8,『もしもし〜』
プルルルルルル プルルルルルルル
オレたちは電話を見つめ、オレは、
「電話、出ていい?」
とマリーに訊いた。
「どうぞ」
とあっさり許可したマリーは、オレが受話器を取り上げると、にたああ〜〜〜〜っ、と、恐ろしく不吉な笑いを浮かべた。電話の相手にギロチンショーの実況中継を聞かせてやる気だろう、すうっと、野菜包丁を、首をなぎ切るように、横に構えた。
「………もしもし…………」
オレは緊張しながら相手に呼びかけた。
『あ、もしもし〜、長瀬え? オレ、石田あ〜』
間延びした脳天気な声が何が楽しいんだか嬉しそうに応えた。
「石田か。どうした?」
オレは何とかこいつを巻き添えにしてこの命の危機を回避するすべはないかと考えた。
『メリーちゃんは無事着いたかあ〜〜? いいよなあー、おまええ?、憧れの王子様だってえ?このヤロオ、豆腐の角に頭打って死んじまえ〜』
ええい、そもそもこいつが余計な個人情報を漏らしたせいで………。
「なんならおまえもいっしょに豆腐の角に頭ぶつけるか?」
妹はともかくこいつといっしょに仲良く生首をぶら下げられたくはないが、きっとマリーは石田の生首は捨て置くだろう。あははははは、と脳天気な笑い声が返ってきた。
『んで? メリーちゃんはいんの?』
「いると言えば…いるぞ」
『なんだよお、それ? うちの展示会場にプリンターがあってさあ、メリーちゃんの写真プレゼントしたいんだけど?』
「おお!そうか!? メリーちゃんの美麗な大判写真があるんだなっ?」
オレはマリーが興味を示すようにやや誇張して確認した。
「いいぞ、持ってこいよ? メリーちゃんに待ってもらっているから。オレのマンション分かるか?」
『おう。今、入り口にいるから開けてくれ』
「えっ!?」
オレは驚き、
「もう来てるのか?」
今回ばかりはヤツのオタク的行動力に感謝した。
「よし、番号教える。0120390831だ」
『えーと、ゼロイチニーゼロ サンキュー オ……と。おお、開いた。俺こういうの初めてだわ、かっちょいー』
今どき番号入力のドアくらいで喜ぶとは、なんと純粋ないいヤツだ。
「部屋は705号室だ。12階じゃないからな?……おっと、なんでもない。エレベーターで上がってこい」
『はいはーい、ただ今エレベーター前。『上』を押しまーす。ただ今10階から降りてきまーす。到着まで少々お待ちくださーい』
オレはしめしめと、受話器の口を押さえてマリーと交渉した。
「今ここにオレの親友が来る。こいつを身代わりに妹だけは解放してくれ。オレの親友ならどんなひどいことをしてもかまわないから」
本人の承諾を取る必要はないだろう。受話器からは『ピンポーン。エレベーターが到着しましたー。ただ今ドアが開いて、乗り込みまーす。7のボタンを押しまーす』と、何も知らない石田の実況が聞こえてくる。
『閉まるドアにご注意くださーい。2階、3階、4階、』
「な、頼むよ?」
オレは焦りながら頼んだ。マリーはうーんと考えている。
『7階。ピンポーン。ドアが開きまーす。着陸。えーと、どっちかな?』
「こいつは変態だからいたぶり甲斐があるぞ?」
「ふうーん…。ま、いいわ、じゃ、」
マリーはオレに迫るとすごい力で横に投げ飛ばし、妹をどんと壁に押しつけると、喉元に包丁の刃を当てた。
妹は蒼白の顔で呼吸もできないように小刻みに震え、
『今、ドアの前にいまーす』
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
「どうぞ、ご主人様、ご親友様をお迎えしてあげてくださいませ。ただし、余計な真似をしたら妹君が……」
「お……お兄ちゃん………」
妹の顔が恐怖に歪み、オレに救いを求める視線を向けてくる。オレは妹の信頼にうなずき返し、力強く言った。
「大丈夫だ。親友の石田君がどうなろうと、おまえは絶対に助けてやる!」
妹はけなげに震えながら微笑み、オレはマリーに妹の安全を保証するよう強い視線を投げかけ、戸を開けて廊下に出ると、玄関に向かった。
「おーい、長瀬くうーーん」
「おう、今開けるぞ」
ガチャッとドアを開けると、にへらにへらとした石田のふやけた顔があった。
「よおー。おまえんちに来るのなんて初めてだなー。つーか、俺、あんま友だちの家遊びに行ったことねえもんなー、えへへへへへへ」
オレは両手でがしっと石田の両肩を掴んだ。
「よく来てくれた、我が大親友石田君」
「おいおい、なんだよ〜? あ、実はおまえも本当は友達のいない寂しいヤツだったりして?」
へらへら嬉しそうに笑う石田に、
フッ……、石田よ、オレはおまえとは違うんだよ、
と、心の中でちょびっとだけ申し訳ない思いがした。ま、我が妹の命に比べればどーでもいいことだが。
「ところで石田君。君はオレにピチピチの高2の妹がいるのを知っていたかな?」
「ええっ!? おまえそんな美味しい設定の家族がいたのかあ!?」
「いたんだよ。テニス部の練習で汗を流して帰ってきたところだ」
「た、たまりませんなあ〜、お兄さま!」
「フフン。メリーちゃん共々紹介してやろう」
オレは逃がさないように石田の肩に手を回して、居間へ案内した。どうなるか分からないが、少しでもマリーの気が逸れたら妹を連れて脱兎のごとく部屋を逃げ出そう。
「さあ、対面したまえ」
オレは部屋の中へ軽く石田の背をポンと押した。
居間に入った石田は、持っていた手提げ袋をパタンと床に倒した。妹とゴスロリマリーと、どっちに反応した?!
「 もっ、 萌え〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!! 」
石田は絶叫し、もう一つ肩から提げていたバッグからキャノン一眼レフを取り出した。
「 リアル3DCGアニメ美少女 萌え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっ!!!!!! 」
石田はキャノンを構えるとフラッシュをたいてパシャパシャとマリーの写真を撮りだした。
「ゴスロリ萌え〜〜っ! アニメ美少女萌え〜〜っ! リアルフィギュア美少女萌え〜〜っ!!!!」
写真を撮りまくる石田をマリーは台所の黒い虫のように冷たい目で見下した。石田を投入するまでもなくマリーは妹から包丁を離していた。オレは妹を手招き、そっと玄関に向かい、ドアを開けようとしたが、ドアノブはハンダでシールドされたみたいにびくとも動かなかった。
閉じこめられた状況は変わらず、この絶体絶命の危機からどうやって逃れることが出来るだろう?
そーー…っと居間を覗くと、鬱陶しく「萌え〜」を連発してあらゆる角度から舐めるように連写しまくっている石田に、マリーは一言放った。
「 キモイ 」
ああ、これは痛い、紛れもない真実を突いているだけにこれは立ち直れないのではないか?
「 ツンデレ 萌え〜〜〜〜っ!! 」
ああ、よかった、あまりの理想の美少女ぶりに頭にすっかり羽が生えておるわ。完璧のれんに腕越し、オタクにオールマイティー萌えだわ。よかったなあ、石田。本当の天国に行く前に心ゆくまでカメラ小僧しておれ。そもそもおまえ、それを誰だと思っているんだ? おかしくは思わんのか?というツッコミも不毛な気がして面倒だ。
こいつにこのドタバタホラーの幕引き役を任せるつもりだったが、荷が重すぎたか。
さて、アホが時間稼ぎしている内に打開策を見いださねば。そろそろ飽きてきたぞ。
と、その時、
「 プルルルルルル プルルルルルル 」
電話が、鳴った。