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《捌(はち)》中編

 あれから数回、隊務の合間に河原に行ってみたが、陰陽師の姿はなかった。紅蘭を救った日、諸悪の源である夫婦にとどめを刺しておこうと土方は息巻いたが、総司が反対したから陰陽師追跡の件は手つかずになっていた。一家が一時潜伏した北白川にも陰陽師の姿はないらしい。しょせん河原者、またどこかへ流れていったと考えるほうが自然だ。

 笑顔こそないが、穏やかな紅蘭。日に日に打ち解けてゆくかわいい白露。憂いはないはずなのに、いまいち安らげない総司。

「あれ、泰助」

 稽古を終えて本陣内の自室に戻ろうとすると、総司は庭先で小者の泰助の姿を認めた。紅蘭の一件では、かなり骨を折ってもらったが、礼を言っていない。結局は土方に寝返ったし、先にまとまった金を渡してあるとはいえ、このままでは総司の気が済まない。

「おーい泰助、こっち。わたしだ」

 総司の投げかけた声が耳に入り、ぎくりとした泰助は『へ、へへ』と薄笑いを浮かべただけで、一目散に逃げ去った。

「なんだ、妙なやつ。せっかくねぎらってやろうと思ったのに」

 こちらが同情を寄せていても、向こうさんは違うらしい。正真正銘の文無しだと知られているのか。総司は口を曲げながら、木刀をぶんぶん振り回して歩いた。ちょうど、土方の副長室の前だった。障子が静かに開いたかと思うと、名前を呼ばれた。

「総司、上がれ」

 部屋には、難しい顔をした近藤も座っていた。近藤の大きな口からは、幾度もため息が漏れる。土方も付き合いの長い三人の前とあって自身を虚飾せず、文机に頬杖をついたまま動かないでいる。

 話はなかなかはじまらない。稽古で流れた汗を拭いたら休息所に……と言うにはまだ照れがあるが、早く家に戻ろうと思っていたのに。焦れた総司は口火を切った。

「話って、なんですか。おふたりで呼び止めておいて、いつまでだんまりしているつもりです」

「生意気な口を叩くようになったな、総司よ」

 苛ついた土方が総司に詰め寄ったのを、近藤がいなす。

「まあいいじゃないか、総司も家を構えた余裕が出てきたんだろ」

「その家だが、な」

 ここでまたしばしの沈黙が続く。近藤はともかく、煮え切らない土方というのは珍しい。

「申し訳ありませんが、わたし。稽古上がりで体が冷えそうなんです。話せることがまとまっていないなら、次の機会にしてくれませんか」

「わかった。言おう。もったいぶっても、いつかは言わねばなるまい。たった今、泰助が調査報告を入れてきた。紅蘭の正体が割れたんだ」

「紅蘭の?」

 その名に、総司は噛みついた。

「そうだ。ご推察通り、あの娘は下級とはいえ、公家の娘だったんだ」

「公家、ですか」

 意外でもない。なるほど、頷ける。長く河原にいたとはいえ、紅蘭にはどことなく貴さが感じられる。

「ちょうど十年前、幼い姫が邸から盗まれたという公家がいてな。普通なら家を挙げて慌てるところだが、金のない下級の公家はこれ幸いと、その赤子の存在を忘れていたというのだ。もともと下働きの女に生ませた子だったらしいから、これで里子に出す手間も省けたと、当時は単純に思っていたらしい」

 近藤はそこまで言って、土方と顔を見合わせた。そのあとは土方が続けるらしい。近藤は副長室を出た。

「なぜ、分かったんですか」

「こいつだ」

「薄荷、ですね」

 土方の手のひらの中には、薄荷の葉が載っていた。清々しい香りがあたりに広がる。

「この葉について、総司は以前、泰助に調査を命じただろう」

「はい」

「その下級公家は、薄荷の葉が取れる土地を荘園にしていた。山城の……宇治の奥にある、長池という土地らしいが。とにかく、そこで取れる薄荷を京で売っていた。人手のない公家自らが行商人に身を窶して、薄荷を卸しに行った市で再会したのが、紅蘭だ。紅蘭は、陰陽師の手先になって京の町を暗躍していたらしい。公家のほうでは、実の娘だとまったく気がつかなかったが、陰陽師の差し金もあってか、やがて紅蘭のほうから公家に近づいてきた。美しい少女に成長した紅蘭がわが娘とも知らずに、愚かな公家は骨抜きにされ、残った金を吸い取られたらしい」

「待ってください。紅蘭の暗い過去は、聞きたくありません」

「俺だって、こんな話はできればしたくない。なるべくあの娘を神聖化したいだろうが、これはお前のために話している。最後まで聞くんだ。薄荷のことを調べていた泰助は、もと公家という人物に出会った。紅蘭に入れあげてすっかり金がなくなった公家は、家族に逃げられ、位を返上して邸も畳み、ほんとうにただの薄荷売りに身を落とした」

「そんなの、もと公家で薄荷売りの妄想でしょう。第一、白露はどうなっているんですか」

「白露のことまでは、調べが進んでいない。泰助に任せていいものか、俺も悩んでいたから。河原で生きるためのすべを仕込んだのは陰陽師どもだろうが、紅蘭を孕ませたのは客の誰かかもしれねえ。まさかとは思うが、知らずに実の父親が、ということもある。ま、年端のいかない当時の紅蘭を弄ぶなんざ、鬼畜に違いねえ」

 紅蘭が、ほんとうに白露を生んでいたとしたら。ようやく十になるころのできことになる。あり得るのだろうか。

「信じられない。紅蘭が客に受けたから、公家のところにいた紅蘭の妹も一緒に使おうと、陰陽師が攫ってきたんでしょう。その、薄荷売りとやらには、どこに行けば会えますか。問い糾してやる」

「泰助は、向かいの香堂に出入りしているのを、偶然捕まえたらしいが……おい、総司っ」

 土方が追いかけてくるのが見えたが、総司は待てなかった。健たちが去った香堂は、毎日ほとんど店を閉めている。新選組が援助すると取り決めはしたが、店内には売るものがない、人もいない。旦那の看病を続けている店の者がひとり、残っているだけだ。

「ごめんください、沖田です」

 店の戸を割れんばかりにしつこく叩いていると、店の者が出てきた。

「これは、沖田はん。どないされました」

「もと公家の薄荷売り。近ごろ見かけていませんか」

「薄荷?」

「この葉です」

 総司は乾燥した葉を見せた。すっきりしたさわやかな香りが漂う。

「ああ。長池の葉やったら、扱うとりましたよ。どうかしはりましたか」

「この店に、葉を持ってきていた男を探しているんです。名前は分かりませんが、ひとり身で、もと公家の」

「そりゃ、泰助はんやろ。あんさんところで使ってはる」

「泰助? まさか」

 総司は追いついてきた土方と顔を見合わせた。諜報好きの土方も、これには珍しく驚いている。

「あれ、知らへんのどすか。うちは、お公家はんのころから泰助はんと、お付き合いさせてもろうとります。市で会ったのが縁どしたな。以前は、泰長《やすなが》と言わはって。遡れば藤原道長、藤原北家の血筋やと、伺うております。新選組での下働きがけっこうな収入になるから、薄荷売りは辞めた、といつか言わはっておりましたな」

 そういえば、泰助は薄荷のことを知っていた。すぐに用意してくれた。昔の伝手があったのか。

 紅蘭のこともよく知っていた。いや、しかし、顔はどうか。似ていない。紅蘭と泰助。紅蘭、泰助。ふたりの顔を交互に思い浮かべる。泰助の顔は、目立たない。群衆に埋没する、無個性な顔立ちで、他人に印象を与えづらいから、小者には向いている。一方の紅蘭は、大輪の花が咲いたようにあでやかで、人の興味を惹く。似ているとは考えにくい。

「泰助か。俺としたことが、迂濶だった」

 放心状態の旦那をついでに見舞いたいところが、そうも言っていられない。

「やられたな。さっきあいつ、しばらく京を離れるようなことを匂わせていた。そろそろ身元が割れると、なんとなく察したのかもしれねえな。くっそ、騙された。小賢しいやつめ」

 総司と土方は、泰助の家に急いだ。泰助は小さな荷を背に負い、まさに家を出ようとしているところだった。目線が合う。驚いた泰助は目玉を丸くした。

「泰助! 逃がさねえぞ」

 その名前を厳しい口調で呼んだのは、鬼の副長土方歳三。泰助は飛び退いた。

「ひーっ」

 部屋を転げ回る泰助の両腕を土方はつかんで、身を確保した。土方と泰助では、はじめから勝負にならない。

「逃げるな、妙な真似はするな。本陣まで来い」

「わ、悪いことはしておらん。少し嘘をついて、ほんの少し黙っていただけや。許してくれ」

「お前への詮議は、本陣で行う」

「ひーっ、お、おお沖田はん、助けておくれやす。かんにん。拷問されとうない」

 泣きながら、泰助は総司に助けを求めた。本陣で行っている厳しい拷問の方法は、ほとんど土方が考えたものだ。

「莫迦。拷問するなんて、ひとことも言っていない。尋問だ」

「土方さん、本陣へ連れていくことはないですよ。話は泰助の部屋で聞きましょう」

 泰助の部屋を見渡すと、家財道具が一切なかった。前から荷物らしい荷物はなかったが、試しに土方が開けてみた押入れもすっかり空だ。

「てめえ、高飛びするつもりだったな」

「も、申し訳ありまへんっ」

 明らかに不機嫌な顔で、土方はどっかりと腰を下ろした。もちろん泰助を逃がさないように、戸を背にして。総司も庭に通じる障子の前に座り、泰助の退路を断った。前に、鬼の副長。後ろに、新選組一の剣の使い手。這い出る隙間はない。

「どういうことだ、この片づけようは」

「うひひ。土方の旦那、ゆ、言うたはずどす。しばらく出かけるって。へ、へへ」

 必死に笑ってこの場を繕おうとする泰助に対し、土方はなにか言いかけたが、それをため息に変えた。呆れたらしい。

「総司、お前が取り調べろ。俺がやると、喧嘩越しになっちまう。先に手が出るかもしれねえ。総司のほうが、こいつも話しやすいはずだ」

 厄介だな、総司は厭わしく思ったが、これまでに自分が知ったことを手短に話して聞かせた。泰助はいっそううろたえる。

「い、いえいえ。話します話します。どなたはんにでも、すべて隠さず話します。どうか、本陣だけはかんにんを」

「しつこいやつだ。早く話せ」

 土方に凄まれて、泰助はますます萎縮した。

「へ、へえ。あの、沖田はんから紅蘭の名前を聞いたとき、いつかこうなる日が来ると、思うとりました。紅蘭は、わしの娘どす。紅蘭の胸乳には、葉に似た形の痣があるでしょう、沖田はん」

「どうなんだ、総司」

 土方がせっついてくる。

「ありますよ。ありました。右の胸に」

「あれは生まれたときから消えておらへん、痣どす。正直あれを見るまでは、美しい紅蘭が、自分の娘だとは思えへんどした。攫われた娘が生きていてよかったとほっとした反面、実の娘なんてなんとも悔しい……紅蘭を抱けへんから」

「自分の娘に発情するなんて、畜生以下だな」

 尋問は総司が、と言いつつ土方は盛んに口を挟んでくる。この性格は、きっと直らないだろう。

「せやかて、紅蘭の体に抗えますやろか。誘うような目つき、奮いつきたくなる肌や」

「それでいて、いつも初々しい。わかりますよ、わたしもそれで落ちた」

「莫迦かお前ら。俺は無視したぜ」

 紅蘭が総司の女ではなかったらどうにかしていた、と白状していた土方だったが、それはなかったことにしているらしい。

「わしが実の父親だと、紅蘭は河原の陰陽師に言われて知っておったようどす。承知で紅蘭をわしに近づけて、誘惑させた。わしは罠とも見破れずにまんまと嵌り、すっからかんや。借金のかたに、さらに下の娘を奪われた」

「それが、白露ですね」

「へえ。白露は、わしの正妻から生まれた姫君やった。下女を母に持つ紅蘭は、いなくなっても正直、わしも邸の人間も、それほど騒がなかった。けど、総領姫の白露は、紅蘭とは扱いが違う。立派な公家の姫さまや。なのに、わしの放蕩のせいで、どうにもならなくて、陰陽師のところへ泣く泣くひそかに売り、家も位も失い、妻にも離縁されよった。しばらく、もと持ち物の荘園で取れた薄荷の行商を細々とさせてもろうて。末席とはいえ、公家のわしが堕ちるところまで堕ちて、ここまで立ち直るにはずいぶんと時間がかかったんやで。新選組の小者になってから、ある程度金が自由になったから、薄荷の仕事は辞めておったんどす」

「お前の苦労話は要らない。貧乏自慢なら負けねえぞ。上京したばかりのころは、俺たち新選組もひどいものだった」

「土方さん、話が逸れていますよ。西本願寺前の香堂にも、薄荷を納めていたんですね」

 泰助は頷いて肯定した。

「あの店は、香木や練り香だけやなく、あらゆる香りの収集に熱心やった。旦那の趣味やろな、きっと。けど、香りが紅蘭との出会いになったようどすな」

「紅蘭と白露の素性を知ったとき、あなたが引き取って育てる、そんな思いはなかったのですか」

「今さら無理や。何年も離れとった。わしには眩しゅうて、自分の娘としてはもう見られへんし、紅蘭はもちろん、白露もどっぷり河原の生活が染みついとる。沖田はんも、うまくいかへんのやろ」

「人のことはいい。お前の話を聞いている」

「ひー。わしが、話せるのはこれぐらいや。紅蘭と白露には強い暗示にかけられておるから、河原の陰陽師のもとに何度でも走るはずや。もっと監視しなはれ。柱に縛りつけなあかん。手っ取り早く、陰陽師を始末したほうがええかもしれへん」

「それはこちらで考えます」

「陰陽師どもは斬るしかねえな、総司」

 交わされる会話は、総司の考える三歩先を進んでいる。

後編に続きます

毎週水曜日更新予定です

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