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《逃(に)》後編

 総司は巡察からの帰り道、隊列からひとり抜け出して、仏光寺界隈のとある裏店に入った。ここには、新選組で使っている、泰助(やすすけ)という小者が隠れ住んでいた。正規の隊士ではないが、良質の情報網を有している。

 歴史ある京に生きている町衆は、地方から流れてくる余所者を信用しない。京の探索をさせるには、町になじんだ人間のほうがいい。

 小者らには、俸給のよさも受けているようで、意外に仕事に忠実な者が多い。泰助もそんなひとりだった。

「泰助、いるかい」

 四十をいくつか越えたものの、ひとり身で気楽な泰助は昼寝を貪っていたようだが、総司が声をかけると驚いて目を覚まし、小柄な手足を伸ばした。探索の手先、ということで動くのは夜が多いのかもしれない。

「これは珍しい、沖田はんか」

 泰助は頭に敷いていた座蒲団の表を数回ばんばんと強く叩き、総司に勧めた。男のひとり暮らしの部屋に、埃が舞っている。思わず総司は、顔を顰めた。

「悪かったね、お休み中に。調べて欲しいことがあるんだ」

 総司は『話が済んだら、すぐ帰るから』と、手で座蒲団を押し戻す。潔癖な総司は、あまり陽の当たらない泰助の部屋の座蒲団を、とても使う気にはなれなかった。

「へえ。沖田はんがわしに、調べものの依頼どすか」

「そうだ。調べて欲しい人がいる」

 新選組に雑用をこなす小者はいくらでもいるが、総司にはこの泰助ぐらいしか思いつかなかった。泰助とは、何度か土方の供として会ったことがある。そもそも、総司は職掌上、小者がどこに何人いるかなどよく知らない。監察をまとめ上げている副長の土方ならば、全把握しているだろうが、いつも総司は命じられて動くだけだ。

「人? 長州でっか、薩摩どすか」

「いや。……む、娘だ」

「は?」

 泰助は、ぽっかり口を開けて総司を眺めた。こういうことに慣れない総司は、うまい嘘や言い繕うすべを知らない。咳払いで誤魔化した。

「正直に言おう。私用なんだ。お礼は弾むから、特に副長には内密で」

「土方の旦那に? それは厳しいことやね。ばれたら、士道不覚悟やおへんか」

「そこを、なんとか頼む。泰助にしか、お願いできない」

 総司は前もって用意しておいた包みを渡した。ずっしりと骨に響く重さで金の過多を判断した泰助は、とたんに笑顔になった。

「へえへえ。差し支えない範囲の調査なら、やりまひょ。で、恋のお相手は、島原? 祇園? それとも、上七軒どすか」

 泰助は京の名だたる花街を、ずらずらと列挙した。

「いや、色町の女ではない。河原の娘だ。鴨川の、七条河原あたりに住んでいる、紅蘭という少女のような娘について、知りたい」

 泰助は、すぐに察した。

「ああ。河原の業巫のことどすか」

 総司は驚いて目を見開いて身を乗り出した。窪んだ泰助の目が、すぐそばにある。

「なに、知っているのか」

「そりゃ、有名どすえ。妖しい陰陽師の占い小屋に咲く、娘や。さすがの沖田はんも虜にされたんか」

 なるほど、と泰助は早合点している。

「そういうわけじゃない。ただ、行きずりに知り合ったから、どんな娘か分かりたくて」

 総司は紅蘭との出逢いの経緯は伏せ、小屋や父母、妹のことなどを話して聞かせた。あれから何度か脚を運んでみたが、紅蘭はおらず、さりとて河原者の目をかいくぐってまで、小屋の中を覗く勇気はやはりなかった。生まれ育ちは貧乏だったとはいえ総司、折り目正しい武士だ。好奇心だけで、人家を覗いたりはできない。

「なるほど、なるほど。河原の業巫をものにしたい、というわけどすな。こいつは、厄介かもしれへんで」

「金は、多少かかってもいい。わたしは、あの娘を」

 ……助けたい? 救いたい?

 いや、少し違う。

 手に入れたい。自分の言いなりにしてみたい。あの眼で、自分だけを見てほしい。笑いかけてほしい。魑魅魍魎の呪縛から、自分を解放してほしい。

「あの通り、いかがわしい商売やから、それなりの情報は入ってくると思うんやけど、込み入った事情は」

「分かる範囲で構わない。わたしは隊務が忙しくて、なかなか動けないし、目立つから。それと」

 総司は自分の袂を探り、葉を取り出した。別れ際に、紅蘭がくれたものだ。

「紅蘭が持っていた葉だ。これについても調べられるか」

「へえへえ。こいつは、薄荷どすな。懐かしや」

 泰助は葉の香りを軽く嗅いだだけで、名前を言い当てた。

「へえ、詳しいな。薄荷。知っていたのか。手に入ったら、少し買ってきておくれ」

 娘を身近に思い出すよすがとして、薄荷の葉を手もとに置いておきたかった。泰助はじっと薄荷を眺めている。

「よう分かりました。でもなあ、沖田はん。恋のためとはいえ、わしが動くと、誰かはんの口から土方の旦那に届くで、必ず」

「どうせ、土方さんにはいつかばれるさ。あの人はなんでも自分が見てきたかのように、隊を掌握している。でも、なるべく勘づかれるのを遅らせたい。そのあたりは、泰助の匙加減ひとつで変わるはずだ。頼むよ」

 泰助を持ち上げつつ、念を押してから総司は立った。話がつけば長居は無用。泰助の家にいるところを、いつ誰に見られるか、内心冷や冷やしていた。

 総司は裏口からそっと身を滑らせて、濃い夕闇に溶けた。浅い春の一日の陽は短いから、身を隠すのに好都合だった。


 数日後。

 総司は本陣の大広間で飴を舐めていた。子どもじみているとよく笑われるが、これはやめられない。幼いころは貧しくひもじく、いつも甘いものに飢えていた。酒よりも、甘味が総司の空虚を慰める。しばし、贅沢な至福のときを過ごす。

「沖田はん」

 接触してくる者がいた。泰助だ。近くに人がいないのを素早く確かめて、庭先から総司を呼んだ。

「差し入れどす」

 有名老舗の包みがかけられている、箱。ひと目で菓子折りだと分かる。甘いものはいくらあっても困らない。総司は素直に喜んだ。

「ありがとう」

「部屋で召し上がっておくれやす。土方の旦那の所用で参上しとりましたが、副長はんは甘いものを召し上がらへん。せっかくやから、これは沖田はんに」

 そこまで言われて、ようやく気がついた。はなから泰助は、菓子を土方に渡すつもりなどなかったのだ。箱の中には、総司の依頼したものが入っている。

 悟った途端に、総司は緊張した。慣れないことはしないほうがいいとは、真実だ。闇斬丸で流す血さえ見なければ、晩生の若者のひとりでしかない。

「ありがとう、じゃあ早速」

 背中に冷や汗が吹き出している。隊士の目はないか、辺りを窺った。箱の中身で明らかにされているだろう、紅蘭の正体は如何。やけに鼓動もうるさく、耳に響いてくる。人を斬るときはもっと冷静でいられるのに。たかが娘ひとりのことでうろたえるなど、沖田総司の名が泣く。

「ほならわしも、これで」

 泰助も職務上、本陣に出入りしているところをあまり人に見られたくないようで、用件が済むとすぐに消えたがった。

 箱には、ほんとうに総司好みの菓子が入っているようで、ふわふわと甘い香りがする。無意識のうちに総司は、箱を恭しく大切そうにかかえながら部屋に戻るべく、廊下を歩いていた。

 その様子が奇妙に映ったのだろうか、廊下で運悪く副長の土方に呼び止められてしまった。もっとも会いたくない相手に、だ。泰助からの報告を聞き終わり、これから出かけるところの様子。

「なんだ、その箱は。大切そうに抱えやがって。玉手箱か」

「土方さんの苦手な、甘いものです。今日は寒いから、甘いものが美味いですよ」

 話を逸らそうとしたが、土方は喰らいついてきた。勘がよすぎる。

「暑くたって、年がら年中菓子を食べているだろ、お前は。ちょっと、中を見せろ。あやしいな。誰かが持ってきた菓子か」

 土方は強引に総司の手から箱を取り上げた。

「泰助さんに、そこで偶然会ったんです。土方さん、お菓子が食べないでしょ。あっ、乱暴に扱わないでください」

 目の前で、包みがびりびりと破られてゆく。土方は、わざと総司の動揺を煽っているとしか思えない。中には、早春を彩る、梅の花を模した菓子がふたつ、美しくほっこりと並んでいる。

「紅梅と、白梅か」

 紅梅は紅蘭。白梅は、妹か。姉妹を表していると、すぐに分かった。ごくり。総司は息を飲み込んで、止めた。

「なんでぃ、中身はほんとうにただの菓子かよ。つまらねえな。てっきり人目を忍んだ恋文でも入っていると読んだのに」

 土方には、総司と会話する泰助の姿を見られていなかったらしい。あぶなかった。普段は稀薄な仲の総司と泰助が接触しているところを押さえられていたら、ただでは済まなかったはずだ。さすがは泰助、菓子で土方を誤魔化すとは目端が効く。ありがたい。

 ならば、箱に仕掛けがあるはずだと、執拗に主張しはじめた土方だったが、近藤付きの小姓に呼ばれた。廊下の奥に消えかけたところ、急に止まってひとこと釘を差す。

「いいか、その箱。捨てずに取っておけよ」

 まだ言うのか。土方の強硬さにうんざりした総司は、返事をしなかった。


 部屋に帰ってしっかり襖を閉めたのを確認したあと、ふたつの菓子をそっと取り出して丁寧に箱を調べたが、これといった情報はない。隠し文でもあるに違いないと思ったのは、穿ち過ぎか。ほんとうにただの菓子だったのか。総司は、半ば自棄で紅梅を口に運んだ。

「うっ」

 やわらかいもの、と決め込んで口に入れたが、歯に固いものがぶつかった。違和感に襲われ、ぺっと吐き出してみれば、梅の種だ。

「種か」

 なぜ菓子の中にこんなものを、と種を恨めしく眺めていると、一回半分に割って再びくっつけたような痕跡がある。総司はもう一度口の中に種を含み、えいっと噛んでみた。

 出た。

 種が割れて、隠し文が出てきた。

『香堂の坊主』

 手の込んだ真似をするものだ。土方の追跡を逃れようと、泰助は楽しんでさえいるに違いない。

 菓子の白梅には種もなく、なんの細工もなかった。

 もし、土方が菓子に手を伸ばすならば、それは白梅のほうだろう。常日頃から『梅はいい花だが、紅梅は色も香りもきつ過ぎて、くどい。梅は、やはり白梅に限る』と口癖のように言っていた。

 総司は笑みを浮かべて菓子を食べ終わると、急いで下駄をつっかけた。西本願寺の向かいに建つ、香を取り扱う店に飛び込む。

 京でも指折りの大寺の門前には、仏具などを商う店や、各地の檀家が泊まる旅籠が並んでいる。その一画に、件の店もある。総司と、ここの少年とは顔見知りだった。以前、西本願寺の、新選組本陣に使っている敷地に紛れ込んで迷ってしまったのを、総司が確保して送り返したことがある。

(たける)くんはいらっしゃいますか」

 総司が呼ぶと、健はすぐに走って出てきた。嬉々とした満面の笑顔で。

「こんにちは、健くん」

「沖田のおっちゃん、こんにちは」

 まだまだ若いつもりの総司。隊の幹部ながら、年齢は下から数えたほうが早い。『おっちゃん』呼ばわりには内心傷ついているが、少年から見れば総司は立派な『おっちゃん』だろう。総司はしゃがんで、健の目線にまで下りる。

「誰かから、なにか預かってないかな。おっちゃん宛てに」

 こくり、健は頷いた。髪がふわりと揺れた。

「また遊んでおくれやす、おっちゃん」

 懐から文を差し出した健は、総司に注文をつけた。

「うん。きっとまた」

「絶対約束やで。あとこれも、渡すように言われてん」

 差し出された巾着の中を覗くと、透き通るような薄荷の香りが広がった。同時に、紅蘭の顔が浮かぶ。

「ああ、薄荷か。ここで売っているんだね」

「そうや。香りのええ葉やし。胸が、すうっとするわ」

 健の頭を撫で、総司は香堂を出た。自分の部屋には戻らないほうがいいだろう。どこか、邪魔の入らない、静かなところで読みたい。一応、誰かに尾行されていないかどうかを確かめてから、総司はそろそろと南に下った。新本陣の建築現場のほど近くに、寂れた不動堂がある。あそこなら誰もいないはずだ。


 総司は、巾着から薄荷を一枚取り出して噛んだ。胸がすっと醒める。緊張が少しほぐれてゆく。

 紅梅。これは、紅蘭のことだ。

 白梅。こちらは、妹・白露(しらつゆ)を指す。

 紅蘭の一家は、昨年の夏の終わりごろから河原のあの場所に住み着いたという。どこから来たのかは不明。

 父の陰陽師・蘆屋道鏡は名の通り、平安時代の大陰陽師である安倍晴明(あべのせいめい)の宿敵・蘆屋道満(あしやどうまん)の流れを汲んでいると豪語している。母も一族の者らしいが、姉妹にはまるで似ていない。これは、総司もそう思っていたところだ。陰陽師は夫婦で紅蘭を餌に、宣託と称して客から金を巻き上げているが、客も紅蘭見たさについ金を積んで、結果的に夫婦の懐を暖めている。

 紅蘭は、河原に移り住んだときにはすでに労咳を病んでいた。不思議な踊りの最中に喀血することも珍しくないという。外見は幼く見えるが、既に娘盛りの十七。美しさのゆえ狙う者も多いがあの病ゆえ、生娘だろうともっぱらの噂。紅蘭についている客は、邸を賭場として提供してせこせこ儲けている下級の公家や、迷信深い大店の商売人。宣託を求めて、というよりほとんど紅蘭目当てらしい。

 白露、八歳。紅蘭とともにどこかから拾われてきたか、攫われてきた様子。初夏には、島原に身売りすることが決まっている。ほんとうは紅蘭が売られるはずだったが、病のため話がこじれて急遽、矛先が妹になった。

 総司は息を詰めながら、一気に報告文を読んだ。

 無学で力もない姉妹は、父母の言いなりの人形。その身を削ってどんなに稼いでも、己は一銭も手にしていない。紅蘭の粗末な姿が瞼の裏に蘇る。顔かたちが美しく整っているだけに、余計に目立ってしまう。

 紅蘭を、姉妹をなんとかしたい。あのままではふたりとも、定命を待たずに死んでしまう。自分にかかった呪いを解くのは、その後ででもいい。総司は駆け出していた。

毎週水曜or木曜日に一話ずつ更新する予定で、本編は十章構成です

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