《悟(ご)》前編
謹慎が解けた総司は、まず泰助と連絡を取った。
巡察のふりをして河原にも行ったが、紅蘭のいた小屋はきれいに打ち毀されており、とても人が住めるようなものではない。近くに移住しているかもしれないと、気を利かせた泰助がひとつひとつの小屋を改めてみたが、いないらしい。
最後に、紅蘭を預けた寺にも行きたい。けれど、常に土方の監視がある。総司に土方が張りつけない時間は、土方の腹心である監察の島田魁という大男がいつもくっついてきた。島田を説得できればいいのだが、この人は新選組に仕えているというよりも、土方に心酔しているといった風で、到底できそうにない。
土方と島田の目を掠め、泰助に宛てて新たな文を送った総司は、それだけでひと仕事終えたような気持ちになってしまった。土方は紅蘭についてとっくに調べ上げているらしいのに、このみじめな事態は。
次の客を求めて、流れてしまったのだろうか。病に侵された体で。
いや、白露がいる。
妹は売られた身の上。そこから、紅蘭の居場所を突き止められないだろうか。せめて、白露を引き受けた見世の名前でも分かれば。泰助の文には、それを書いた。
あとは、家を見繕ってくれるように。
この際、どんな家でもいい。姉妹を保護する家を、本陣のほど近くに。土方が大反対でも、慈悲深い局長の近藤が認めてくれれば、なんとかなるはずだ。謹慎が十日で終わったように。一気の形勢逆転に賭けるしかない。
総司は小さな希望に縋った。
「らしくない」
隊士にそう揶揄されながら、総司は島原の茶屋通いをはじめた。人目を避けるには、もっとも効果ある方法だった。だが、はなから総司にはそんな知恵もない。泰助の文を取り次いでくれた、斎藤の思いつきだった。
「沖田さん。茶屋でも行って、みそかごとでも楽しめばいい。女の傷は女で癒せ」
「興味、ないよ」
初会は斎藤に嫌々連れられて行ったものの、密談には格好の場所だった。
まさか部屋までは、尾行役の監察もついて来られない。あてがわれた女には過分な口止め料をやり、適当なところであしらう。総司が二階に上がった半刻ばかりあとに、泰助が情報を持って来る。隣の部屋で島田に聞き耳を立てられても、堂々と筆談すればいいのだ。総司は喝采を挙げた。
非番のこの日も、総司は茶屋に来ていた。
すっかり総司の馴染になったつもりの女は、総司を歓迎した。なにせ、仕事をしなくても金が貰えるのだから、楽でいい。だから、秘密を店にも朋輩にも、決して漏らさない。見世に始めて上がったとき、どんな女にするかと聞かれて『無口な女を。できれば、字が読める女を』と答えたことに、総司も満足していた。
だが、見張られている気配もあるので、はじめの小半刻ばかりは、女を相手に美味くない酒を呑む。
金目当ての、いやな女だ。なるほど、計算高いが器量は紅蘭の足もとにも及ばない。見目がすべてではないが、紅蘭を知ってしまってからは、どうしても比較してしまう。
「沖田せんせ、どうぞ」
赤過ぎる紅を乗せた唇が喋った。
ざらざらとした女の肌が総司の腕に触れる。ああ、化粧で隠しているが、これはだいぶ年増だ。早く紅蘭に触れたい。
泰助の働きで、紅蘭の居場所が突き止められそうだった。河原での騒ぎを受けて噂が消えるまで待つつもりか、都の北東にある北白川という場所で目撃した、という人間がいるそうだ。
頻繁に泰助が茶屋に来ることはない。文だけが届くこともある。だが、今日ばかりは会って話を聞きたい。
仕事はない、とはいっても、勘違いをはじめたらしい女が遠慮なく総司の体にしなだれかかってくる。総司が見世に落とす金に惚れているだけなのに、総司にも惚れたと巧言して止まないのだ。金蔓は長く引き止めておきたいということなのか。密告を防ぐためにも、適当に相手をしておいたほうがよさそうだと総司は思うが、紅蘭さえ見つかれば茶屋に用はない。こういう場所に縁がなかった総司も、だいぶ擦れてきた。ふふっ、と自嘲気味に哂う。女を押し返したいが、我慢してそのままにしておいた。
前触れもなく、さっと静かに襖が開く。
泰助だ。
総司はとたんに笑みをこぼした。泰助も会釈をして、総司に答える。女はつまらなさそうにむすっと口を結び、総司の膳を片づけて代わりに紙と筆を用意する。
さらさらと泰助が驚くような文字を書き連ねる。泰助はただの小者の割に、美しい字を書く。いわゆる能書家だ。近藤も、泰助の字を褒めていた。京では、下っ端でも雅を解するらしい。
総司は我が目を疑った。文字に、ではなく、その内容に。
『紅を見つけました。白の付き添いで、島原に』
思わず、声が出そうになった。島原とは、この町ではないか。同じ廓の中に、紅蘭がいるとは考えもしなかった。
紅、とはもちろん紅蘭。白、は白露の隠喩だ。
続けて、泰助の字は語る。
『白の件は、見世との話し合いに時間がかかっております。先方は、三百両用意しろと言うてます』
三百両。さすがの総司も、その金額は高い、と正直思った。準備していた金では、まったく足りない。だが、諦めるわけにはいかない。もっと働けばいい。稼ぐのだ。紅蘭の言うように闇斬丸を処分して、心機一転を図ろう。
『いくらかかっても構わないと、前にも伝えておいたはずだ。紅蘭には、すぐ逢えるだろうか。見世はどこだ。今すぐ案内しろ』
『へえ。ですが、今からはちょっと。沖田はんの、逢いたいという文は紅蘭に渡してあります。その場で承諾の返事をもらいましたさかい、明晩某神社で再会を』
『明日か。わたしは非番だが、本陣をうまく抜けられるかどうか。なにしろ謹慎明けで監察の目がうるさい。常に監視されている。騒ぎでも起こってくれれば、土方さんの目を逸らせるが。しかし、泰助が紅蘭に会えて、わたしが会えないなんて』
『まあまあ、そこは考えてあります。沖田はんはどうぞ、わしが用意した家で、久しぶりの逢瀬をごゆっくりと』
逢瀬、という泰助の字に総司は真っ赤になった。
初々しい反応に、泰助は心底申し訳なく思った。……これから、総司を嵌めようとしているのだから。
部屋の隅に座っていた茶屋の女が、つまらなさそうに莨の煙を燻らせた。
「豚が逃げたぞ!」
長くなりそうな今夜に備え、日が高く明るいうちからうとうとしていた総司は、隊士の怒鳴り声で目が覚めた。
辺りはすでに暗かった。何度か強めに瞬きをして、薄闇に目を慣らす。
「そっちに行った! 早くつかまえろっ」
「回り込め、完全に日が落ちたら厄介だ」
「もうなにも見えないぜ」
どうやら、本陣で飼っている食用の豚が逃げ出したらしい。たまにあることだが、その度に平隊士は豚と格闘する羽目になる。当の隊士は真面目そのものだが、傍から見ていると滑稽な姿だ。都大路を闊歩し、いい給金をもらっている新選組の隊士が、豚と追いかけっこを繰り広げている。
「おおい、誰かが柵を壊したようだ」
「捕まえたら繋いでおけ! 一頭ずつな」
今回の逃走劇は大がかりなものらしい。ご苦労さん、総司は隊士を憐れんだが、思うところがあってむくりと起き出した。
この騒ぎ。もしや、泰助か。
本陣に火をつけたり、派手な事件を起こしたりするわけにはいかない。それとなく、ほほ笑ましい騒動を起こすに違いなかった。この豚騒ぎは、身を隠すのにふさわしいではないか。
隊士たちが豚に気を取られている間に、総司は素早く身支度を整えて、庭から早歩きで外に出た。ついてくる者はいない。ほっとひと息つく暇もなく、総司は西へ脚を早めた。
初めて恋を知った少年のように、気持ちが昂ぶってゆくのを止められない。脚は神社に向かって走り出していた。照れくさいなんて陳腐な思いは微塵もない。総司は、自分にもいまだ純な感情が残っていることを好ましくさえ思った。
三百両を早急に手配するのは難しかったが、押入れの報奨金と、給金の前借でなんとか揃えることができた。『新しく刀を求めたいから、まとまった金が要る』と、勘定方に嘘をついてしまった。闇斬丸は処分できないにもかかわらず。
「紅蘭」
薄闇に溶けた、神の社。紅蘭を総司はすぐに見つけることができた。隠しようがない、紅蘭の白い肌が輝いていたのだ。
「わたしを、よく待っていてくれた。ありがとう」
紅蘭には逃げられてばかりだった。追うのはいつも総司ばかり。諦めなくてよかった。柄にもなく、つい涙腺が滲みそうになるのを必死でこらえる。
「しかし、なぜ北白川なんて洛外にいたんだい。なかなか見つけられなかったじゃないか」
「お得意の客の庵が……あの場所にあって」
紅蘭は恥ずかしそうに頭をもたげた。これ以上の詮索は野暮だ。北白川なんて、過去のできごとに変わる。総司は頭を切り替えた。
「さあ行こう。きみの家を用意したんだ」
「白露は」
この期に及んで、妹の身が案じられるらしい。総司はますます紅蘭がいとおしくなる。紅蘭の体を抱き寄せると、やはり少し熱があるらしく、火照っている。これが総司恋しの熱ならば、どんなに嬉しいことか。
「あとで、白露の見世には金を届けさせる。今夜中に、だ。翌朝、迎えに行こう。明るいところで、早く紅蘭のきれいな顔を見たい」
紅蘭は総司の腕の中で姿勢を整えた。薄荷の香りに加え、若い娘の匂いが立ちこめ、総司は酔いそうになる。やがて紅蘭のほうから、総司の背中に腕を回してきた。
「好きだ、紅蘭」
そのことばに、紅蘭は頷いた。
労咳だったとしても、心は変わらない。一緒に死んでくれと言われたら、死ねる。新選組に捧げたはずの命も、紅蘭にくれてやるならば惜しくない。
「……沖田はん、かんにんな」
その、紅蘭のことばが合図だったらしい。
総司と紅蘭は強い光に包まれた。居並ぶ提灯。人がいるようだが、眩しくてなにも見えない。敵か。咄嗟に総司は紅蘭をかばうように抱き締めた。
今回の更新で物語は約半分まで到達しました
毎週水曜日更新予定です




