《斜(なな)》中編
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あの夜。
増長はなはだしい芹沢鴨一派を処分するように、秘密裡のうちに会津藩から沙汰が下っていた。新選組は会津藩お預かり、反対はできない。
「ようやく、あれを始末できる」
会津藩に判断させるように、わざと芹沢を暴れさせたのは土方だった。新選組は隊の人数が増えるに従って、団結力が弱まり、また生活には困らないだけの給金が入るだけあって、自堕落な風潮が生まれていた。
芹沢は、ゆるんだ隊内を引き締めるどころか、さらに乱した。潔癖な近藤とは次第にそりが合わなくなり、隊は割れんばかり。
近藤が一軍の大将ならば、芹沢は一個の英雄だった。振る舞いは粗雑でも、芹沢は人をひきつけるものを持っていた。結成直後は芹沢の磊落さと人脈が大いに役に立ったが、近藤一本でまとめたい土方にしてみれば芹沢は邪魔だった。
総司は芹沢をやる、と聞かされたとき、反対だった。近藤はやさしい。芹沢のような、押しの強さがない。
「役割分担ではいけないのですか。あるいは、分派など」
「芹沢は新選組をいつか、破滅させる。己の所業で、な。それに今、分派を言ってみろ。芹沢について行きたいと言い出す隊士のほうが多いぜ、きっと」
「そんなまさか。温厚な近藤さんの人柄は、皆に慕われていますよ」
「お前には、近藤さんに育ててもらった恩義があるからな。やさしいだけじゃ、世渡りできねえんだよ。世の中っていうのは、そういうものさ。ましてや乱世、俺は近藤さんで隊をまとめてみせる。せっかく京まできたんだ、多摩には帰れねえ。百姓になんか、なりたくない」
土方には意地があった。わりに裕福な家の子だったが、所詮百姓だと軽んじられてきた暗い記憶が、土方を走らせている。白河藩士の父を持っていた総司には、理解できない。
「今夜の宴のあと、だ。やつに、さんざん飲ませて潰す。屯所に帰ったところを討つ。実行部隊は、井上さん、原田、お前と俺。迅速に行う」
「酔わせた上に、騙し討ちですか」
総司はあきれた。武士のやることではない。
「なんとでも言え。新選組の存続がかかっているんだ。芹沢を生かしておいたら、粛清されるのは俺たちかもしれない」
「近藤さんは」
「あの人は局長だ。裏の仕事は、全部俺が担う。それに、芹沢は相当の使い手だ。やられるかもしれねえ。あるいは、よくて相打ち。近藤さんには居残ってもらって、宴会の引き延ばしをやってもらう。早々に帰られたら困るからな」
ずいぶん前から準備していたようだ。土方は、宴の直前になってようやく同志を集め、芹沢抹殺を命じた。局長の近藤はただ同席しているだけで、ひとことも発しない。土方発案の、闇討ちに同意しているのだろうか。腕を組んで目を閉じている近藤の表情から、内面までは汲めなかった。
どちらかというと、総司は芹沢に敵意はなかった。近藤とは違う種類の人間だが、剣は強いし、人を従える力を持っている。
宴は、隊士の慰労会の形をとって、屯所からもほど近い島原の遊郭で開かれた。今夜の資金は、会津藩から出ている。これ以上、芹沢は飼えない、ということだ。失敗すれば新選組そのものが潰される。
総司は芹沢を呑ませた。自分も呑んだ。芹沢の傘下に入るつもりはないし、闇討ちを拒否すれば土方は総司ですら始末しようとするだろう。最初から、総司の意見など、ないに等しい。
「芹沢先生がお帰りだ。総司、駕籠をご用意しろ」
それが合いことばだった。土方は、甲斐甲斐しく芹沢の帰り支度を手伝い、芹沢派の数人も一緒に帰らせる。芹沢以外の隊士は、特筆するような腕前ではない。芹沢さえ確実に始末できれば、あとはどうにでもなる。
「もう少し、お酔いになられては」
とどめのように、ほほ笑みを浮かべた土方は屯所に酒と、それぞれの馴染みの女をも送り込んだ。酔わして、潰し、寝かせる。
総司は傘を差して、駕籠の後ろをついて歩いた。雨が、足音と気配を消してくれる。土方は、芹沢が寝てから襲うと決めていたが、今ここで自分ひとりが行動したらどうだろうか。駕籠を止めて、芹沢を引っ張り出す。そして、真剣勝負を挑む。それが、武士の情けではないのか。
……芹沢さん。
総司は呼びかけそうになった。いや、半ば名前を呼んでいた。総司の髪を引っ張る者がいる。誰だ、と思って振り返れば、そこには土方が立っていた。
「黙って、送ればいい」
読まれていた。総司の裏切りを。土方の、切るような目が総司を睨む。総司は自分の胸の中が、かあっと熱くなるのを感じた。恥じている。
土方は、再び物陰に隠れた。
総司は耐えた。
「お帰りなさいませ」
芹沢の子分たちは酔いが回っているから、使い物にならない。代わって総司が芹沢の脚を拭いたり、酒を部屋まで運んだ。芹沢はだいぶ酔っているものの、自分の脚で歩いている。子分どもは各自の女に任せた。
暗い廊下を渡る。
「おつかれさんどした」
芹沢の部屋の襖が開く。乱れた足音で気がついたのだろう、芹沢の女が待っていた。お梅は色白の美人だが、頭が弱い。少し飲み直すだろうが、あとは流れに任せるだけだ。
「おつかれさまでした、芹沢局長」
一刻。
総司たち決行班は、芹沢が寝静まるのを待った。黒づくしの着物に、黒頭巾。誰にも姿を見られないように。はじめは刀の手入れをしたり、釘のゆるみがないかどうか確かめたりと、戦闘準備に余念がなかったが、声がかからないので眠くなってしまった。
「そろそろ行くぞ」
長かった。
土方がようやく号令をかけた。仕事の分担は、芹沢襲撃に総司と土方。手下二名を井上と原田。相方の女は、抵抗しなければなるべく逃がしてやれとの通達だ。
「総司、欠伸するな」
緊張感がないと、頭をこづかれた。
「はいはい」
それぞれが、打ち合わせどおりの位置につく。
「お前、遺書残してきたか」
土方は声が震えている。さすがに緊張しているらしい。
「は?」
「辞世の句だよ。歌とか」
不覚にも、総司は笑ってしまった。土方は真面目顔だった。
「いい。なんでもねえ。俺の早計だ。絶対、仕留めるぞ」
「ええ、もちろんです」
死ぬ覚悟で、土方は出てきたらしい。自分は? 総司は、どうにでもなれ、という気持ちだった。
初太刀が勝負だ。芹沢に力では勝てない。先に深く斬り込んだ者が勝ちだ。
総司は、芹沢の部屋の襖を蹴破ると、片方の蒲団の中心に刀を突き刺した。もう片方の蒲団には、同じく土方が刀を落ろした。
手ごたえは、あった。重い。人の肉を斬った、感触。芹沢だろうか。総司は期待した。
「こっちだよ、土方くん。沖田」
完全に失敗した。芹沢は寝ていなかった。肘掛にもたれて、縁側に向いて座っていた。刀も手繰り寄せている。相当酔っているはずなのに、平然としている。
では、斬ったのは? 総司は蒲団を剥がした。
「お梅を、団子みてえに斬りやがって。莫迦な女だが、そこが気に入っていたのによ」
総司が斬ったのは、芹沢の女だった。室内は暗かったが、胸をひと突き。苦しむ暇もなかっただろう。土方の襲ったほうは蒲団の塊で、中には誰もいなかった。
ふと、芹沢が手を伸ばした。その先に、ぼんやりと光る筋が浮きはじめている。
「おう、沖田には見えるのか」
光は、お梅の胸から出ていた。芹沢は、光をわしづかみにしてむしゃりと喰った。
「うまいぞ、ぐひひひ」
「うまい?」
総司は首を傾げた。
「ああ、新鮮な魂だ。舌でころがし、溶ける具合が。喉越しもいい」
「なにを言ってんだ。総司、芹沢も」
会話についていけない土方は、肘で総司を押した。
「だから、お梅さんの体からなにかが出てきて、それを芹沢さんが……」
「常人には見えねえんだ。沖田、俺を殺しに来たんだろう。殺れよ。こいつをお前にやろう」
芹沢の愛刀、闇斬丸。ひょい、といかにも気軽に芹沢は闇切丸を投げた。
拍子抜けだ。調子が狂う。初めて手にした闇斬丸は、見た目よりも軽く、使いやすそうだった。なによりも美しい刀紋が、総司の心を奪った。
「そいつを持っていれば、新選組は安泰だ。よく斬れるぜ。特に、人がね」
そう言いながら、芹沢は着ていた浴衣の前をくつろげた。
「だがもう、飽きた。あとはお前らに任せた」
「でしたら、最期は切腹を。土方さん、芹沢さんを」
「面倒だ。沖田、やれ。芹沢局長は謎の暴漢に襲われて死亡、だろ。筋書きは。切腹されてしまっては傷口を見られたときに困るなあ、土方副長」
一枚上手を取られた土方は、悔しそうに唇を噛んでいる。
「はい、おっしゃる通りです。総司、芹沢局長の言うようにしろ」
薄闇の中で、芹沢の目だけが盛んにぐるぐると動いている。総司は自分の刀をしまい、闇斬丸を抜いた。吸いついてくるかのように、総司の手のひらに納まった。
「新しい宿主の登場に、刀がさっそく喜んでいるな」
笑っている。芹沢は死を前にして、余裕だった。死を厭う人ならば斬れるが、ここまで諦観されると逆に迷う。
「なぜですか。逃げてくれていいんですよ。それか、わたしはあなたと勝負がしたい」
「総司っ」
正直に気持ちを訴える総司を、土方は強くたしなめた。
「闇斬丸に振り回されるのは、もう疲れた。新選組も、どうでもいい。近藤にくれてやる。沖田、お前なら俺の刀を継承できるぞ。あれが見えたからな」
あれ、つまり梅の体から出ていたものか。
「わたしは少し、妖力を秘めているってことですか」
「おお。ただの剣術莫迦と思っていたが、なかなか、もの分かりが早いな。憑かれやすい体質なんだろ。その点、土方は現実主義だからな。沖田の剣の力は、増大するだろう。斬れば斬るほど凄みを増し、強くなるだろう。さあ、差せ。突け。斬れ」
総司は静かに闇斬丸を構えた。雨は止んだようだが、部屋はなお暗い。しかし、芹沢の姿ははっきりと見えた。
「よせ、総司。様子がおかしい。芹沢を斬ったら、とんでもないことになりそうじゃねえか」
「なにを急に。らしくないなあ、土方さん。あの人は、斬られたがっているんですよ、今。この機を逃したら、どうなることやら。芹沢さん、いきます」
「だめだ、総……」
きらりと一閃。土方の制止も聴かず、太刀筋も鮮やかに、総司は芹沢の腹を突いた。総司の情けだった。苦しまないように。体に無残な傷を残さないように。
『ぐひひひ。いいなあ、血は。魂は』
まさか。総司は耳を疑った。刀が喋ったような錯覚に陥ったのだ。それに、自分が目測していたよりも芹沢の前で、刀が何寸か伸びたような気がした。立ち竦む総司をよそに、幻聴は続く。やがて声だけでなく、幻聴は黒い塊となって芹沢の体から出てきたものを、喰った。先ほどと一緒だ。お梅の体から浮いてきたものを食べた、芹沢の行動の再現だ。
「た、たましい?」
『そうだ。俺はこいつを喰う。お前は、どんどんこいつを貢げ。新選組一の使い手だ。難なくこなせるさ』
芹沢の声をした黒い塊は、哂ったように見えた。そして、刀身にしゅうしゅうと吸い込まれた。
自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。あの笑い声が、耳に張りついて離れない。芹沢の意識は声と一体になり、闇斬丸の中に入った。
隣で土方がなにか叫んでいたが、総司は立ち尽くした。すぐに刀を手放せという内容だったようだが、闇斬丸は総司の手から離れなかった。
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《なな》の後編に続きます




