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《逸(いち)》前編

 もともと、都の物の怪と約定していたのは、新選組前局長の芹沢鴨だった。

 構わず浪士を退治していたところを、認められたらしい。芹沢一派は、上京当初は浪士組と呼んでいた新選組の存在を知らしめるために、盛んに人を斬っていた。人斬り。金。酒。女。そんな荒んだ芹沢に、物の怪は魂をたやすく手に入れるために、声をかけてきたらしい。よく斬れる刀を授けよう、と。譲り受けたのは千年の都に生きる妖刀・闇斬丸やみきりまるだった。闇斬丸は意思を持っているかのように、巧みに相手の刀をかわし、一撃で肉を突く。

 闇斬丸を手に入れた無敵の芹沢は増長し、芹沢一派の横暴を黙認あるいは追従する者が増え、新選組隊内の勢力均衡は崩れた。

 もうひとりの局長・近藤は乱暴な芹沢の専横を憂い、これを始末することにした。

 雨の夜。闇討ちに見せかけて、芹沢その人を倒したのは総司だったが、闇斬丸の物の怪は総司の身にうつった。

『我ヲ、知レ。魂ヲ捧ゲヨ』

 黒い物の怪の声が聞こえるようになった。魔剣の呪縛に、総司は絡まれた。何度も手放そうとしたが、捨てても質に入れても、どうしてもどうやっても、総司のもとに帰ってきてしまう。破壊しようともしたが、刀は妖力で守られているらしく、石を投げても跳ね返されてしまう。喰らうための魂を求めて、総司を人斬りの悪夢に狂わせる。憑かれたように人を斬る日々に、副長の土方だけではない。局長の近藤も、心配した。

「本来の総司は、虫も殺せない、やさしい青年だ。気分転換を勧めよう」

 近藤の提案を受けた土方は、総司の行いを糺そうと、色町によく連れ出した。あらぶる血を鎮めてくれるのは女、と諭すために。

「どうだ、楽しいだろう」

 遊び上手な土方は、ここが自分の庭だと言わんばかりに、自慢げにひけらかした。

 しかし、遊里で売っている人形のような女には、欲情できなかった。その世界に馴れた女たちは、美しいことには美しい。芸事も巧みで、酒もそれなりに美味いが、金はかかるし、恋の駆け引きは面倒で、突き抜けるものが感じられない。『楽しい』の押売りも、総司には通じなかった。



 がらんとした自分の居室。気まぐれで手折った梅の枝が転がっている。水に挿してもいないから、すぐに枯れるだろう。

 本陣に帰った総司は、夜が明けるまで一睡もせずに、壁に寄りかかっていた。

 いま、本陣は静かだ。

 現在の新選組本陣は、西本願寺内にある。壬生の屯所が手狭になったとき、強引に借り上げた場所だ。長州贔屓の西本願寺を黙らせるには格好の策だった。

 ここも、間もなく出てゆくことが決定している。新選組の遣り口に根を上げた寺側は、ご丁寧に移転先を用意してくれたのだ。それを受けた新選組は、まるで大名のような新本陣を不動堂村に建築中だ。洛外とはいえ、ひとつの城を築き上げるような気持ちになっている。

 先ほどの斬り合いに参戦した隊士たちは、総司よりも遅れて帰隊したあと一斉に、足取りも軽やかに島原の遊郭へ向かったらしい。それでいい。人を斬って、血に迷って、自分のように悩んでしまったら、負けだ。信念を貫かねば、隊務をまっとうできない。

せいぜい、楽しむがいい。

 上京したとはいえ、いつでも江戸に帰れるように、総司は身の回りのものは極力増やさないようにしてきた。京の人斬り暮らしは疲れた。それに、水が合わないせいか、体調もあまりすぐれない。夏の暑さ、冬の底冷えは特にこたえる。だが、都は不穏に包まれており、新選組筆頭の隊士である自分が抜けることはできない。そもそも、隊規に定められてある通り、脱走は厳罰。

 夜よ。早く、明けろ。

 総司は、白梅の蕾をむしり取った。手のひらからこぼれた蕾は、斬られた人の首のように、ころころと畳の上を転がってゆく。

 一番鶏が鳴く前に、総司は本陣をそろりと抜け出し、南に向かった。



 総司は、鴨川の土手をひたすら歩く。

 ……眠い。

 どうやったら、この刀と離れられるのだろうか。闇斬丸は捨てても埋めても、総司についてきた。

 焦っていた総司はずるずると足を滑らせて、河原に下りてしまった。

 このあたりは貧しい民の住まいになっている。お世辞にも家屋とは呼べないようなあばら家が、ぽつりぽつり建っている。

 滑り落ちたときに脚を少し、捻ってしまったようだ。どれどれ、と袴をたくし上げてみる。足首が痛む気もする。不注意すぎる自分に、苦笑いをした。

 すると、総司の前に人の影があった。

「だいじょうぶだったかしら、お兄さん。足、捻っていませんか。このあたり、たまに大きな石がごつごつしているから」

 少女の声に、ぎくりとして総司は足を止めた。長居したくない場所だというのに。

 粗末な身なりをした娘が、川の流れに細い足を浸して立っている。あろうことか、膝まで見えるような丈の着物だ。それに、梅が咲きはじめたばかりで、川の水は身を切るように冷たいはずなのに平気な顔をしている。

「見かけない顔ね。うちは初めての、お客さん……かしら」

「客?」

 そう。娘は頷いた。

 髪も結わずに、後ろでひとつにゆるく束ねただけ。歳は、ようやく十を越えたぐらいだろうか。小柄で、とても痩せている。あまり健康そうではない。青く、血色のよくない顔だが、恐ろしく整っている。引き締まった眉、大きく見開かれた意思の強そうな眼、天に向かって伸びた鼻、紅をはいたような赤すぎる唇。形のよい顎。驚くほど細い手足。

 これは。総司は息を飲んだ。

 総司が鋭く観察していた矢先、娘はこんこん、と二回、乾いたいやな咳をした。

「ほんとうは、小屋を通さないと叱られるけど、いいわ。ああ、その前に」

 ざぶざぶと川から上がってきた娘は、自分の袖で濡れた足を軽く拭くと、軽く湿らせてきた布切れを、捻ってしまったらしい総司の足首にくるりと巻いた。凍るような冷たさに、総司は顔を歪めた。

「冷たすぎて、しみるよ。あんな川に、よく入れたものだね」

「禊だから。仕事のうち。それよりお兄さん、上等そうな着物で羽振りがよさそうね。まず、どうぞこれを召し上がれ」

 ……禊? 総司は聞き返そうとしたが、娘の動きから目が離せなかった。

 娘は、懐から一枚の葉っぱを取り出す。乾燥させた、青い葉だ。

「よく噛むのよ」

 冷たい物言いのまま、娘は指先で葉をくるっと丸めたあと自分の口に含み、ゆっくり噛み砕きはじめた。総司の意識が、いっせいに娘の赤い唇に注がれる。そこだけが別の生きもののように、うねうねと動いている。

「お兄さん、はい。こっち」

 娘の小さな手のひらで、総司は後頭部を押さえつけられたと感じた瞬間、唇が重なっていた。

隙があった。幼そうな娘のほうから、こんな行為をしてくるとは微塵も思わなかった。どこか甘い、涼やかな心地よさが全身を巡る。総司は目の前の娘を夢中で抱き締めて、快感を貪った。娘は互いの体を離そうとやや抵抗したが、総司はそれを許さなかった。

 唇を吸っていると、この清涼感は先ほどの青い葉からきているのだと気がついた。娘の口移しで葉を受け取り、噛む。痺れるような爽やかさだ。

 川に浸かっていた娘の体は、すっかり冷えていた。体に熱を帯びはじめた総司には、心地よく感じるほどに。

 総司はもちろん、次第に娘も昂ぶって、その場に崩れ落ちた。

《逸》後編へと続きます

十章構成、全20話の予定です

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