5,『・・・・・・・・・』
青い顔のオレにメリーちゃんが首を傾げて訊いた。
「ご主人様、どうかされましたか?」
オレは生唾を飲み込みながらメリーちゃんに訊いた。
「メリーちゃん、訊くけど、……バスに乗ってここに来るまで、ここに電話した?」
「いいえ。ご主人様にお電話差し上げたのはバスに乗る前で、以降は掛けておりません」
違った。
マリーさんはメリーちゃんじゃなかったんだ。じゃあいったい、
マリーさんって、何者なんだ!?
オレの尋常でない様子を心配そうに見つめていたメリーちゃんの顔が、ハッと、強張った。
「ご主人様! もしかして、今の電話、マリーと名乗る女からだったのではありませんか?」
オレはまたまた驚かされた。
「マリーさんを、知っているのか?」
メリーちゃんの顔が、スウッと、黒をたっぷり使ったゴスロリメイクにふさわしい冷たい物に変わった。
「マリーというのは、言うなればわたしのストーカーです。わたしが仲良くしたいお友だちや……、愛しい人のところを訪れて、わたしと仲良くしないように脅かして、ひどい目に遭わせるんです」
「えーっ!? なに!?」
今さらながら妹が騒いだ。
「そのストーカー女がここに向かってるってこと!?」
「いや」
オレは首を振った。
「もうここに来ていて、今、2階にいるって……」
妹がヒイー……と震え上がった。
「プルルルルルルルル」
電話が鳴り、
「に、兄ちゃあん……」
妹が涙目で怯えた。
プルルルルルル
オレは受話器を取った。
「はい」
『もしもし。わたしマリーさん。今3階に着いたわ。あといーくつだ? うふふふふふふふ』
切れた。
「今3階だって」
「め、メリーちゃあん」
妹がメリーちゃんの袖にすがりついて訴えた。
「あなたのストーカーってどんな女なの? ねえ、警察に通報して逮捕してもらいましょうよお?」
メリーちゃんは深刻な顔を振って言った。
「警察に通報しても無駄です。あれは警察の手に負えるような子じゃありません。あの子は、人間じゃないんです」
オレは眉をゆがめた。
「人間じゃ、ない?……」
メリーちゃんはうなずいた。
「そうなんです。マリーというのは、 人形 なんです」
「プルルルルルル プルルルルルル プルルル・・」
三人の間に重い空気がたれ込めた。
電話の呼び出しは鳴り続け、・・・・・切れた。
「マリーというのは幼い頃わたしが捨てた人形なんです。それが魂を持って、しつこくわたしにつきまとい、わたしからお友だちを遠ざけているのです。マリーのせいでわたしは周りの人たちから不吉な気持ち悪い女の子として見られるようになり、ですからわたくし、すっかり内にこもって鬱状態になってしまいました」
「そんな、まさか……」
「いえ、本当なんです。『筋肉少女帯』を聴きながら金切り声を上げてみたり、『ザ・キュアー』のロバート・スミスを真似て目の周りを黒く塗ってみたり、ケイト・ブッシュ様の『嵐が丘』のビデオクリップを見ながらいっしょに踊ってみたり、すっかり自分一人きりでも平気な世界にはまっていってしまったのです」
「あ、いや、そっちじゃなくて人形がって方なんだけど……。ケイト・ブッシュはともかく、『筋肉少女帯』に『ザ・キュアー』って、20年くらい前のゴスロリ元祖の時代じゃないか? ううむ、それはまたずいぶん現代のゴスロリっ子たちとはまる経緯が違っている……よね? ま、まあいいや。……人形が、自分で動くの?」
メリーちゃんがこっくりうなずくと、再び電話が鳴った。
メリーちゃんが強い決心をした顔で手を伸ばすのをオレは止め、オレが受話器を取り、メリーちゃんが電話を聞きたがるので腰をかがめ受話器の角度を少し前に向け、メリーちゃんが耳を寄せてくると、それを見た妹がわたしもと耳をくっつけてきた。オレの頬をメリーちゃんのブロンドの巻き髪がくすぐり、彼女のシャンプーの匂いと、妹の部活でたっぷり汗をかいてきた女子高生の生の匂いと大量のエイトフォー・ジューシーシトラスの香りをたっぷり嗅がされて、オレは不覚にも頭がくらくらしてしまった。
『………………………………』
「……………………え?」
しまった、うっかり恍惚のあまり聞き逃してしまった。
「6階まで来たって、もうすぐじゃない? それに、さっき電話に出なかったからすっごく怒ってたじゃない?」
青ざめ深刻な顔で言う妹に、
『え?そうなんだ?』
と思いつつ、オレは、
「うう〜〜む、いったいどう対処すべきだろう?」
と深刻そうにうなずいてみせた。正体不明(人形?)のマリーさんも怖いが、兄としての体面も保っておかねばならない。
「今度の標的はこれまでのただのお友だちとは違いますわ、わたしのこの世で最も大切なご主人様ですもの、マリーのヤツ、いったいどんなひどいことを企んでいることやら……」
メリーちゃんまで恐ろしいことを言い、オレは
「うう〜〜む、いったいどんな恐ろしいことをされてしまうのだろう?」
と恐ろしがってみせたが……、これはちと阿呆みたいだった。失敗失敗。気を取り直して。
「恐ろしいことって、幽霊みたいに精神攻撃? それとも、実体の伴った物理攻撃?」
「マリーはどちらも可能です」
「ここに来るんだよねえ? 大きさは? ふつうのフランス人形のサイズ?」
「いえ、人間サイズに巨大化しています」
「うう〜む、それは迫力ありそうだなあー」
オレは遊園地の着ぐるみショーを思い出したが……やめよう、緊張感が薄れる。
「プルルルルルル」
「今度はわたくしが」
メリーちゃんが受話器を取った。オレは腰をかがめてごく自然にメリーちゃんに顔をくっつけた。妹ともくっついて……いやいや今度こそしっかりマリーの声を聞かなくては。
「もしもし、マリーね?」
至近距離で美少女の甘酸っぱい息が弾み、オレの鼻の奥にお花畑が広がって、結局もうろうとした夢心地の中でマリーの声を聞いた。
『あらら? その声はメリーちゃん。うふふ、お久しぶり』
「マリー。あなた、いったいいつまでわたしにつきまとう気? いい加減にしてちょうだい!」
『アッカンベーだ。わたしを捨てたあなたが悪いのよ? 一生つきまとって、あなたの人生めちゃくちゃにしてやるう〜。あははは、あははははははは』
「性悪不細工」
『は…………』
しばらく無言が続いた。そうっと見ると、濃いアイシャドーの中でメリーちゃんの目が幽鬼のように怨念の炎を燃やしている。オレは中1少女の心の暗黒を見た思いがした。
『ふ、ふーんだ。メリーちゃんなんて絶交よ!』
「ありがとう」
『いっ、今、8階まで来ちゃったもんねー、べ〜〜〜っだ!』
ブチッと電話が切れた。
俺たち三人は無言で顔を見合わせた。
「ここ、7階だけど……」