7,修羅場
「も、もういいよお、メリーちゃん。もう、やめようよおー?」
いたたまれない妹が激高するメリーちゃんの肩を抱いて押しとどめた。
「気持ちは分かるわ、悔しかったのよね? たまごっちって恐竜を育てるゲームだと思っていたら本物はひよこを育てるゲームだって知ったときと同じショックよね? 分かるわあ、お友だちに『わたしも持ってるわよ!』って自慢げに言った後の会話で微妙に自分の知識がずれていて真実に気づいたときのショックと気恥ずかしさ。ごまかすのに必死になって、わざわざ自分で『偽物』の話題を振ってみたりしてね……。分かるわあ。でも、でもね、メリーちゃん。偽物だって自分で好んで『偽物』としてこの世に生まれてきたんじゃないのよ? 彼女たちだって何も知らずにこの世に生まれてきて、子どもたちと仲良くお友だちになっていっぱい楽しませてあげたいって、希望に胸を膨らませて、ニコニコしながらお店で買ってもらうのを心待ちにしていたのよ? 自分を作った親が、お金儲けしか考えていない、なんのプライドもないパクリ専門業者だったとしてもね、この子たちにはなんの罪もないわ?」
メリーちゃんばかりでなくマリーもうつむき加減にじいっと妹の言葉を聞いていた。
メリーちゃんが、言った。
「円華さん。彼氏が『ルイ・ヴィトンのバッグだよ』と言って『ヴイ・バトン』とか『ルミ・ミトン』とかいった似ても似つかぬ偽物をプレゼントしてきたらどうします?」
妹は一瞬白い目で沈黙し、言った。
「そっこー別れて、ゴミ詰めて捨てる」
「ですわよね?」
妹はメリーちゃんの肩から手を離し、メリーちゃんと同じ冷たい目でマリーを見下した。メリーちゃんはびしっと指を突きつけて言い放つ。
「偽物はすなわち悪! 悪しきコピー品は、この世から駆除されなくてはならないのよ!」
言ってることは正しいと思うのだが……、女ってやつぁ、まったく………。
「ふっ……、ふっふっふっふっふ、ふふ…………」
マリーは顔をうつむけて肩を震わせた。顔を上げると、ダアーッと、滂沱(ぼうだ)の涙を巨大な目から噴出させた。
「ふふふふふうーーん、だ。そうよ、どうせわたしはこの世に生まれて来ちゃいけなかった鬼子よ! この世に存在しちゃいけない物よ! 仲良くしてもらうために生まれてきた子どもに嫌われたんじゃ生きている意味もないわよ! えーえー、死ぬわよ、死んでやるう〜〜」
オレは、子どもの頃の記憶を徐々に鮮明によみがえらせていた。当時4歳のメリーちゃんが彼女を相手におもちゃのテーブルでおままごとをしていたのを思い出した…………今想像したことを記憶と取り違えているだけかも知れないが、メリーちゃんの相手をしている小さなマリーさんは、ニコニコして、とても幸せそうだった…………。
オレは、オレ自身の幸福な記憶を愛おしむようにやけっぱちになっているマリーさんに話し掛けた。
「なあ、自分をそんな風に責めるなよ? そんな風にモンスターになってまでメリーちゃんと遊んでほしかったのって、つまり、それだけメリーちゃんが大好きで、幸せだったんだよな? それってさあ、すげえ愛じゃん?」
オレはフウッと優しく微笑み掛けてやった。
「 人形寺に連れてってやるからさ、手厚く供養してもらおうぜ? 」
「やかましわいっ!!」
うわあ、怒らせちゃった。
マリーはすっくと立ち上がった。現在のメリーちゃんより少し年齢設定は下だろうが、少し背が高い。
「死んでやるう〜〜、おまえら全員道連れにしてやるう〜〜」
プラスチックの笑顔が歪んで、憎々しく毒々しい表情になった。額の縦の傷がぱっくり開いて、うにょうにょと、赤いゼリーみたいなのが覗いた。うげ、気持ち悪う〜〜。
いかん、結局オレは予想通りの墓穴を掘ってしまった。
「あっ、ところで質問」
オレは果たしてこの局面を切り抜けるきっかけになるかは分からないが、疑問に思ったことを尋ねた。
「なんで窓から入ってきたの?」
『あなたの後ろにいるわ』で、振り返って、そこにいるから怪談になるんじゃないか? いなかったら単なるイタズラ電話だ。良い子は真似しないように。もちろん悪い子もな。さて、『メリーさん』のまがい物の『マリーさん』の返答やいかに?
マリーは憎々しげにオレを睨み、言った。
「マンションの中に……入れなかったからよ………」
? 分からん。何故?
ああ、とメリーちゃんが解説した。
「そうでしたわ、このマンションの入り口のドア、魔よけの文様が描かれていましたわ」
オレは、
「そんなんあったっけ?」
と妹と顔を見合わせた。そういえばガラスが白い線の模様で縁取られているが、あれって、魔よけだったのか?
「わたしもうっかり気づくのが遅れましたわ。あれではあなたは誰かにドアを開けてもらわなくては中に入れませんわね? なかなか気の利くオーナーさんですわ」
悔しそうにマリーが言った。
「ちくしょう……、やっとの思いで郵便ポストの表札を見たというのに、おのれ卑怯な……」
入り口は二重になっていて、外側のドアはフリーで開いて、そこに郵便屋さんが郵便物を入れるポストがある。中身を取り出すには各部屋の鍵でふたを開けなくてはならない。内側のドアを開けるためにはタッチパネルで暗証番号を入力しなければならない。なかなか厳重なセキュリティーで、魔よけもセキュリティーの一環なのだろう。なかなかすごいぞ!リオパレス12! マリーの悔しそうな口振りからして二重ドアには両方魔よけの文様が描かれていて、ポストは横向きになっていて、外のガラスに張り付いてなんとか表札を読んだのか、外側のドアだけはなんとか突破したのか分からないが、内側のドアは突破できなかったのだろう。
オレは質問した。
「じゃあどうやって12階の長瀬さんの部屋やここに来たの?」
質問しておいてなんだが、
「……外の壁をよじ登ってきたの?……」
どうやら図星らしく、マリーの悔しそうな表情の中にぽっと頬を染めるしゅう恥が見られた。都市伝説のメリーさんのようにいきなり室内にいる電話の主の背後にテレポーテーションするほどの能力はないらしい。
きっと12階の長瀬さんのところでも「うっそぴょーーん!」と窓から飛び込むつもりだったのだろう。そこまでやる前に気づいてよかったな? 傷は浅いぞ、頑張れマリー!
「……………殺す…………………」
殺意はますます高まったようで、オレの質問は起死回生の切り札にはならなかったようだ。ならないよな、やっぱ。
スッとメリーちゃんがオレたちの前に出た。
「ご主人様と円華さんは下がっていてください。お二人には指一本触れさせはしませんわ」
メリーちゃんはゴスの顔でギロッとマリーを睨み付けた。
「フン、情けを掛けてイタズラ書きで許してあげていましたのに、この恩知らずが。今度は火あぶりにして確実に引導を渡してあげますわ」
怖い女の子だなあー。マリーのマジックのイタズラ書きはやっぱりメリーちゃんの仕業だったんだ………。
マリーは口をへの字にして楳図かずおの恐怖マンガの悲鳴を上げる少女みたいに顔にしわをえぐれさせ、ぼろぼろ涙をこぼす目でメリーちゃんを見つめた。
「わっ、わっ、わだしわあ〜〜」
ひっくひっくとしゃくり上げながら訴える。
「めっ、めっ、めっ、メリ〜ぢゃんどおお〜〜、なっ、仲良く遊びたいのにい〜〜〜、メリーちゃんの、いぢ悪うう〜〜〜〜〜!!」
必死に愛を訴えるマリーを、メリーちゃんは冷たく拒絶した。
「わたし、レベルの低いお友だちなんか欲しくないの。あなたなんて、嫌いよ」
「う゛わあああああ〜〜〜〜〜〜んんん」
手を握りしめ、声を上げて大泣きするマリーに、メリーちゃんはスカートの下からペーパーナイフを一本引き抜き、
「さあ、いつも通り心臓を突き刺してただのお人形に戻してあげますわ」
(なんだ、それで撃退できるんだ?)
「そしてもう二度と会うことはありませんわ。さようなら、マリー」
マリーは包丁を持っている。マリーはその包丁を握った右手を振り上げたが、メリーちゃんは臆することなく歩み寄り、ナイフを突き刺す構えを取った。
「永遠に、さようなら」
マリーは包丁を振り上げてぶるぶると震え、ナイフを握ったメリーちゃんの手がまっすぐ……………
「やめろよ」
オレはメリーちゃんの腕を掴んで止めた。
「メリーちゃん。マリーさんが君だけは決して傷つけないって、知っているんだよな?」
包丁を振り上げた相手に、女の子が、なんの恐怖も抱かずに逆にナイフを突きつけるなんて、100パーセントの確信……=信頼が、なければ出来るわけはない。
オレはメリーちゃんの腕を放し、言った。
「君は、ひどい女の子だな。そんな子は、大嫌いだ」
ハッと目を見開いたメリーちゃんが、信じられないようにオレを見つめた。オレは少女を傷つけることも承知でもう一度言った。
「オレは、君が大嫌いだ」
メリーちゃんの手から、ペーパーナイフがこぼれ落ちた。
「ご……………………………………、ご主人………様……………………」
震える声がオレに追いすがってきたが、オレは冷たい態度を変えなかった。
今は深く傷ついても、何故自分が嫌われたのかその理由を考えれば、それはきっとこれから先の彼女の人生にプラスになる。
そう、オレは思ったのだが…………
………………どうも間違っちゃったみたいで……………
「マリー」
首をうなだれ床を向いたメリーちゃんが暗いゴスの声で呼びかけた。
「わたしにあなたの力を貸してちょうだい……。お願い」
「メリーちゃん……」
マリーは嬉々とした明るい声で答えた。
「ええ! いいわ、メリーちゃん! メリーちゃんにわたしのすべてをあげる! 受け取って!」
マリーがスッとメリーちゃんに歩み寄って、ゴッツンと頭がぶつかるかと思ったら、マリーの姿はメリーちゃんの中に消えていった。
メリーちゃんはカックンとうなだれたまま……
「メ、メリー……ちゃん?……」
メリーちゃんの肩から赤い光がゆらゆらオーロラのように立ち上り、それは全身から大きく吹き上がり、くわっとメリーちゃんの顔が正面を向いた。
「リバーーーース・・・・・」
わっと思わずオレと妹はおののいた。
透明度を増した瞳がサファイアとトパーズの輝きを放ち、お肌はナノ粒子の滑らかさでツルリとプラスチックの光沢を放ち、目鼻、顔の輪郭のカーブが単純化され、
メリーちゃんの顔はお人形化していた。
「メリーちゃん?」
「違ーう!」
メリーちゃんはおちょぼ口を三日月に、ニタア〜〜っと不気味な悪魔の笑いを浮かべた。
「わたしはマリー。今日からわたしがご主人様よ。元もとわたしはメリーの暗い心の分身だった。分かれていた二人が一つに戻って、本当のわたしに戻ったのよ。これが本当のわたし、ヘル・メイデン・マリーよ。うふふふふふふ、けけけけけけけ」
オレは後ずさった。完全に妖怪じみている。しかも、野菜包丁はしっかり握られている。
「そうか、分かった。君は念願だったメリーちゃんといっしょになれたわけだな? おめでとう。これから楽しく暮らしたまえ。お帰りはあちら」
オレは玄関を手で示したが、マリーは赤い舌を出してぺろりと包丁を舐めた。
「ご主人様〜〜〜。メリーちゃんが寂しがらないようにいっしょにいてあげて〜〜?」
「な、何をする気だ?」
「首を切り落として日干しにして携帯ストラップにしてあげる〜〜」
「嫌だ。そんなファンシーな生首にされたくない」
「駄目〜〜。もう決定事項です」
マリーが包丁を持っていない左手を掲げると、開け放っていた部屋の戸がガラガラ、ピシャン!と閉まった。テレキネシスだ。これはやばい、さっさと逃げ出しておけばよかった。
「お、お兄ちゃん!……」
妹がオレの背中にすがりついてオレを盾にする。まあここは自ら盾になってかばってやるのが正しいお兄ちゃんのあり方だから許そう。
「マリーさん。妹は関係ない。妹だけは逃がしてやってくれ」
「うーーん…、どうしよっかなーー?」
マリーは考えたが、
「『ヴイ・バトン』……」
と、余計なことを思い出してしまった。
「兄妹仲良くぶら下げてあげるわ」
「嫌ーーーーーーーーーっ!!!!」
妹が絶叫する。首を切り落とされるのが嫌なのか、オレと並んでぶら下がるのが嫌なのか、まあ前者と思っておこう。
「うふふふふふふ。どっちを先にギロチンしてあげようかしら?」
残酷な笑みを浮かべてオレたちをいたぶるように見比べるマリー。
絶体絶命!
その時、
電話が鳴った。