⑥
「ペア、行こう」
「ちょっと待って」
冬月はハンバーグをかっ込み水をぐーっと飲んで、立ち上がった。
「またデートかい?お2人さん」
にやりと下世話な笑みを浮かべて晃がボイルされたにんじんを丸呑みにする。
「ち、違うっ!わたしとペアはそんなんじゃないっ!」
顔を真っ赤にして美空が否定するが、晃はやれやれとため息をついただけで取り合わない。
「手取り足取り・・・なにやってんだか・・・」
「晃!君だって見にきたからしってるだろ!?」
夕飯後に美空からDの実践の手ほどきを受けることが最近の冬月の日課になっていた。晃も時々顔を覗かせている。
「わたしは先に行ってるから!」
美空はたたっと駆けて行ってしまった。冬月は晃に思いっきり顔をしかめてみせる。
「どうしてこう、人を困らせるようなことをするかなぁ・・・君は・・・」
「美人の困り顔だけでご飯3杯はいけるね」
「どうせならそこは”笑顔”にしとこうよ」
「笑顔なら10杯」
「太りすぎてボールみたいになってしまえ」
冬月は捨て台詞を残してトレイを返却しにカウンターに向かった。
・・・#・・・
寮の一階には篠崎寮長の部屋、食堂のほかに談話室なる部屋がある。”談話”と名は付いているが基本自由の部屋で、むしろ”談話”目的で使われているところを冬月は見たことが無かった。そもそも生徒がいない。
部屋の隅の丸テーブルにちょこんと美空が腰掛けていた。むっと頬を膨らませている。
「・・・あのつんつんは嫌いだ」
「晃はちょっと人をからかうのが好きっていう変わったやつで、悪いやつじゃないよ・・・たぶん」
強く否定できないのは晃の人徳のせいだ。冬月はぽつりと心の中で呟いた。
美空はまだ拭いきれていないような曇り空の表情だったが、嘆息し冬月に向き合った。
美空はロウソクを取り出し、机に置いた。
「どこにあったのこれ?」
「停電対策・・・」
「自前か・・・準備いいね。で、これに火を点けるんだね?」
美空はこくんと頷いた。冬月はふっと息を吐き、気合を入れる。
「ちょい待ったーー!!」
冬月と美空が入口を見ると、ぜえぜえと息を切らしながら一人の眼がねをかけた男子が立っていた。
同級生ではない。先輩だろう。
篠崎寮長の言葉以来、先輩=恐怖の対象としか写っていなかった冬月たちは突然の先輩の訪問
にきゅっと身を固くした。
眼鏡の先輩はおえっと嗚咽をもらしながらもしっかりした足取りで冬月と美空の前にきた。
近くで見ると意外と筋肉質で長身。ジャージ姿のスポーツマンといった印象だ。眼鏡はむしろおしゃれの一部のようなものなのかもしれない。
「寮で魔法の練習するときは、しの先生・・・寮長か、おぇ・・・先輩の付き添いがいるって・・・教わったやろ?」
「いえ」
「はぁ!?しの先生、いい加減すぎやろ!大事なこといっつもとばすんよなぁ!あのひと!」
先輩はいらいらと頭をかきむしった。その右腕には【風紀】の文字が。
「【風紀委員】のひとですか・・・」
冬月は思わず一歩引いてしまった。まだ入学して一ヶ月も経っていないのにもう目をつけられるようなことをしてしまった・・・。
眼鏡の先輩は苦笑いを浮かべた。
「そんな逃げんでいいって。まぁ知らんかったってのも嘘やなさそうやし・・・見逃してやる」
「本当ですか!?ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げた冬月を横目に見て、美空も軽く頭を下げる。
「いいなぁ。その謙虚な態度・・・1年生ってのはこうあるべきやなぁ。
・・・あ、俺は2年の樋口洋介な。一応【風紀委員】の委員長兼委員。よろしく」
「委員長兼委員?」
冬月の言葉に樋口はあぁ・・・と呟いた。
「ほら、神武の魔法科の人数って少ないやろ?やからどーしても委員不足になってなぁ・・・。しかも俺のイッコうえ・・・お前らやったら2コうえの代は新入生なしやったからますます人手が足りんでなぁ」
「そういえばそうでしたね」
「そっ。やから俺一人で孤軍奮闘せなイカンのよなぁ・・・・・なんの話やったけ?・・・あぁ、魔法の練習の話か。やからこれからはしの先生か先輩―まぁ俺でもいいけど―だれか付き添い呼んでやってな?」
「はい。・・・あの、先輩。これから練習しようかと思ってるんですけど・・・いいですか?」
「さっそくか・・・まぁいいや。ちょい待っといて。部屋から本取って来るから」
「はい。お願いします」
談話室から出て行く樋口の背を見送る。
「だれが先輩にしらせたんだろ・・・?」
「チクリやがって・・・」
「そんなんじゃないから」
美空にツッコミ、冬月はしばらく頭をひねって考えたが仕方ないことだと思いなおした。心配しただれかが樋口先輩に伝えたのだろう。
「お待たせ。ではどーぞ」
文庫本片手に樋口はイスに座った。
美空はどーぞと言うようにロウソクに手を差し出した。冬月は意識を集中する。
しかし、この日もロウソクに火がつくことはなかった。
照明の灯りが外の闇とはっきりと対比を描く頃、樋口の声に背を押されるようにして2人は談話室を後にした。
「・・・なんかごめんね。遅くまでつき合わせて」
「ペア・・・気にするな」
階段の上で美空が冬月を見下ろす形で静かに口を開いた。ただ鋭いだけと思えた美空の目は最近では凛として、それでいて捉えようのない熱を持っていると感じられるようになった。
美空はカタツムリの散歩なみに進まない冬月の練習に毎日付き合い、文句も不満も苛立ちもなにもみせることなく、次があるよ・・・といって励ました。そういう時の美空は普段の突き放すような態度とは打って変わって優しさと穏やかさをもった柔らかみをもった女神のように見えてしまう。
「僕はまだ何も教えてないからさ・・・ちょっと気になって」
申しわけなさで顔があげられず、冬月は床に視線を落とした。
「大丈夫。・・・まだ誤魔化せるから」
「早急に手を打ったほうがよさそうだね。えっと・・・談話室はもう開いてないし・・・あとは・・・」
がつんっ。
「大丈夫?」
冬月の問いには答えず、両手で鼻をおさえた美空がくるんと振り返る。壁に打ち付けた鼻と同じくらい顔が赤い。
「へ、部屋・・・か?わたしの・・・。い、いくらなんでも・・・それは気が、はやいというか・・・」
「違う違う。照さんの部屋にあがりこもうなんて考えてないって」
「じゃ、ペアの部屋?つ、連れ込む気か!?・・・狼だな」
「脱線事故おきてるよ」
「じゃあ、じゃあ・・・・・」
「おいっ、冬月。風呂行こうぜ、風呂」
着替えと洗面具一式を持った晃が見計らったようにひょいと部屋から顔をのぞかせる。
あわあわと慌てふためく美空。身振り手振りを交えて必死に説明する冬月を交互に見、晃はにやりと口角をあげた。
「お風呂の前におふと・・・」
「下ネタは止めろ、晃」
ばたんっと締め出すような音に、冬月が振り返ると美空の姿は掻き消えていた。部屋に逃げたらしい。
「いや~ひとをからかうのってどうしてこう楽しいのかね?」
「性根が腐ってるからじゃないかな・・・」
けたけたと他人の玩具を取り上げたガキ大将のように笑う晃に大袈裟にため息をついてみせ、冬月は着替えを取りにのっとたりと自分の部屋のドアをあけた。
・・・#・・・
昭和の銭湯を無理に1部屋に押し込めたような風呂場はお世辞にも豪華とはいえない。壁に描かれた富士山もどこかのちゃちい小山にしか見えない。
「で、特訓のほうはどうなわけ?」
誰もいないことをいいことに風呂にダイブした晃を尻目に冬月はゆっくりと湯に身を浸した。
「全然だめ」
「そっか・・・。なーにが悪いんだろうな~・・・Dの流れは視えるんだろ?」
「うん。・・・けど操れないんだよね」
冬月はそっと湯を掬い上げてみた。さらさらと指の間をすり抜けるようにしてお湯は全て流れ落ち、手の中にはなにも残らない。
「川をみて、その水に触れることはできても、流れをどうこうはできない。普通だったら当たり前なんだけどね・・・」
「へ?じゃあDに触れんの?」晃がばしゃっとお湯をはねあげて冬月に向き直る。
「まぁ、一応」
「集めたりは?」
「できる」
「ほぅ・・・視て、触れるのに、魔法として形にはできない、か・・・ん~~・・・」
晃はきゅっと眉を寄せ、ぶつぶつと何事かを呟く。真っ裸で頭にひよこさえ乗せていなければ難問に挑んでいる学者にみえなくもない。
「晃、そんなに悩んだら知恵熱でのぼせるよ」
「ばか。俺は普段から高尚で崇高な考えに浸りきってんだよ。こんくらいどうってこたぁない。
それよか冬月、ちょいここにD集めてくんね?」
晃が湯面に手の平ほどの円をすっと描いた。
「こう?」
「いや、もっと・・・あ~あ~、そんぐらいそんぐらい」
湯面の円は肌が粟立つほどのDを湛え、飽和状態のDが外へ飛び出そうと暴れまわる。
冬月は顔をしかめた。この状態を維持するのは楽ではない。
「俺、自分の部屋のカギ閉め忘れたかも。・・・【千里の眼】ってどうやるんだっけ?」
「あがって確かめてくれば?」
「めんどい」
「そっ・・・」
これ以上言っても聞き分けそうにもないので【千里の眼】の造り方をさらっと説明する。
晃はほうほうと演技くさい生返事をよこした。だが、すぐに冬月の集めたDをもとに【千里の眼】を生成した。
ホントに優秀なんだな。胸のうちに起こった微かな嫉妬を嘆息とともに押し出す。
【千里の眼】には何も映ってない。ぼんやりした光の輪のなかで、ただただ水面が漂っているだけ。
「晃、きみ、魚類だったんだ。部屋、水だらけ」
「・・・いや、大成功だ。サンキュ」
久しぶりに大好物を目の前にしたひとのように、晃はふんふんと熱っぽく【千里の眼】を見つめる。
どうみても”閉め忘れたかどうかの確認”じゃない。
「なにみてんの?」
晃ががっつくように覗き込んでいるせいで冬月からは見えない。
「ん~?んふふふ~ん」
「自分の部屋のドアをそんなに楽しそうにみるひと初めてみたよ」
「みてみ」
晃がすっと身を引いた。冬月は視線を【千里の眼】に落とす。
ゆらゆら揺れる水。・・・いや、お湯だ。湯気がたってる。
なにこれ?口を開いた刹那、【千里の眼】に影がよぎった。
新雪が薄汚れて見えるほどの白。つやつやと艶につやめく黒。
人の―女の人の―肩。
「あ・・・こ、これは・・・っ」
「ばっかっ!ちゃんと【眼】、維持してろって!」
冬月があたふたし、晃が【千里の眼】を保持しようとした時、”向こう側”の女性がさっと振り向いた。
その顔を見て冬月の五臓六腑が口に押しかけた。
照さん!
幸いにして(?)【千里の眼】は湯面に平行するアングルのため、美空の鎖骨より下は見えない。
美空は怪訝そうに眉をひそめた。が、やがてしっとりした濡れ羽色の髪をかき揚げ、そっとタイルにもたれた。
「け、消さなきゃ!」
「ゼンっ!声おとせ!向こうに聞こえる!」
ばたばたする冬月の耳に突如、美空の声が届いた。刹那、動きを止める。晃にも聞こえたらしく、同じくぴたっと固まっていた。
『やっぱり・・・』
【千里の眼】に、憂げな表情の美空がうつし出される。髪をくるくると指に巻きつけていた。
『教え方がよくないんだ。わたしがもっと上手く伝えられれば・・・』
美空がそっと息をついた。
『頑張ろう。ペアはきっと、もっと頑張ってる。あとは、わたしの頑張り次第なんだから』
美空はお湯を跳ね上げ、立ち上がると、【千里の眼】の視界から消えた。
・・・#・・・
「汚ねぇ・・・」
長い沈黙を破ったのは晃だった。目をぎゅっと閉じ、ぼそっと呟く。
「汚ねぇよ。俺」
「晃・・・」
ばっと立ち上がると、晃は猛牛よろしくの突進で風呂場から出て行った。
・・・#・・・
「あ、照・・・さん」
美空は後ろでに手を組み、冬月の部屋のドアにもたれていた。
「ペア、ちょっといいか?」
「えっと、う、うん。なに?」
【千里の眼】のことが頭をよぎる。同時に自分自身への言いようのない嫌悪感と照に対しての申し訳なさが首をもたげる。
「さっき、あのつんつんからいきなり土下座された。・・・なんでか、わかるか?」
晃・・・そこまで。
僕がやるべきことは、一つ。
怪訝そうにしていた美空の表情が、驚き、そして困惑が浮かび上がる。
「な、なんでペアまで土下座なんかするんだ!?顔をあげてくれ、おいっ!」
「照・・・いや、美空さんっ!今は黙って詫びさせてくださいっ!!」
冬月にはこれしか思いつかなかった。
ひんやりした床についた冬月の額は長く浮き上がることはなかった。