④
「美空さんっ。美空さんっ。ちょっとドア開けて話聞いてくれない!?お願いっ!」
ドアの前で冬月は叫ぶ。恥も外聞も失礼も妙な噂がたつかもなどという心配も捨てて叫ぶ。
退学にはかえられない。
「美空さ、」
不意にドアが勢いよく開いた。冬月は鼻を押さえて部屋の中に踏み込みこんだ。
美空はベットのそばにひざをつき、手当たり次第に荷物をバックに放り込んでいた。壊れても構わないといわんばかりの荒々しさ。きゅっと口を真一文字にきつく結び、冬月には一瞥もせず手を動かし続けてる。
「ドアを開けるのにD使うとこういう事故が起きるからやっちゃだめだって・・・」
つい小言が口をついた。ティッシュを鼻につめる。
美空はふんっと鼻を鳴らした。教科書を乱暴に引っつかんでバックに投げ込む。
「・・・だから魔法科の連中って嫌い」
美空が呟いた。低く、地の底で唸るような声に冬月はたじろいだ。
「傲慢で自己中心的で見栄っ張りのカッコつけ。何かにつけて理論振り回してわけわかんないこと押し付ける・・・髪の毛つんつんのやつもあの漁師みたいな先生も・・・あんたも」
冬月の前でずばっと斬り捨てる。
「気に入らない態度とったのは誤るよ。でも、だからって辞めることはないじゃないか」
「わたしは元々普通科中心の高校に進学希望だった。・・・神武になんかきたくなかった。
記念受験っていってたのに・・・万一受かったって行かなくてもいいって、言ってたのに・・・」
美空は仇を睨むような、威圧感を秘めた眼光を冬月に向けた。
怒りを通り越した感情は憎しみへと名前を変える。
「とどめは・・・エロ本男とペアになれだなんて・・・。冗談じゃない」
「それは誤解だってば!」
「わたしのこともやらしい目で・・・」
「見てないっ!」
自分の不注意だったと理解してはいてもどうしても晃のせいで・・・と考えてしまう。
美空は大きくため息をつくとバックを引っつかんだ。
「・・・とにかくわたしは出て行くから」
「待ってっ!」
思わず美空の手を掴む。美空の手は磨かれた氷のようにひやりとしそして滑らかだった。
美空の顔にさっと朱が走る。刹那、冬月の手がばしっと弾かれた。
「気安く触らないで・・・」
「ごめっ・・・」
弾かれた手を揉みながら、目をひたと美空に向ける。
「・・・美空さんがどうしてもっていうなら・・・止め、は、しない、けど・・・」
「なら行く」
「それは困る・・・」
「どっちなの!」
「つまり僕には美空さんが必要なわけなんだよ!」
美空さんの目がまん丸になり、口をぱくぱくさせた。色白の肌がみるみる桜色に染まる。
「なんで今・・・そんなことを・・・」
「”そんなこと”って・・・。だから美空さんがいないと僕はだめなんだよ」
きゃ~という黄色い声に冬月と美空が同時に入口を見やる。
開け放たれたドアの前で晃と2人の女子が新しい玩具を見つけたサルのように大騒ぎしていた。
「タイトルは《某有名高校1年生の初々しい恋》でどうかな?夏木さん?」
晃がケータイを隣のショートカットの背の低い女子に見せる。その娘も手にケータイを握り、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「いいね、アキラ。それいただき。あたしはこの動画を二ユ二ユ動画にアップする」
「じゃ、俺はミーチューブに」
「2人とも止めなよ。そんなことしちゃダメだよぅ。困ってるじゃない」
常識人らしき女子もいるにはいたが、ケータイの液晶と冬月と美空を交互に見るあたり野次馬根性を抑えきれていない。頭の後ろで結び、背中に垂らした髪が左右にせわしなく揺れている。
ここまでみて、ようやく冬月にも状況が理解できた。
自分の発言が、360度どこからどうみても告白と受け取られるたぐいのものであったことを。
「晃っ・・・!君ってやつはっ・・・!」
「いやぁそれほどでも」
「誉めてない!」
夏木と呼ばれた女子がにこにこ笑いながら部屋に上がりこんできた。ポニーテールの女子も張り付くように夏木に続く。
「いいもの見せてもらったよゼンくん。ネットにアップすんのは嘘だけどキミの勇姿はあたしの心にしっかりアップさせてもらったからね。不定期でいいから更新してね!」
「ないっ。ないからっ!勘弁してよ」
ぐっとたてられた親指に激しく動揺しながらも冬月はぶんぶんと首を振った。
「優ちゃん、からかっちゃダメだってば。冬月くんは勇気だして、必死の想いで告白したんだから」
ね?と爽やかな笑顔でとんでもないことを言う。
「でもねぇ風華。あんただって結構のりのりだったじゃない」
「ち、違うもん!晃くんと優ちゃんが無理矢理誘うからしかたなく・・・」
「まぁまぁ朝日さん。こんなオモシロ・・・芸術的場面に興味が出ないなんて逆におかしいからさ。気にすることないって」
「晃!やっぱり君が言い出したことなんだな!?」
「お前が美空さんのドアの前で叫んでるの見てさ、たまたま出会った夏木さんと桃山さんを連れて来たってわけ」
「なんでお供なんか連れてくるんだよ・・・!」
「幸せは分けると2倍になるっていうからねぇ」夏木さんがひょいと口をはさむ。
「僕は今不幸なんだけど」
「この待ち受けとかどう?朝日さん。出て行こうとする美空さんにすがりつく冬月」
「きょ、興味ないです・・・・・あ、この2番目のやつ、いい・・・かも」
「そこの2人は何やってんの!?」
「・・・け」
だれかの呟きがざわざわした雑多な空気に穴を開ける。空気が抜けるように急速にみんなの口が止まる。
桜色から一気に紅葉した顔、わなわなと震える手は何かを絞め殺しているかのようにきつく握りこまれていた。
「全員出てけーーーっ!!」美空が怒鳴った。
ふわっと身体が浮き上がり、透明な巨人に引き摺られるように美空以外の4人はぺいっと部屋の外に放り出された。
ドアがばたんと閉じられる。
その瞬間、冬月の学園生活も終わりを告げた。
「ツンデレってやつか?今んとこ”ツン”の要素しかねぇけど」
冬月は晃のにやけた顔を一発ぶん殴ってやろうかと拳を握ったが、身体が動かなかった。
「何にしてもこれからの学校生活にいいスパイスが見つかってよかったよ。
じゃあ、また明日ね、晃、ゼン。いこう、風華」
「うん。・・・2人ともこれからよろしくお願いしますね」
朝日はぺこりと頭を下げ、夏木と一緒に歩きさってしまった。
「俺は晩ご飯まで一眠りしようかね。じゃあな、冬月」
「・・・あぁ」
返事の”あぁ”かはたまた詠嘆の”嗚呼”か。
晃が去ったのち、冬月はゆっくりと自分の部屋に戻っていった。
・・・#・・・
熊野先生か篠崎寮長か・・・。冬月はバックの前で正座をしてその時を待っていた。甘い期待は持たない。退学を告げる使者の訪れを静かに待っていた。
こんこん。ノックの音。終わりの音。時刻は午後6時。これが僕の最後の時。
冬月はバックを希望を下ろし、失意を積んだバックを肩にかけ、ドアを開けた。
立っていたのは美空照その人だった。平静さを取り戻したらしく、怒りの色はその表情からは読み取れない。
「出てったんじゃ・・・」
「・・・そうしようかと思ってた」
美空は鬱々と小さくため息をついた。長い睫毛が疎ましげにぱちぱちと瞬く。
「でも・・・あんたが”そんなふう”にわたしのこと思って・・・想ってたなんて・・・」
ずれてる。冬月は直感的にそう感じた。
美空のポーカーフェイスが徐々に瓦解していく。外側からではなく内側から。
「あ、ああいう直球は、す・・・嫌いじゃ・・・ない」
「・・・」
ついに美空は自身の華奢な足に視線を落としもじもじし始めた。
空き巣をしに侵入したのに心臓発作で倒れていた家の人を助けてしまい、表彰されたような・・・。そんな妙な気分を冬月は味わっていた。
「・・・あんたの気持ちは・・・その・・・わかった」
「わかったって・・・」
美空は不意に顔をあげた。長い黒髪がさらりと流れ、淡い朱に染まった頬が夕日を浴びて不思議な影を整った顔のなかに落とす。
「わたしは神武に残る。・・・頑張って・・・みる。だから、これから・・・よろしく、ね?ペア」
冬月がなにか言う前に、美空はぱっと身を翻した。
そういえば・・・。美空さんは僕の隣の部屋だった・・・。
冬月はぽつりとそう思った。