誤解と有頂天
「美奈穂ちゃん、ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」
中断された撮影の続きを始めてしばらくすると、美奈穂は監督から声をかけられた。
「いえ! 大丈夫です! さっき休んだおかげで、もう元気です!」
美奈穂は元気いっぱいに答えるが、
「いや、やっぱり今日は動きの切れが悪い。まだ身体が戻っていないんだろう。何と言っても君はまだ成長期の中学生だからね。身体に何かがあってはいけない。美奈穂ちゃんのシーンはあと撮りするから、今日は帰って休みなさい」
美奈穂としてはこれからがリュウ役のイケメン俳優、宏治との「いいシーン」が待っているのだから、なんとしてでも食い下がりたかったが、常日頃からマネージャーの天野に、
「この世界では現場の大人達から嫌われないのが一番大切よ。一生懸命頑張るのと同じくらい、大人の言う事は素直に聞いてね」
と口酸っぱく言われているので、ここはぐっと我慢する。実際、あの強化下着の力がないと、同じ運動量でも身体にかかる疲労感はかなり違う。動きだって鈍るし、きっと演技の切れも悪く見えるのだろう。死にかけた恨みは消えなくても、強化下着の力は認めないわけにはいかない。
この世界に可愛い娘なら掃いて捨てるほどいるし、自分の売りがノンスタントなのだと言う事も認めざる得ない。
しかも源三は反省の色も無く美奈穂にこう言い放ったのだ。
「若い娘が男に抱きあげられるなど言語道断! その場面を変更してもらわねば、その御守りを直すわけにはいかんのう」
こう言われて素直に「はい」なんて言えない。壊れた御守りをひったくり、
「みんなに挨拶してから帰るから」
と言って二人を先に帰らせると、源三や正也に知られない内にさっさと例のシーンの収録を済ませてもらおうと頑張って撮影現場に戻ったのだが……。結局は無駄足に終わってしまった。
「もうっ! 全部おじーちゃんのせいなのに。そのおじーちゃんに御守りの修理を頼むしかないなんて……」
腹の虫はおさまらないが、このままではこれまでの苦労が水の泡だ。美奈穂は異様な重力からは解放されたが、今度は精神的にすっかり重くなった足を引きずる気分で自宅に帰ってきた。
一方その美奈穂と源三の自宅前。あの週刊誌記者の高木が美奈穂の帰りをこっそり待っていた。天野が嘘をついていないのは分かるが、やはりあのお守りが気になっていた。
「今時の女子中学生だ。天野さんが気付かない男の存在がいないとも限らないし」
体調不良を押して健気にアクションに望む少女の記事も悪くはないが、やはりインパクトに欠ける。狙いたいのは注目を浴び始めたばかりの少女のスキャンダルだ。だが自宅や学校内に入れないのはもちろん、撮影現場周辺では常に美奈穂にはマネージャーの天野がくっついている。そしてそのガードはなかなかに固い。そこで自宅前で彼女を待つことにした。
するとようやく美奈穂が自宅前に現れた。さっそく一歩踏み出そうとした時、美奈穂の表情に足が止まった。
自宅前で足を止め、憂いに満ちた表情をみせる美少女。暮れゆく夕日を背に受けたその姿は、つい、日常にカメラを持つ者の足を本能的に止めさせる。その絵になる姿をカメラに収めることに夢中で、声をかけることなど忘れてしまっていた。
美奈穂の手にはあのお守りが握られ、それをじっと見つめた後に深々とため息をつく。そして沈んだ表情のまま彼女の姿は玄関へと消えて行った。
「こりゃ、あのお守りには絶対に何かわけがある。あんな美少女にあれほどの表情をさせるとはどんな男だ? 何としてでも暴いてやるっ!」
大の男が少女を相手に商売っ気だけでなく、勝手な妄想と嫉妬までつけ加えて燃えて(萌えて)いる。世の中いい加減スケベな変態が多すぎる。美奈穂の様な美少女が健全に育つのは骨が折れそうなご時世である。折れるどころか美奈穂は全身をつぶされかけたが。
翌日美奈穂は渋々、撮影現場の監督に例のシーンに家族からクレームが入ってそこだけ別人にすり替えて欲しい旨を伝えた。家族と言っても気に入らないのは祖父の源三だけなのだが。
「うーん、仕方ないな。美奈穂ちゃんはまだ中学生だし。保護者の意見は無視できないな」
『保護』どころか昨日は殺されかけたし、もう一人は家族ですらないのだが。
しかもその二人が本当に美奈穂が「そういうシーン」を撮らないか、確認すると言ってちゃっかり現場について来ている。どんなに二人をボコボコに殴りつけようが、強化下着の秘密を知っている二人に、美奈穂は結局逆らえないのだ。昨日はこの二人が現れてから美奈穂の体調が回復しているので、天野も二人には甘いようだ。
「とにかく今日のロケは確実に進行させよう。保護者の方もご心配なく。今日は街を歩くシーン中心ですから」
最近の特撮はCGを使うので、アクションシーンはスタジオの中が多いのだ。御守りスイッチの修理もあって、今日は美奈穂も強化下着は身につけていなかった。
撮影は順調に続いて行く。だが、スタントが得意な(という事になっている)美奈穂にとっては演技中心の今日の撮影は気の張る事が多い。スタントは強化下着がサポート……というか、ほとんどこなしてくれるのだが、頭の中はそうもいかない。特に台詞の間違いや言葉をかんでしまうのは致命的だ。NGを出してしまわないように、美奈穂は懸命に台詞を確認していた。
すると、スッと目の前に缶コーヒーが現れた。驚いて視線を上げると思わぬ至近距離にこの番組のヒーロー役である宏治の爽やかな笑顔がそこにあった。
「お疲れ様。もう体調はいいのかい?」
端正な顔立ちに好感度抜群な笑顔をされては、美奈穂も思わず頬を染めてしまう。
「はい、大丈夫です! あの、これ……」
「マネージャーの目を盗んで、ちょっと買いに行ったんだ。頭がスッキリするよ」
「え? わざわざ、買って来てくれたんですか?」
「昨日の今日だから心配でさ。せっかく共演してるのにあまり話す機会がなくて、声もかけたかったし。元気そうで良かった。美奈穂ちゃんはアクション以外の演技、まだ苦手みたいだね」
「すいません。あたし、下手で」
「あ、そんなことないって! 僕が中学生だった頃なんて、もっと下手だった。いつも頑張ってるなあって感心してたんだ。大丈夫、すぐに慣れるよ。僕とのシーンの時はいくらNG出しても気にしないから、のびのび演技すればいいからね」
「はっ、はい! ありがとうございます! 頑張ります!」
「じゃ、お互い頑張ろう」
そう言って宏治は缶コーヒーを美奈穂に握らせて去って行く。美奈穂は天にも昇る心地である。
お姫様だっこシーンがパアになったのは惜しかったけど、ひょっとしてこれって、怪我の功名ってやつじゃない? 周りの目を盗んでまでこうして心配してくれるなんて!
夢見心地ですするコーヒーは、苦いどころか甘くさえ感じる。飲み終えてしまったが、この缶を捨てるなんてもったいない! 自分のバッグにしまって、宝物にしようっと。
美奈穂はこれ以上ない上機嫌で自分のバッグを取りにロケバスに向かって行く。ところがそのバスに何故か見学者のはずの源三と正也が乗り込もうとしていた。
「ちょっとー! 何してんのよ。このバスは関係者以外立ち入り禁止!」
美奈穂がそう訴えると、正也はそれは嬉しそうな顔で、
「それがさあ、俺たちもエキストラで参加させてもらう事になったんだ。上着だけカメラ映りのいい色の物をここで借りるように言われたんだ!」
源三にいたっては、
「わしの、わしのテレビデビューじゃ! わしの演技を全国の人々に見せつける時が来たあああ!」
とまで息巻いていた。
「おじーちゃん。もしかして大人しく見学しないで、何か騒いだんじゃ?」
「騒いで何が悪い? わしは美奈穂を監視に来たと言うのに、ここの人間はわしを美奈穂に近づけさせん。保護者として抗議をするのは当然じゃ!」
やっぱり……。美奈穂は頭を抱える。そして心中で叫んだ。
監督ー! 天野さあん! 二人とも、甘すぎるよー! 何でこの二人、つまみださないのっ。
今日の撮影、どうなっても知らないからあ……!