な真似するんじゃねーぞ」
犯人は美奈穂の腕を引っ張り、窓のそばに連れて来る、とにかく美奈穂に動かれるのが怖いらしく、ひたすらナイフを美奈穂の顔面にかざしている。
ちょっと、あたしアイドル目指してんだから! その手の震え、なんとかなんないの? 顔に傷が付いたらどうしてくれんのよっ。このビビりがっ!
と、叫びたい思いを懸命にこらえる。何よりこの窓には今、多くのカメラが向けられているはず。ここは可憐な少女が人質にされて脅えていなきゃならない場面だ。
さあ、眉間にしわ寄せて、顔ひきつらせて、一世一代の名演技しなきゃ。ああ、本当に目薬が欲しい!(切実なので、二度言いました)
犯人が窓を開け、警官に向かって叫び出す。
「車だ! 車を用意しろ! それから金もだ! 食い物もよこせ。従わないと、この子の命は無いぞ!」
馬鹿じゃないの? 怪我ならともかく、あたしが死んだらあんた間違いなくすぐに捕まると思うけど。
一瞬そんな考えが浮かびそうになった美奈穂は必死でそれを頭から追い出し、演技に集中する。
あーん、監督う。天野さあん。今度から演技指導はもっと真剣に受けます。反省しましたあ。
その心がけが良かったのか怖くは無いが情けない気分になって、かなり気弱な表情が出来た。そしてとどめの台詞。
「おじーちゃあーん! 正也あー! 助けてえー!」
渾身の絶叫。よしっ、あたし、やればできるじゃん。これを聞いてあの二人が動揺しないわけがない。……と言うか、何にもしなかったら、コロスぞ。