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交差してしまった想い

作者: 羽子茉礼志

 綺麗だった紅葉も色褪せ、肌を刺す寒さに、本格的な冬の到来を予期し始めた、とある秋の日。

 刻一刻と陰鬱さを増していく雲の色に、不快な気持ちを抱きながら、私はキャンパス内に入った。

 待ち合わせ場所に向かうと、そこには、今の鬱々とした空の色をそのまま顔に映したかのように、酷く顔色の悪い人物が居た。


「おはよう」

「……よお」


 私の挨拶に、彼は片手を挙げながら返す。

 朝だというのに、その立ち姿は非常にくたびれており、顔色は青白く、目の下には隈が出来ている。

 ああ、また視たのだなと、私はいつものように、一人納得した。

 それにしても、今日はまた一段と酷い。一体どれ程のモノ、もしくは、誰のモノを視たのか……。

 私は普段と変わらない、何の感情も籠もっていない声音と言葉で、彼に尋ねた。


「今日は何を視たの、知哉?」




 川浪知哉(かわなみともや)は、人の死を視ることが出来た。

 死期が近い者とすれ違ったり、触れたりした時に、その人の死の場面を垣間見、確実な死亡日が理解出来るのだという。

 何故、そんな奇妙な事を知哉は行えてしまうのか、それは私の知るところではない。

 代々霊感の強い家系なのだと知哉のお母さんは言っていたが、死を視ることが出来るのは知哉だけであり、それが関係しているかは怪しいところである。

 元より、幽霊など見えない私には、やはり、知るところのない話なのだ。

 死が視えるというのは、あくまで本人談だが、知哉の家族も私も信じている。

 知哉が口にした通りに、皆死んでいくのだから、否応なしに信じざるを得なかった。

 ただ、確固たる事実があったとはいえ、知哉のことをすんなりと信じることが出来たのは、偏に私が無感情な人間だからなのかもしれない。

 危険だとか、不気味だなんて感情を、私は知哉に対して一度も抱いたことはなかった。



 大学施設内に入った私と知哉は、いつものように二人掛けのテーブルに着いた。

 対面に座る知哉は、目を伏せ、沈鬱に押し黙っている。

 死を視た後の知哉は決まってこうなる。

 それまで普通に話をしていようと、突然人が変わったように口を閉ざし、顔色を悪くする。

 そして、しばらくした後に、ようやく口を開き、事のあらましを語る。

 それを私は、黙って聞き続けるのだ。これが、私と知哉のいつもの姿。

 私は、あくまで聞き役に徹することしかしない。

 だって、それが私に出来る、最善の行いなのだから。


「…………」


 でも、今日の知哉は中々口を開こうとしない。

 よくその顔を見つめてみると、顔色こそ悪いものの、表情からはどこか真剣味が感じられ、思いつめているようにも見てとれる。

 そうしている内に、三十分は経過しただろうか。

 知哉は徐に顔を上げると、私を見つめながら言った。


「自分が死ぬ、夢を見た」

「…………」


 夢。自身にとって身近な者の死は、夢に現れるのだと、知哉は以前語った。

 彼が今まで夢で死を視た回数は二回。いずれも祖父と祖母という自身に近しい家族のものであった。

 当時も話を聞いたので、覚えている。

 そうであれば、知哉がこれ程思い悩む様子を見せたのも納得がいく。

 まさか、自らの死さえも予期してしまうなんて、想像だにしていなかった事態なのだろう。

 そこまで冷静に考えてから、私はふと、重大な事実を見落としていることに気が付いた。

 知哉が、死ぬ。

 何で、それを聞いても私の心には何の感情も浮かんで来ないのだろう。

 何年も連れ添った相手だというのに……。

 私は、そこまで薄情な人間なの?

 

 そっと知哉を見やる。


「一週間後だよ」

「…………」

「俺が死ぬ日は」


 知哉はそれだけ言って、また目を伏せた。

 何も感情が浮かんで来ない理由が少し分かった気がする。

 知哉の様子が、いつもと明らかに違う。

 いつもは何もかもを諦めたような目をしながら死について語るのに、今の知哉の目には、小さいながらも火が灯っていた。

 知哉が語った通りの死を、一緒に目にしたことさえあるのに、彼の言葉に、私は納得出来ていないのだ。

 それは一体、なぜ?

 

 結局、その日はお互い話すこともなく別れた。疑問は解消されないまま。

 翌日、その疑問は更に深まることになる。




「これ、持っててくれ」

「えっ?」


 大学で会うなり、知哉は私に御守りを差し出した。


「……何で?」

「昨日、近くの神社に行って買ってきた。

 自分の為でもあるけど、俺の巻き添えになって、お前が損害を被らないとも限らないだろ。

 家族にも配った。だから穂澄(ほずみ)、お前も持ってろ」


 知哉は押し付けるように、私に御守りを握らせた。

 彼の言い分は分かる。知哉に近い人間は、家族を除けば私だけだ。

 けれど、彼が何故このような行動に出たのか、その理由が分からない。


「……何で、こんなことを?」


 こんなものを、用意してまで。


「生きたいからさ」


 私の問いに、知哉は迷いなく答えた。

 その表情は、昨日と比べれば、幾分吹っ切れたものになっている。

 生きたいから? 

 あれだけ死に対して諦観しきっていたのに、それが自身の話になれば、話は別だというの?

 やっぱり、私には分からない。

 死の淵に立たされると、こうも人は変わってしまうものなのだろうか。

 

 その後も知哉は、自身の死の芽を摘み取るべく、様々な手段を講じていった。

 その度私も付き合わされたのだけど、経過はあまり順調ではなさそうだ。

 そもそも、私は知哉から自身の死の詳細について何も聞かされていない。

 だから、彼の行動が意味のあるものなのか、推し量ることが出来なかった。

 ……でも、効果があるのか疑わしい御守りなんて縁起物を、知哉が頼ったところなんて、私は今まで見たことがない。

 それなのに、そんな手段を用いているということは、知哉がどれだけ切羽詰まった状況にいるか、如実に表れている証拠ではないだろうか。


 知哉は、自身の死の未来を――運命を、覆そうとしている。

 ……思えば、知哉は幼い頃にも、死を覆そうと行動していた時期があった。

 視ることは出来ても、他には何も出来ない自分に、憤りを感じていたのだと思う。

 だけど、彼の行為が報われることはなかった。

 知哉は死を視た人達と片っ端から話をして回ったけれど、知哉の言うことを信じる信じない以前に、子供だからと相手にされることはなかったのだ。

 それ故だろうか。彼は人の死に対し、頓着しなくなった。

 死を視る度に青くなるのに、実際の死を前にしても、動じなくなった。

 死というものに、並々ならぬ諦観の念を抱いてしまった。

 だけど、知哉は今一度、運命に逆らおうとしている……。


「…………」


 そんな昔の事を回顧していた所為だろうか。

 それより前の、私と知哉の二人の姿が、頭の中で再生されていった。


 私と知哉は実家が近所で、その辺りに私達以外の子供が居ないこともあって、幼い頃から二人で過ごす時間が多かった。

 小学校に上がってからも、何とはなしに、二人でよく過ごしたものだった。

 そして、私達が小学校高学年になった頃、状況は変わった。

 この頃から知哉は人の死を視るようになり、その自身の異常を周りに訴え続けた為、家族以外の人間は、どんどん彼の傍から離れていった。

 それ以降だ。知哉が進んで孤独になろうとしたのは。

 でも、私は彼の傍を離れなかった。

 特に離れる理由も無かったから。

 それに対して、知哉は何も言わず、私も何も言わない。

 そんな関係がしばらく続き、ようやく彼が口を開いた。

 それから私達の奇妙な関係は、始まったのだ。


 その辺りからだろうか。

 私が、知哉をずっと支え続けようと決めたのは。

 ただ傍に居て、何も言わず、彼の拠り所となる。

 死を諦めきった知哉は、果たして次に何を諦めてしまうのだろうか。

 私さえも居ない場所に行ってしまった知哉は、本当に孤独になってしまう。

 そんな不安定な彼を支える事が出来るのは、今までずっと傍に居た私しか居ない。

 救いにはならないだろうけれど、添え木ぐらいにはなれる。

 私は、そんな義務感の下に動いていた。

 それは、感情に乏しい私という存在の中に唯一芽生えた、知哉への純粋な気持ちだった。

 そうして、私達が高校生になった頃、


『お前、俺と居て怖くないのか?』


 変わらず隣に居続ける私に、知哉はそう訊ねた。


『別に。人間、死ぬ時は死ぬものでしょ?』

『……そうだな』


 私の返事の意図を、知哉は分かっていた筈だ。

 知哉が視るのは、不吉な死ばかりではない。

 長年の病気や老衰死等の、彼が予期するまでもない、避けようの無い死も、それに含まれる。

 元より、人間の運命の果ては死だ。

 であれば、突発的な死と寿命による死に、どれ程の違いがあるだろう。

 そう、大した差はない。

 ――なのに、何故。何故、知哉は憂いを帯びた目で、私を見つめていたの?


 そのあと知哉が言ったことの意味を、私は未だに理解できていない。


『そうだな、穂澄はそうかもしれない。でも、俺は怖いよ』




 訪れた運命の日、何時にも増してしんしんと冷え込む空気を浴びながら、私は朝を迎えた。

 大学に向かう為に外へ出るも、何故か体がどんよりと重い。

 いつもより厚着しているからかな、なんて考えが頭に浮かんだけれど、それが鬱屈とした思いから気をそらす為の方便であることぐらい、自分で理解していた。

 体が重いのではない。心が重いのだ。

 今日、知哉が死ぬ。それに対し、私は何が出来る?

 ……何も出来ない。

 知哉が成すことを、黙って見ていることしか出来ない。

 一週間前には湧かなかった実感も、知哉の今日までの行いを間近に見ることによって、今では心の全てを縛りつけるまでに至っていた。


「ははは……」


 乾いた笑いが漏れる。私にも、他人を心配する心ぐらいはあったみたいだ。

 でも、それに今気が付いてどうなる?

 やはり、どうにもならない。


「おはよう、穂澄」

「……知哉?」


 十字路に差し掛かったところで、知哉と出会った。

 いつもは大学で落ち合っているのに、何で此処に?


「迷惑を承知で頼む。今日は、ずっと一緒に居てくれないか?」

「……分かった」


 悲しげな顔で頼む知哉に、私は頷いた。彼がそれを望むのなら、私はずっと傍に居るだけだ。



 その日は二人で講義をサボって、日がな一日街を歩き回った。

 知哉と過ごした年月は長いけれど、思えば最近は、二人だけでずっと一緒に過ごした記憶は無い。

 その事実が、何故か私の気分を高揚させ、知哉の顔からも笑みがこぼれた。

 気が付けば、私と知哉は手を繋いでいた。

 寒さは相変わらずだけど、繋いだその手の温かさが、心を癒す。

 当てもなく彷徨い歩いただけなのに、何でこんな気持ちになるんだろう。


 夕方頃に、私と知哉は偶然見つけた公園で一息つくことにした。

 木製のベンチに、二人で座る。

 夕陽に染まる公園内には、私達以外の人は居ない。

 この時間帯なら、子供達が遊んでいてもいい筈だけど、やはりこの寒さでは、誰も外に出たがらないのだろうか。


「…………」


 二人の間に、会話は無かった。

 まるで、私達だけが、この空間に取り残されているような感覚さえ抱く。

 知哉は口を閉ざしたまま。だから、私の方から疑問に思っていたことを訊ねた。


「……知哉は、何で生きたいと思ったの?」


 冷たい風に、木の葉が舞う。

 風が止み、全ての木の葉が地に落ちるまで、幾つの時間が過ぎ去っただろう。

 その長い沈黙を経て、知哉はようやく口を開いた。


「どうしても、知りたいか?」

「……うん」

「分かった、今日を生きることが出来たら、ちゃんと話すよ」


 知哉は、苦笑しながらそう言った。

 その笑いからは、悲しみと緊張をない交ぜにしたかのような色を感じる。


「……そう」


 知哉がそう言うのなら、私には、これ以上追及することなど出来ない。けれど――


「約束して。今言ったこと、絶対に守るって」

「ああ」


 せめて、それが嘘でないことを、信じたかった。




「そろそろ行こうか。もうすぐ暗くなると思うし」

「……分かった」


 二人一緒に公園を出て、近くの横断歩道の前に並んだ。

 信号が青に変わったことを確認し、道路に足を踏み出したとき、急に耳をつんざく様な音が辺りに鳴り響いた。

 それが、車のクラクションの音だと気付き、音源に目をやったのは、ほぼ同時。

 視界に入ったのは、異常なスピードでこちらに迫る来る、自動車だった。

 そこからは、スローモーションのように時が進んだ。

 体に衝撃を受けて、視界が揺れる。肩を道路に強かに打ち付けた。

 同時に、凄まじい衝撃音が耳に響く。体が痛い。

 でも、続けて衝撃が体を襲うことはなく、痛みも体を動かすのに、支障をきたす程のものではない。

 私はゆっくりと起き上がり、辺りを見回した。

 少し離れたところで、車がガードレールに突っ込んで、煙を上げている。

 そして、その傍には、血を流しながら倒れている、知哉の姿があった。


「ともや……私を……庇って……」


 状況を理解した私は、すぐに知哉に駆け寄った。

 素人目に見ても、それが瀕死の状態だと分かるぐらいに、知哉の傷は深かった。

 その事実の前に、私は膝から崩れ落ちる。


「穂澄……良かった、お前が無事で……」


 知哉は、傷だらけの顔で笑っていた。

 なんで――


「何で、笑ってるの? もう、生きられないし、何も覆ってないのに……」

「いいや……覆ったよ。お前……生きてるだろ?」

「!」


 じゃあ、知哉は初めから私の為に?

 あの御守りも、何もかもが……。


「本当は……二人でって、意味だったんだけど……穂澄が生きているなら……それでいい。

 俺の話……聞いてくれるか?」

「……うん」


 知哉は自分の気持ちを全て語り、私もまた、全てを理解した。

 私の中でバラバラに散らばっていたパズルの全てが、組み合わさった。

 彼が私に抱いていた気持ち。彼の行動理由は、全てそこから生まれていたのだ。

 疑問はもう、一欠けらも残っていない。

 むしろ、自分でも分かっていなかった自身の気持ちすら、理解出来てしまった。

 こんなもの、分からない方が増しだった。

 だって、気付いてしまったのだ。

 重要な最後のピースが、欠けてしまったという事実に。


「どうだ……最後の最後に……変えてやったぞ……」


 空を見つめながら、知哉は居もしないであろう偶像に、そう呟く。

 そして、その瞳は――――閉じられた。


『そうだな、穂澄はそうかもしれない。でも、俺は怖いよ』


 以前知哉が言っていたことの意味を、私は身を持って体験することになってしまった。

 ……何もかもが、遅すぎた。

 血まみれの、知哉の手を握る。そこに、今日感じた温かみは、もう無い。

 代わりに、頬を温かい雫が伝って落ちる。けれど、失った代償とは、どうしても釣り合わなかった。


 皮肉な話だ。

 死を諦観していた人間が、死を持ってジンクスを退け、死に何の恐怖も抱いていなかった人間が、死を見て嘆いている。


 それまでずっと平行線だった私と知哉は、一瞬だけ交わったあと、お互いもう触れることも叶わない別々の方向へと、歩みだしてしまった。



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