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《斜(なな)》後編

 総司が次に目が覚めたときには、副長室だった。天井の木目が、自分の居室とは違う。調度の配置も、部屋の匂いも、違う。

 芹沢最期の夢を見ていた、のか。目を開けて、そのままぼんやりとしていた。

 外は明るい。総司はふわふわの蒲団に寝かされていて、あたたかだった。誰かが運んできたのだろう、これは自分の蒲団だ。

 遠くで鶯の鳴き声がする。室内では、定期的に墨を磨る音がする。

 こうしていれば、のどかな早春の長寝ではないか。ずっとこのままでいたい。安穏に包まれていたい。もう一度、目を瞑ってしまいたい。

 だが。

「やっと起きたか」

 いつもの土方の声だ。

『やだなあ、そんなに長く寝ていませんよ』

 総司はそう言っておどけようとしたが、思うように体が動かなかった。目は覚めているのに、起き上がれない。

「急に動くな。お前は、ずっと寝ていなかったんだ。よく眠れるように、ちょっと強めの薬を飲ませておいた。まだ効いているかもしれねえな」

「……く、すり」

「ああ。寝不足で、幻覚でも見ていたんだろ。南部先生にもらった薬を、酒で流し込んである。寝てろ」

「そんな、無茶な。石田散薬じゃ、ないのに」

 石田散薬とは、土方の実家で製造販売している万能薬だ。新選組の常備薬にもしてある。水ではなく、酒で飲むとよく効くらしい。

 総司は、考えがまとまらない。ただ、眠りが浅くなったから一時的に覚醒したものらしい。また強い眠気に引きずり込まれそうになる。いや、しかし。薄れゆく意識の中で、総司は必死に紅蘭のことを思った。そうだ、寝ている場合ではない。

「紅蘭を、助けたい。彼女を。土方さん、紅蘭の出自を調べて、ほんとうの家に帰せませんか」

 うわごとのように繰り返し述べる。しかも、総司は睡魔を振り払おうと噛みつかんばかりの勢いで、必死だ。虚ろな目でしつこく縋られても気味が悪い、土方は後退した。

「分かった。分かったから、今はとにかく休め! 新選組の筆頭剣士が人斬り狂で、飲むように血を浴びて笑っていたなんて、冗談じゃない」

「そうではありません。土方さんも知っているでしょう、わたしの刀のことは」

「芹沢の……刀のことか」

「はい。闇斬丸は、死を誘う刀です。太刀筋が、普通の刀とはまるで違うんです」

「根拠がないことを気にしているから、惑わされるんだ。確かにそいつはいい刀かもしれねえが、お前の腕は、京に来てからも確実に上達を続けている。戦っても、俺にはもう勝ち目がないだろうな」

「ですから」

 血と、魂なんだ。闇斬丸が求めているものは。総司はぐっとことばを飲み込んだ。いくら説明したって、病人の戯言と判断され、理解してはもらえないだろう。闇斬丸の件は持ち越しだ。まずは、紅蘭を。

「頼みます。紅蘭のことをお願いできるのは、昔馴染みの土方さんだけなんです、もう。どうすればいいか」

「まだ、言うか。しかも女みたいに、めそめそするな」

「紅蘭は、わたしの心を奪ったんです。体を奪ったつもりで、わたしはすべてを奪われていた。紅蘭に残された長くはないだろう日々を、大切にしたい。わたしの目に届くところで、静かに余生を過ごさせたい。できれば、真実の家族に会わせてやりたい」

 幼くして両親に死別した総司。自らも、父母との縁に薄かったため、いつしか紅蘭に自分を重ねていた。

「かわいそうな紅蘭。河原に攫われて、体をこき使われて、病を得て。妹は売られそうになって。ああ、違った。すでに売られていたんだ」

 蒲団にくるまりながら、眠気に襲われたくない総司はとわずがたりを続けた。土方の存在も忘れ、心に思っていることを、とりとめもなくつらつらと並べるだけだ。

「今、どうしているんだろう。紅蘭。この腕に、抱きしめたい」

 自分勝手だろうか。病身の紅蘭の肌を寄せたい、なんて。横暴な思考には萎えるが、紅蘭の体を知ってしまった総司は、紅蘭なしでは生きられない、とまで思いつめるところまできていた。物の怪に憑かれた体を癒してくれるのも、紅蘭しかいない。

 土方は総司を憐れむでもなく、冷ややかでもなく、複雑な思いで眺めていた。助けてやりたい。初めて本気で好いた女と、総司の縁を結んでやりたい。これまで隊のために働いた休暇を与えてやりたい。しかし、相手は労咳。近藤が許しても、躊躇が残る。心から祝えない。

 総司が知ろうとしない事実を、土方は知っていた。そもそも、娘が総司を好いていないことを。娘は総司のことなど、見ていない。空しい片恋なのだ。

 それでも、できる限りのことはしてやろうと決めた。きっと結末は悲しいものになるだろう。知らないほうがよかったと言われるかもしれないが、苦しい恋から総司を救うには、真実を突きつけることしか残されていない、と土方は感じていた。

「この先、きっとつらいぜ。人斬りより、きついぜ。覚悟しておけよ」

 土方は総司の寝顔に語りかけた。顔をしかめて寝ている総司の眉がひくひくと動いたような気がしたが、寝息は正しいままで、乱れはなかった。

8章に続きます

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