緊急事態
「とにかく、二人とも周りの人の言う事をよく聞いて、迷惑かけないでよね! 何かやらかしてあたしが役を降りる羽目にでもなったら、二人ともただじゃおかないから!」
美奈穂は二人にそうまくしたてるが、肝心の二人はどこ吹く風。思わぬテレビ出演にすっかり舞い上がっている。
「そうじゃ、正也。これを渡しておく。美奈穂にあのイケメン俳優が何かしようとしたら、これを着て阻止するのじゃ」そう言って源三が正也に渡したのは、
「げっ。これ、例の全身筋肉痛ジャージじゃないか」
正也がうんざりした声を上げるのも無理はない。このジャージは美奈穂の強化下着の試作品の様な物で、あの下着と同じくらい強力な重力コントロール力がある。だが使用者のことを全く考えずに作られているので、使用直後に身体にとんでもない負担が襲いかかるのだ。
「俺、源じいに騙されて着せられて、ひどい目にあったんだよな。四トントラック持ちあげた後に痛みが全身に来て、気まで失ったんだぜ。その後も三日三晩痛みに苦しんだし」
さらにうんざりしたのは美奈穂の方だ。舞いあがってるくせに、まだあたしの邪魔する気でいるのかと。しかし源三は、
「男だったら多少の痛みは我慢せんか。いいか? あの男に……いや、どんな男にも美奈穂に指一本触れさせてはならんぞ」と、さらりと言ってのける。
「多少どころの痛みじゃねーし!」と正也。だが源三は自分が着る訳ではないので、
「上着だけでも持っとれ」と意に介さない。だが美奈穂はキレた。
「今日は街を歩くシーンがほとんどなの! ロケって許可が必要だから、撮影が滞るとみんなとっても困るんだから! 邪魔するぐらいならあたしが二人とも追い出すわよ!」
さっきまでの天国から地獄に叩き落されて、美奈穂はすこぶる不機嫌だ。周りも見えなくなって二人に向かい怒鳴り散らした。すると、
「あのう、美奈穂ちゃん。そろそろ出番なんですが」とスタッフが美奈穂を呼びに来た。
「あ、ごめんなさ~い。すぐに行きま~す」
美奈穂は一転アイドルスマイルで返事をするが、すでにスタッフの表情は引きつっている。
あ、やばい。これは可愛らしさをアピールしておかないと。
美奈穂はそう思って足を内またにし、満面の笑みを作ろうとしたのだが……。
ファン、ファン、ファン、ファン……
「何じゃ? この音は」
「パトカーのサイレンみたいだな」
「あれ? 今日の撮影にそんなシーンあったっけ?」
その場の全員がポカンとしていると、
「どけ、どけ、どけええええー!」
突然美奈穂達のいるロケバスの前に向かって、一人の男が突進してきた。そしてポカンとしている美奈穂の腕を捕まえて、男の身に引き寄せる。
えーと? こんなシーン台本にあったっけ? それにこの役者さんも知らないなあ? 第一この辺にカメラないし……。なのになんでこの人、あたしになれなれしく近づいてんの?
強化下着を身につけていないとはいえ、多少の身のこなしには自信のある美奈穂である。思わず男にビンタを喰らわせようとしたが、さっきのスタッフの視線が自分に向いていることに気がついた。ヤバイ。ここは女の子らしくしとかないと。
それにしてもさっきまでどんな男でも私に指一本触れさせるななんて言っておいて、おじーちゃんも正也も何やってるわけ? なんか汗臭い中年男が私を捕まえてるんだけど!
においの不快さに美奈穂が体をよじろうとすると、
「わー! 美奈穂! 動いちゃいかん!」
切迫した源三の声が飛ぶ。そして首筋にひんやりとした感覚。男の走ってきた方から大勢の警官もやって来た。こ、これって?
美奈穂はそっと視線を下に向ける。自分の首筋に大きく光っているのは見事なサバイバルナイフだった。
「どいつもこいつも、動くんじゃねえ! 近寄ったらこの娘、殺すぞ!」
ええええー! これってドッキリ? それとも、マジ?
よく見ると男の手が細かく震えている。あんまり大きく震えたら勢いで首を切られそうだ。
ま、マジだ。動かなくて良かった。いや、まだ全然良くないけどー!
男は美奈穂を羽交い絞めにして首もとにナイフを押しあてたまま、美奈穂をロケバスの中に引きずり入れた。そしてバスの運転席を見てキーが無い事に気が付くと「チッ」と舌打ちを打つ。
「あ、あのう。このナイフ、降ろしてもらえませんか? あたし、逃げませんから」
もちろん大ウソだ。隙を見つけて逃げる気満々である。しかし美奈穂は全力でしおらしい演技をする。何より首にナイフ突きつけられたままじゃ、精神衛生にとっても良くない。
「俺は強盗に失敗して警察に取り囲まれたんだ。もう、どうせ犯罪者になっちまった。逃げようなんて考えたら、本気で刺し殺すぞ」
そういいながらも男はナイフを降ろした。よしよし、まずは一安心。あたしをか弱い女の子だと思ってくれちゃってるわ。さっきまでアイドルスマイル、可憐な少女モードに入ってたのが良かったのかも。ラッキー! さーて、どうやって逃げ出そう?
厳しいと言われる世界でアイドルやりたいと言う娘である。見た目は美少女でも気の強さはもともと十分備わっている。さらに強化下着の影響でそれなりに怖い物知らずになってしまい、凶暴性が増した残念な娘仕様。つい、しおらしい表情など忘れて、考えを巡らせていると、
「何、キョロキョロしてやがる。逃げるんじゃねえぞ」
と言われて、慌てて表情を作りなおした。うーん。やっぱりあたし、演技力ないか。
「だって……、怖くて」
目いっぱい脅えた表情を作り、声を震わせ……。ああ、目薬があればいいのにっ!
すると男は美奈穂の顔をまじまじと見つめだした。
「あれ? お前の顔、どっかで見たような?」
美奈穂は顔色を変えた。げっ、まずいかも。あたしはノンスタントの特撮ヒロインの触れ込みで絶賛売込み中だ。可愛い顔に似合わず抜群の運動神経で、どんな激しい動きもこなせる事を全面アピールしてきた。なんたって、あたしについたキャッチコピーが『国民的スタントガール』だもん。警戒されちゃう。
「絶対どっかで見てる。良く行くコンビニの娘にしちゃ子供っぽいし。近所のガキか?」
うっ、あたしそんなにガキっぽくない。と、思うんだけど。
「違うな、もっとこう……。直接見たんじゃなくて」
ああ、思い出しちゃう! あたしは可憐な、ただの女の子です!
「写真で見たのか? そういや知り合いのガキが中学生だとかなんとか」
ちがーう! 毎週テレビに出てるのに! ポスターだって撮ったし、週刊誌のインタビュー……は、まだこれからだったか。でも結構キャンペーンも頑張ってるのに!
「あ、テレビかな?」
そうっ、それ!
「でも、ドラマとかじゃないよなあ。それとも売れてないチョイ役の子役か?」
「子役じゃないし! 結構売れてるつもりだし! 子供達は知っててくれてるしっ!」
「子供……。そういや息子と見た朝のテレビでなんかやってたような?」
「そう、そう!」
「あー! 思い出した。戦隊物のアスカ役の娘だ! なんだ、毎週見てるじゃないか」
「ピンポーン!って……、毎週見てくれてるの?」
「見てる見てる。大の男ぶん投げたりして。あのアクションがスカッとするんだよなー」
「あ、ありがとうございます! これからも是非、毎週見て下さい!」
「おうっ。なんせ仕事首になったおかげで時間だけはたっぷりあるんだ。金はねえが……って、おいっ! 俺、強盗に失敗してお前を人質にしたんじゃねーか! しかもお前、運動神経の塊だろう?」
男は慌てて美奈穂にナイフを突き付ける。美奈穂は急いで万歳のポーズ。
ああっ、あたしって、馬鹿だー!