《斜(なな)》前編
傷ついた心を隠し、総司は巡察の先頭に立った。
監察から、不逞浪士潜伏の情報がもたらされた。隊に、緊張が走る。久々に血の流れる予感がした。
斬る。斬りたい。血を見たい。
途中、斎藤が率いている隊と合流し、道中軽く打ち合わせを済ませる。
「沖田さんの隊の、死番は」
うちの隊は誰々、斎藤が名前を挙げたが総司は聞いていなかった。
「わたしが行きます。いや、行かせてほしい」
本来、もっとも危険な死番……実戦で先頭になって斬り込む役を、新選組では輪番制にしている。戦において、死は常に意識するべきものだが、いざとなると尻込みしてしまう者もいる。土方は死地を平等に分け合い、肝を鍛練するよう、順に担当させる制度を考えた。
この日の死番もいたはずだが、総司は部下に有無を言わせなかった。斎藤だけが、口を挟む。
「勝手に輪番を乱したら、あとでまずいことにならないか」
「我が隊は、新選組の中でも精鋭の者だけで組まれている。怯懦なやつは皆無だ。死番も、特に志願者がいれば、その隊士に任せている。今日はたまたま、わたしだっただけのこと。件の家には、まずわたしが入る」
「そうかい。ならば、これ以上は言うまいが。よし、我々は沖田さんの働きぶりを、後ろから見守るとするか。せっかく意気込んで来たが、出る幕がないかもな」
「やだなあ、しっかり援護してくださいよ」
総司はおどけて見せたが、心はすでに血を求めていた。今夜の血で、気味の悪い物の怪をおびき寄せ、斬れないだろうか。斬れないなら、突いてやる。不気味さゆえに、総司は今まで正面から物の怪と対峙することを避けていた。
今夜限り、闇斬丸も焼き捨てるつもりだ。
浪士の隠れ家は、入り口が小さく、間口が長い普通の町家だった。小ぢんまりとしていて、さっぱりした感じのむしろいい家だ。輩が潜んでいるようには見えない。
「新選組です」
隠れ家の出入口を隊士の人壁で迅速に塞ぐと、総司は先頭に立って颯爽と乗り込んだ。
「逃げても無駄です。この家は、完全に包囲されています」
中には、新選組の急襲を微塵も知らなかった様子の浪士が、のんびりと女の晩酌で呑んでいた。
「ひいっ」
刀を抜いて構える総司に驚いた女が、お銚子を畳の上に落とした。こぼれた酒がじわじわと吸い込まれては広がってゆく。
ふたりか三人だと聞いていたが、それらしき男は目の前にひとりしかいない。どこかに隠れているはず。総司は空気の乱れがないか、耳を澄ました。息遣い。身じろぎ。衣擦れの音。いくら場数を踏んでいても、斬り合いになれば平静心は乱れるものだ。
おとなしく浪士が縄につけば、血は流れない。斬り捨てを許された新選組だからといっても、やたらめったら人を斬りまくっているわけではない。捕縛して護送など、穏便な対処がほとんどだ。だが、血を望んでいる今夜の総司は、軽く笑みを浮かべて相手をわざと挑発した。
「お仲間はどこですか。言わないと、少し痛い目に遭いますよ。痛い目にね、ふふっ」
「誰が言うか。斬りたいなら、早く斬れ。いつかはこうなると思っていた」
諦観している浪士の潔さに、総司は腹が立った。あがけ、もがけ、武士ならば刀を持ってぶつかってこい。
「せめて最期ぐらい、抵抗してみないのですか」
「阿呆か。この家は、すっかり包囲されているんだろう。暴れたところで、もはや無駄ではないか。お前、剣は使えても頭は悪いのな。ほら、わしを捕まえて、拷問なり処刑なり、好きなように連れていけよ。女には手を出すな」
蔑むような浪士の目線が突き刺さる。そこまで愚弄するか。
一気に詰め寄ると、総司は浪士の首を刎ねた。切り口からは、天井に向かって勢いよく血が吹き上がる。わざと派手に血が飛ぶように、総司は斬った。
「あっ」
短い悲鳴が、前と後ろからほぼ同時に上がった。女と、総司の配下の隊士たちの声だ。
「……ひとり」
赤い血が、心の傷口を埋めてゆくように流れる。そうだ、血がほしい。黒い物の怪を、呼べ。
総司は、絶命した浪士の胸をさらに刺す。薄笑いながらなぶり斬る新選組の沖田総司を見て、女は部屋の隅に目を送ってから、失神した。総司は、それを見逃さなかった。残りのお仲間は、押入れの中だ。
「ありがとう」
遠慮なく、女の胸もひと突き。女はあっけなく畳につっ臥した。こぼれた酒のしみの上を、血が覆った。
「これで、ふたり」
出て来い、物の怪。沖田総司が成敗してやる。
わざと豪快に血を吹くようにばかり人を斬ったから、総司はかなりの返り血を浴びていた。頬から唇に流れてきた血を袖で拭うが、血を染み込んだ着物もかなり重くなっている。
「女の血は不味いな。わたしは、女の体に流れている血は嫌いだ」
「おい。沖田さん、やりすぎだ。無抵抗の女まで」
斎藤の非難も耳に入らない。総司のおかしな目つきと動きに気がついたらしく、隊士のひとりに土方副長を呼ぶように、素早く指示を出した。
「血は、ここか」
総司は女の体を跨いで進み、押入れに近づいた。
ある。
気配が、ある。逃げる暇がなく、ここに隠れたのだろう。息をひそめて成り行きを見守っていた体が、ふたつ。
「お仲間のひとりが、ああも無残に斬られたのに、それでも出てこないのですか。卑怯ですね。出てこないなら、こちらから行きますよ」
言うが早いか、総司は右手に闇斬丸を、左手には脇差を握り、押入れに向かって襖越しにぐさりと突きを三度、驚くべき速さで繰り広げた。
襖が部屋に向かって、総司の手前に倒れる。
「さんにん、よにん」
計算しつくされた総司の突きに遭った浪士ふたりは、ひとことも発することなく、押入れから死体となって転がり出た。
「やはり、左の力が少し弱かったですね。少し、傷が浅いや」
総司は左に倒れている浪士の袴で、闇斬丸にねっとりとついた血をさっと拭いた。
ふと、体から飛び出た魂たちが浮いているのが、目に飛び込んできた。反射的に腕が伸びた。ほぼ無意識だった。総司は魂を素手でぎゅっとつかんで引き寄せると、ひとくちに喰った。物の怪に与えるはずの餌を、総司は次々と口に放り込んだ。
ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。
うまい。京の老舗の菓子よりも甘く、舌でとろけた。
「ぐひひひ」
凄惨な修羅場には慣れているはずの新選組隊士の中にも、血をかぶるように浴びた総司の姿に、思わず吐き気を訴える者が出た。たまらず、斎藤は総司の肩をつかんで体を揺らした。
「いきなり斬り殺すなんて、狂気の沙汰だ。沖田さん、こいつらから情報を得……」
その先は声にならなかった。
総司は泣いていた。幾人もの血が混じり合った、赤い涙だけがぽたぽたと滴り落ちる。
ああ、この人は斬りたくて斬ったわけではないのだと、斎藤にも伝わってきたが、斎藤には今の総司の心を鎮める技量はないと直感した。三歩下がって、土方の到着を待つ。これ以上暴走しないように、見守るしかできなかった。
やがて、息を弾ませて土方が来た。土方と斎藤は目で会話した。斎藤は隊士を全員、引き上げさせる。
「総司!」
土方は血の中に佇む総司を殴りつけた。勢いで、血の海に沈む。滑って立てない。
壊れたように、総司は笑いながら泣きじゃくった。
「わたし、離れられません。やつを斬るどころか、すでに一体化されている。芹沢さんも、最期はこうやって、物の怪に体ごと乗っ取られていたんだ」
今日は、四人、斬った。四つの魂を、喰らってしまった。うまい。命が長らえるような心地だ。もっと欲しい。どこにいるのだろう、わたしの獲物は。紅蘭さえ手に入れば、もうなにもいらないはずなのに。物の怪に支配されはじめている自分を、総司は知った。
次回へ続きます
《斜》は、前中後の三部構成にします




