3,『もしもし。今マンションの前に』
『もしもし。わたしマリーさん。次は堀川3丁目〜、堀川3丁目〜。ルンルン。』
『もしもし。わたしマリーさん。次は竹林小学校前〜、竹林小学校前〜。あっと、みっつう〜〜』
『もしもし。わたしマリーさん。今バスを降りたわ。フー、後は歩き?』
『もしもし。わたしマリーさん。今ローソンの前。プレミアムマンゴーのシュークリームが美味しそう。デザートにリザーブ、っと』
『もしもし。わたしマリーさん。今、『テナント募集』のシャッターの前にいるの。ふふふ、どーこのだ?』
オレはゾクッと戦慄した。マンションの前の小路からバスの通る大通りに出る角の、元のアパート・マンション情報館が今空いて『テナント募集』になっている。ゴスロリ少女は角を曲がり、今、このマンション目指して通りを歩いている。
オレは窓に駆け寄り通りを見ようとしたが、ここからでは並ぶ民家の屋根が邪魔で道路は見えない。
おいおい、誰か警察に連絡してくれよ?平和な住宅街に包丁を持った(?)いかにも怪しいゴスロリ少女が徘徊しているぞお〜?
あーあ、みんな目を合わせないようにしてるんだろうなあ、小さい子が「ママあ、へんなお姉ちゃんがいるよー」と指さすのを、「しっ! 見ちゃ駄目!」とか言って慌てて手を引いて家に避難したりしてんだろうなあー。
どうすっかなー、取りあえず部屋を出て、廊下の角に隠れて様子を見ていようかなー、なんて考えていたら、来やがった。
「プルル・」
オレは間髪入れず受話器を取った。
『もしもし。わたしマリーさん。今』
オレは強い調子で言ってやった。
「おいこら、こんなところまで押し掛けやがって、警察呼ぶぞ!」
『………………………』
沈黙があり、悔しそうに唇を噛む気配が感じられた。
『……今、マンションの前にいるの。………ドアが開かないわ。開けて?』
「は?」
オレは受話器を放してマイクを手で押さえて「ふっふっふっふっふ」と笑った。なーんだ、ストーカー少女、恐るるに足らず、オレは受話器を耳に当て直し、教えてやった。
「そうだよ。マンションへのエントランスは暗証番号を入力しないとドアが開かないんだよ〜。おらおら、そんなところでうろうろしていると、監視カメラを見ている管理会社の警備員がやってくるぞ? なんなら今すぐオレが通報してやろうか?」
ゴスロリ少女の反応をスピーカーを耳に押し当て息づかいまで細大漏らさず聞いてやるつもりでいると、
『くっそおーーーー…………』
と、小さく押し殺した声が聞こえ、さすがにゾッとした。
「あのおー……、もしもし?」
穏やかに説得し直そうと猫なで声で呼びかけたが、電話は既に切れていた。
さて。
オレもとっくに気づいているが、これは『メリーさんの電話』になぞらえた行動だ。電話で知らせる居場所がだんだん近づいてきて、ついにマンションのドアの外(一戸建てなら玄関の外)までやってきて、落ちをばらせば、
『今、あなたの後ろにいるの』
で終わる怪談だ。
ま、こっちはとっくに相手の正体を知っているわけだが、恐ろしいのはその心理状態だ。怪談よりもサイコスリラーだ。この病的な偏執ぶり、一途に相手を思う思いが拒否されたときのストーカーの一方的な逆恨み。今マンションの前にいる彼女が本当に包丁を握りしめているような気がしてならない。
怒らせたのはまずかったか? オレはもう一度彼女から電話がかかってくるのを待った。今立ち去られて、いつか、電柱や建物の陰から刃物を振りかざして襲いかかられるのが怖い。……似合いそうだもんなー、そういう画が。
「来い、来い、掛けてこい……」
オレはケンカ別れした恋人が「もう怒ってないから仲直りしよ?」と電話してきてくれるのを待つように待った。
電話は…………………掛かってこない……………………
「 ピンポーン 」
部屋の呼び鈴が鳴り、オレは心臓が喉にせり上がるほど驚いた。
まさか・・、と思ったら、ガチャリとドアが開いた。
「兄ちゃん、ただいまー」
オレはへなへなと腰の崩れる思いがした。
「なんだよ、おまえかよ」
オレの二つ下、高校2年生の妹、円華(まどか)だ。
たしか朝からテニス部の練習に行っていたはずだ。我が妹だから当然美形で、男どもにもてる。
「おい、なんでわざわざチャイムなんて鳴らすんだ?」
玄関でがさがさ靴を脱ぐ気配がして声が答えた。
「兄ちゃんが変なことしてたら困るかなーって思ってさあー」
「こらこら、人聞きの悪い、変なことってなんだよ?」
「さあ〜? なんでしょう? 兄ちゃん、お客様」
「え?」
居間に入ってきた学校のジャージ姿の妹は、まったく異色の人物を連れてきた。
オレは腰が抜けるほど驚いた。
彼女は、ニッコリ笑い、嬉しそうに挨拶した。
「ご主人様。ただいま帰りました」
妹よ、知っているのか? このゴスロリは、危険だ!!