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《捌(はち)》後編

 どうにもやりきれない。

 紅蘭に逢ったら、なにから話そうか。描いていた以上に、陰陽師に操られていた紅蘭は汚れていた。体で、金を巻き上げていた。実の父からも。

 決心していたはずなのに、動揺している。

 そして、総司に新しい使命が生まれた。陰陽師夫婦を斬る。斬るしかない。血を見たら魂をまた喰いたくなる衝動に駆られそうで、怖い。人を斬り、魂を欲するなど、自分が人の道からどんどんかけ離れてゆくような気がする。だが、紅蘭の過去を捨てて将来を守るためには、避けては通れないが、

「土方さん。わたし、やはり陰陽師を斬ります」

 総司の答えを聞いて、土方は同意して深く頷いた。

「そうだろ。それしかねえよな。新選組の監察を使ってもいいから、見つけ次第始末しようぜ。やっぱ、この前やっておくべきだったな。鬼の副長が無駄に慈悲を与えても、いいことねえ」

 昔馴染みの総司の前だから、土方は蓮っ葉な喋り方をした。

 泰助には暇を出した。自ら処刑すると息巻く土方をなだめ、総司が逃がしてやった。新選組にも紅蘭にも陰陽師にも関わらないという内容の、誓紙を書かせて。土方は甘いと手ぬるいと息巻いたが、土方との約定を破ればどうなるか、泰助はこの数年間に、さんざん見てきたはずだ。抗争に縁のない場所で、ひっそりと暮らすだろう。

「ま、焦るな。お前は、どーんと構えて、あの娘を安心させてやれ」

「はい」

 育ての親を斬る。紅蘭が知ったら、どうするだろうか。幸い、白露は紅蘭の娘ではなく、異母妹だったことが判明したが、いかがわしい仕事で荒稼ぎしていた事実は消えない。

 家の前で土方と別れた総司は、暗い面持ちで門をくぐった。辺りはすでに薄闇に包まれている。

「ただいま」

 家の中の空気がどんよりと淀み、重い。すべての戸を締め切っているせいかと、総司は考えを巡らせたが、違っていた。

 紅蘭が大量の血を吐き、蒲団の上に倒れていた。

 血だ。

 白い肌が血にまみれている。総司はどきりとして一瞬、ためらった。まさか、命に。血の匂いに誘われてか、背中に負った物の怪が蠢いている。総司は、懸命に物の怪の気配を振り払った。

「こ、紅蘭っ」

 力を振り絞って駆け寄れば、紅蘭には意識があり、意外としっかりしていた。体もあたたかい。

「総司はん、済みません。お部屋とお蒲団、汚してしまった」

「そんなことはいい。白露は? 下働きの女は?」

「白露は、近藤局長の家。下働きのおりき(・・)はんは、私が帰しました」

 なんだってこんなときに限って、誰もいないんだ。総司は歯噛みした。

「苦しかったものは、全部出してしまったから、だいぶ楽です」

「医者を呼んでくる」

「いや。そばにいて、総司はん。どうせ治らない病だもの。お医者はんは要らない」

 紅蘭に求められたら、総司は動けない。紅蘭を自分の居室に移し、片づけは明日しようと思った。総司の頭には、紅蘭の容体しかない。夕餉を食べ損ね、紅蘭に過去を問うことも忘れていた。だが、看病の甲斐あってか、紅蘭は微熱ながらも朝までよく寝ていたから、総司はひとまず安堵した。

 白露が帰ってきたのは、翌日の午すぎだった。紅蘭を南部医師に診せて帰宅したところで、ちょうど一緒になった。

 さすがの総司も、小言を繰る準備ができている。紅蘭を寝かせてから、総司は白露に説教をする。

「白露。病の紅蘭を置いて、近藤さんの家に入り浸りとは、どういうことか」

 これを聞いただけで、白露はめそめそと泣きはじめた。それほど強く責めたつもりはないが、まだ八つの少女だった。

「申し訳ありません。ついついおこうはんがおやさしくて、長居してしまって。姉の紅蘭を疎かにしているつもりはないの。あちらはんも、近ごろ旦那さまが間遠で、寂しそうだから。かんにん、沖田はん」

「子どものきみに、紅蘭の世話が全部できるとは思っちゃいない。だがね、暗くなる前にはこちらへ戻ってきなさい。三軒隣とはいえ、京は物騒なんだよ。それに、近藤さんの訪れなんて、白露が心配することじゃない」

「へえ、すんまへん。でも」

 白露は、総司に意味深長な流し目をくれた。幼いくせに、男にくれてやる媚をよく知っている。

「うちが、ほんまに子どもだと、まだ思っているのかしら、沖田はんは」

 その顔は、総司がうろたえるほど、紅蘭に似て艶めいていた。ふくよかでつやつやとした頬が、痩せている紅蘭よりもいっそう眩しく映る。白露本人も、己の魅力もよく分かっているらしく、わざと総司を誘うように見せてくる。十にもならないくせに、白露は男を惑わせるあらゆる手管を有しているようだった。よき手本の紅蘭を見つつ、育ての母親が仕込んだのだろう。もしかしたらこちらのほうが、手ごわいかもしれない。

 総司は口ごもった。紅蘭は隣の部屋で寝ているはず、だが。

「と……とにかく、わたしから、おこうさんにもよく言っておく。これから稽古だし、日暮れまで家を空ける。くれぐれも紅蘭を頼むよ。喀血したばかりなんだ」

「へえ。沖田はんは、真面目やね。沖田はんは、紅蘭ばっかりかわいがって。うちとも、ちょっとぐらい遊んでくれたら嬉しいのに」

 聞こえない振り。総司は襖を閉めた。

 紅蘭が、わたしに妹の白露を押しつけようとしていることは白露も知っているらしい。冗談じゃない。わたしは紅蘭を愛しているんだ。紅蘭を。白露に一刻も早く教育をつけさせなければ、ただの莫迦で淫乱な女になってしまう。ここは、河原とは違うのだ。

 おこうさんにも、よくお願いしなければ。白露の面倒を見てくれるのはありがたいが、白露はまだ子どもだ。子どもらしく、素直に育てたい。そう、八つの子どもなのだから。自分に言い聞かせるようにして、三軒隣の近藤の妾宅を訪問した。

「困ります。大人びていますが、白露は八歳。夜は家に帰してください」

「うちも、ひとり寝が寂しくて。近藤はん、最近また、ええ人が増えたでしょ。白露ちゃんも、総司はんと紅蘭はんの仲を邪魔しとうないのよ。たまには、泊めてもええでしょ」

 白露は子どもなりに、心得ているのだ。総司の家は、隣室の声が筒抜けになるほど、狭い。居心地がよくないのかもしれない。

「けれど」

「白露ちゃんは、姉思いのええ子どすえ。どうか、責めないでやっておくれやす。字を、勉強しはじめたんどすえ。文を読みたいって」

「文?」

「そうどす。親御はんから、よく便りが……あっ」

 言い過ぎたと、おこうは両手で口をおさえ、顔を青くした。鈍いと言われる総司にさえ、よく伝わる動揺を見せた。

「親、と言いましたね。まさか、河原の陰陽師からですか」 

 ぶんぶんと、強くおこうは首を振った。

「し、知らへん。詳しいことはうち、知らへんのどす」

 明らかに様子がおかしいおこうに、総司は畳みかける。

「そうか。夜、泊めているってのも、嘘ですね。白露は、夜な夜な出かけている……陰陽師のところへ?」

「うちは知らへんのや、沖田はん。ただ、見逃してくれって言われて。ここに泊まったことにしてくれって、頼まれて。黙っていて、えろうすんまへん、沖田はん」

 やられた。子どもだと思っていた白露に、してやられた。白露は、子どもの仮面をかぶった鬼なのか。

 総司はとって返す。

『親と引き離された』と白露は、あたかも悩んでいるかのように演じて見せた。真相を知らないおこうは、白露に同情しているだけだ。親から引き離された。病気の姉には甘えられない。姉には恋人もいる。白露は、おこうの気持ちを狡猾に利用した。

 総司は自分の家に戻ったが、姉妹はいなかった。

 家の周囲も、ぐるりと見渡す。

 ふたりの姿はない。紅蘭の、また喀血したらしい鮮やかな血だけが畳の上に残されている。

 喉が乾いて、からからに張りついている。逃げられたのか。これで何度目だ。それほどまでに河原が恋しいか。とっさに、総司は河原に向かって走りかけた。

 だが、本陣での稽古時刻がすぐそこまで迫っていた。紅蘭を追うような時間はない。総司の脚は止まった。身を引き裂かれそうになりながら、総司は紅蘭を諦めた。


「まだまだっ!」

 総司は隊士を薙ぎ倒した。稽古だから、真刀ではなく木刀とはいえ、浅くても手が決まるとかなりの衝撃を受ける。隊士は総司が繰り広げる剣に、次々と悶絶した。

 あまりの厳しさと激しさに、見かねた斎藤が立ち上がった。

「天然理心流は、武骨で野蛮な剣だな」

 斎藤のことばは、ただでさえ荒れている総司の心を深く抉った。

「なんですって」

 自分のことはいくら言われても構わないが、道場や流派のことを蔑まされ、総司は黙っているわけにはいかない。

 総司は斎藤に飛びかかった。抵抗しない斎藤は冷たく、見下ろしていた。つい、勢いで総司は斎藤の胸倉をつかむ。

「今のことばを、撤回してください。天然理心流を侮辱するということは、宗家の近藤局長を貶めていることと同義です」

 斎藤の目に反省の色はまったくない。それどころか、総司を挑発してきた。

「なるほど。また女に逃げられたか。何回逃げられれば済むのかな、沖田さん」

 たったひとことだったが、総司の感情に火を注ぐには充分過ぎた。これには斎藤も応じ、殴り合い、蹴り合いの剣士らしからぬ喧嘩になる。

「あなたに、なにが分かる」

「へん、図星か。凶暴な剣は振るえても、女子どもにはとことん甘い」

「黙れ。すぐにでも、紅蘭を探しに行きたい気持ちを押し潰して、稽古をつけているわたしの身にもなれってんだ!」

「知るか。そっちの内情なんて、興味ない。隊士が迷惑だ。乱れた剣を振りかざすなんざ、稽古じゃない。ただの八つ当たり、暴力だ」

 斎藤も、いつもの斎藤らしくない。いやに噛みついてくる。仲裁役の土方が道場に辿り着いたころには、殴り合いの喧嘩は終わっていたが、ふたりは互いに数ヶ所、顔や体に傷跡を作っていた。

「莫迦か。隊士の前で、幹部がなにやってんだ。みっともねえ」

 息を切らしつつも、先に立ち上がったのは、斎藤だった。明らかに総司を軽蔑している風で。

「たかが、女で心が乱れるなんて、見損ないましたよ、沖田さん。大したことない流派ですね、天然理心流」

「なんだと。斎藤、今なんて言った」

 土方も斎藤を呼び止めたが、斎藤は弁明どころか振り返りもしなかった。残された隊士は、横目で総司を見ている。総司は床の上に大の字になって倒れていた。

「やられたのか」

 土方が手を貸して起こそうとしてくれたが、目の前がくらくらする。耐え切れず、総司は双の手のひらで顔を覆った。じわじわと涙が滲む。なんの涙なのか。どういうつもりなのか。

「やられました。思いっきり。自分ばかりか、剣まで莫迦にされました」

 声が震えていた。斎藤に侮辱されて、悔しくてつい我慢できなかった。紅蘭の失踪を言い当てられて笑われたことが、口惜しい。非は自分にあるのに、外へ向けようとしている自分が情けない。

 やがて、傍観していた隊士たちが、総司と土方を置いて、ひとりふたりと去っていった。


「帰ってくるかもしれないだろ。捜す気が起こらないなら、じたばたせずに待つんだ」

 近藤はそう言って総司を慰めてくれた。大らかな近藤の笑顔を見ていると、楽観的に好意的に考えたくなる。気遣いはありがたい。だが、到底叶いそうにない。

「だと、いいのですが」

 総司は苦笑して、曖昧に頷いた。

 剣が強くても、好きな女すら守れないような腕前。なんのために刀を握ってきたんだ。わたしの剣で倒れた人々の無念はどこに行けばいい。ひとりきりであの家にいるのが怖い。ぐずぐずしていたら、紅蘭の病がひどくなる。薬を持ち出した様子はない。おそらく、京のどこかで陰陽師と合流しているはずだ。捜したい。けれど、体が動かない。何度も逃げられ、裏切られ、もう疲れてしまった。陰陽師を断てばいいのかもしれないが、信じられない。

「ならば、歳に任せろ。今回ばかりは、あいつのほうが熱心に行方を追っているじゃないか。近いうちに見つかるぜ、心配するな」

 そうなのだ。

 姉妹失踪を聞いた土方が、隊の監察を総動員して紅蘭を追っている。新選組の監察は優秀だ。前回の、北白川のときのように、二、三日中にはきっと見つけ出すだろう。

 ……しかし。

 見つけても、同じことの繰り返しではないのか。

 紅蘭はわたしより、陰陽師のもとで生きることを願っている。強い暗示のせいかもしれないが、到底勝てそうにない。一度は陰陽師を斬ると決心したが、私怨のみで人を斬るにはやはり後ろめたかった。隊命ならば、とことん無情になれるものを。狩りをして、忘れればいいのだから。だが、陰陽師はそうもいかない。紅蘭と白露を見るたびに、思い出すだろう。

 近藤は、おこうが幼い白露の計略にはまっていたことを知らない。白露はおこうを言い含めて、あたかも白露を家に預かっているような証言をしていた。まんまと外出した白露は、陰陽師と連絡を取り合っていたに違いない。総司も、八つの少女に騙されていた。

「戻ります」

 紅蘭と過ごした家に帰るのは足が重いが、もしかしたらという僅かな思いも頭をもたげる。近藤はいつもより明るい笑顔を作って、総司を送った。


 部屋に、紅蘭の不在が悲しく広がる。

 紅蘭が吐いた血の残る着物を抱き締め、総司はひたすら孤独に耐える。喀血に苦しんでなければいいが。総司は紅蘭たちが迷わず戻って来られるように、毎晩明かりを消さずに寝た。あたたかい家の光が、紅蘭に届くように。

9章に続きます

毎週水曜更新予定です

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