《惨(さん)》後編
隊士の切腹は、夕暮れに西に向いて行われるきまりになっている。死んだ魂がせめて西方浄土に旅立てるよう、情けでお膳立てをしてやる。古くからのしきたりらしい。鬼はいるが盆暮れ正月がない新選組でも、この作法に則っているが、魂がさまよってこの世で祟りを起こさないように、との畏怖も入っているに違いない。
白い裃に着替えた総司は、庭の一画に作られている土壇場の脇に立った。
今回、切腹というか、処刑されるのは、田内知という隊士だ。
田内は、洛外八条村に密かに女を囲っていた。それだけならまだ黙認もされるが、女はほかの男……水戸藩士にも通じていた。ある日、田内は女を訪れたが、すでに手をつけた膳が出ている。酒徳利も数本が空いていた。女はそれほど飲める質ではない。田内が不審に思って部屋を改めたところ、押し入れから男がのっそりと出てきた。驚きを隠しつつ、田内は構えた。
「間男、覚悟っ」
相手は丸腰。勝機は自分の上にある。田内は勇んで刀を抜いたが、狭い室内のことだ。刀は男の頬をかすめただけで、あろうことか室内の柱にぐさりと刺さってしまった。汗で手が滑る。取り出そうにも動かない。
「あんた!」
女が加勢に入ったが、手にした刀を、女はなんと隠れていた男に渡した。断然有利になった男は、田内を見下ろした。まずい、やられると身の危険を感じた田内は、男に背中を向け、慌てて逃げたが間に合わなかった。田内は背中、それに両脚首を斬られた。焼けるような傷の痛みを負いながら、なんとか女の小家から這い出ると近所の家に助けを乞い、駕籠を呼んで本陣に帰り着いた。
「浪士どもに襲われた」
と、傷を説明したが、話の辻褄がどうにも合わない。傷のせいで錯乱している、そう同情的に言う者もいたが、副長の土方が田内の同輩を訊問すると、幹部にしか許されないはずの妾宅の存在が明らかになった。隊規の鬼である土方が、捨てておくはずがない。行ってみれば、女は男と逃げたあと。近所に聞き込みをしたところ、複数の男が出入りしていたという次第。田内の刀は柱に食い込んだままだった。田内自身にしてみれば必死の逃走だが、敵に背中を見せた行為は、明らかに士道不覚悟。
土方は田内に対し、ただちに今夕の切腹を命じた。
「戦うつもりだったんだ」
「お前の背中についた傷が、臆病さを物語っている。おい、こいつの傷の手当てをしろ。死なすな」
土方は小姓に命じた。
あくまでも、土方は冷淡だった。部屋を出る土方の脚をわざわざ止めさせて、総司は感想を述べた。
「傷は深い。あれでは、放っておいてもじきに死にますよ。処刑ではなく切腹とは、武士の温情ですか。見かけによらず情け深いですね、副長」
「うるせえ、黙ってろ。切腹は形だけ。たまに引き締めないと、隊が弛緩するだろ。ほかの隊士への見せしめにもなる。お前も女にかまけていると、末路は田内と同じだぜ」
「ご冗談を」
総司は笑った。
「沖田先生、助けてくださいぃ」
ああ、この隊士のことだったのか。
総司はようやく名前を覚えた。先日の稽古で、総司の機嫌を窺っていた隊士だ。
見捨てられた隊士は憐れだったが、この期に及んで、死にたくない死にたくないと総司の目の前で、涙と洟を垂らして喚いている。顔と名前も一致しなかった、隊士。新選組に入隊するぐらいだから、相応の腕と確かな野心の持ち主だったのだろうに。ようやく知ったと思ったら、もう別れるときだった。
薄浅葱の死に装束をまとった田内は、刻限になっても態度を改めなかった。
「おきた、せんせえ」
見苦しさを突きつけられると、さすがにこいつは新選組に要らないな、と総司は思い直した。いざ戦場では、使いものにならないだろう。土方の判断も頷ける。今は、闇雲に隊士の数を増やしたいだけではない。中身が伴わないと意味がない。
「甘えるな。罪を認めなさい。士道に背いたことを」
土方の言ったように切腹とは名ばかりで、実質は斬首だった。
「俺は、あの女に誘われたんだ! 路に迷ったとき、手を取られて、俺は情けをかけてやっただけだ! 土方の、非情者めっ」
『誘われた』ということばに、いささか思い当たるふしがあり、一瞬どきりとしたが、総司は自分を失うことはない。
「この……鬼の集団め。祟ってやる! 呪ってやる。こんなことでよ、いちいち隊士を殺していたら、新選組は終わるぞ。ああ、もう終わったな!」
自棄になった田内が、用意された刀に腕を伸ばしかけたとき、総司は検分役の土方が頷くのを確かめて、静かに任務を遂行した。闇斬丸が田内を薙ぐ。無駄に血が飛ばないように後始末も考え、皮一枚つないで首を落とした。つい今まで不平を垂れていた首は、己の死に気がついていないような、とぼけた表情を残していた。
近藤と土方に向かって一礼をして、総司は下がる。
やがて、うひひひ、と総司の背筋が凍るような声を挙げて、あいつらがやってくる。田内のものだった、血に、魂に、喰らいつきはじめた。同志の魂を魑魅魍魎に下げ渡すなど、自分はどこまで堕ちればいいのだろう。
慎重に斬ったから返り血は浴びていないが、匂いがついてしまった。気持ちを落ち着けてから、夜の巡察に出よう。総司は再度着替えた。
土方は、総司の様子をずっと観察していた。
総司のような剣の手練に、介錯をさせるのは久しぶりだった。最近の切腹における介錯は、新規隊士の度胸試しの場になることが多い。はじめての人斬りにためらい、何度も失敗して無惨に死の苦しみを与えられる憐れな処罰者もいる。
「総司の、あの刀。確か、以前は芹沢の持ち物だったな」
「ああ。闇斬丸、とかいう物騒な名だ」
「よく斬れる刀だ。それに、師匠の俺が言うのも妙だが、相変わらず見事な斬り口。ためらいも迷いもない。『人を斬る』ということを、自分から誘っているかのようだ。余計な痛みを感じないぶん、ある意味、田内は幸運か」
土方の隣にじっと黙って座っていた近藤がつぶやいた。同じことを考えていたらしい。
「だな。しかし」
土方には違和感が拭えない。総司の例のひとりごとが、今日は一回も出なかった。
『ひとり』
そうだ。人をひとり、斬ったはずなのに。剣捌きも斬り口も、近藤の指摘したように、鮮やかだった。思わず嫉妬したくなるほどに冴え渡っているが、総司の中で、なにかが変わってきている。いい傾向なのか、土方には判断がつきかねる。
総司にとっては、二十年近く一緒に暮らしてきた家族のような近藤に、包み隠すことなくすべてを相談するのが最善の法なのだろうが、今の近藤は多忙過ぎた。処理可能な能力を超えている。鄙に建つ一介の道場主が、政局に参加するまでに出世した。その上、伊東甲子太郎の一派が局内分裂を企んでおり、外慮と内慮に挟まれている格好だ。
総司の些細な心境の変化などで、これ以上近藤を惑わせたくない。局長近藤勇、大らかそうに見えて、実は細やかなのだ。心労から甘いものを過分に摂り、先日は胃を壊した。隊士には隠しているが、歯も穴だらけで実は固いものがよく食べられない。
よし、決めた。
土方は思い直し、総司の件はすべて自分だけで調査することにした。近藤に伝えるのは結論だけでいい。
「しかし、とは。なんだ、歳。次に続くことばは」
土方が考え込んでいたのを見て、近藤は遅れて訊いた。不審そうな顔をして、土方の答えを待っている。新選組の看板にこんなしけた、情けない顔をしてもらっては困る。土方は近藤の広い背中を気合づけに、とん、と手のひらで一回叩いた。
「総司には、これまで隊を牽引してもらったが、今後もまだまだ働いてもらうぜってことさ。あいつの剣は、敵にも、味方にも、憎らしいほどに斬れるな。その時がきたら、俺も総司に介錯してもらいてえもんだが、鬼とまで呼ばれるこの俺が、総司の剣で安穏に死ねるわけねえか」
冷ややかな視線を投げ捨てた土方は、からからと笑って誤魔化ながら立ち上がった。
田内の死体はすっかり片づけられて、もうなくなっていた。
四章に続きます