しょうもない断罪にツッコんだ伯爵令息は、気づけば王配になっていた
ずっと重たいものを書いていたので、今回はかなり気分転換です。
しょうもない断罪に、しょうもない顔でツッコむ人を書きたくなりました。
深く考えず、軽く読んでいただければと思います。
大広間は、いつもより少しだけ明るかった。
磨き上げられた床に天窓の光が落ち、集まった貴族たちの顔を、必要以上に立派に見せている。こういう場で立派に見えるものほど、だいたい中身は薄い。中身が薄いから、光で盛る必要がある。
段の上には第三王子がいた。玉座ではない。王冠もない。だが、王族が一段高い場所に座っているだけで、場はもう半分ほど結論に寄る。人は高さに弱い。高い場所にいる人間が何も決めていなくても、勝手に「決まる」と期待してしまう。
「では、申し上げます」
最初に口火を切ったのは子爵令嬢だった。頬は上気し、声は少し震えている。だが震え方が綺麗だ。涙を出す一歩手前の、もっとも同情を買いやすい震え方だった。よく練習された舞台役者のようで、逆に感心する。
「私は、殿下のお立場と、王宮の品位のために、どうしても黙っていられませんでした」
品位。秩序。名誉。こういう言葉が出た時点で、たいてい碌な話ではない。中身が薄い時ほど、器だけは豪華になる。
その正面に立っているのは男爵令嬢だった。衣装は控えめ、姿勢は真っ直ぐ、表情は落ち着いている。泣いてもいないし、怒ってもいない。だから余計に都合がいいのだ。騒がない人間は、空気の都合でどうとでも意味づけできる。黙っている人間には、好きな台詞を後から貼り付けられる。
第三王子がやや困ったような顔をした。困った顔が似合う男だった。人が良く見える顔、と言ってもいい。実際、人は悪くないのだろう。ただ、悪くない人間は、こういう場で何より困る。悪くない人間は、嫌われ役を引き受ける訓練をされていない。
「……まず、話を聞こう。子爵令嬢、何があった」
優しい言い方だった。優しい言い方は便利だ。責任を取る覚悟がなくても、責任を取る顔だけはできる。
子爵令嬢は息を整え、小さく胸元に手を当てる。
「男爵令嬢が、殿下と二人で図書室におられました」
ざわめきが走った。
いや、正確には、ざわめく準備をしていた人間が、一斉にざわめいた。待っていたのだ。何でもいいから、少しだけ香りのある言葉を。
「夕刻、人気のない場所で……それも侍女を下がらせて」
男爵令嬢が静かに口を開く。
「殿下のご指示で、蔵書目録の確認をしておりました。侍女を下がらせたのも、殿下から“人数は要らない”と」
単純な説明だった。事実としてはそれで十分だ。十分なのだが、十分では物語にならない。人は物語の方が好きだ。事実は乾いている。乾いているものには、自分の感情を染み込ませる余地がない。
子爵令嬢は、少しだけ声を強めた。
「ですが、それが問題なのです。殿下のお立場で、男爵令嬢とそのように近しく……もし誤解を招けば――」
誤解。便利な言葉だ。誤解を避けるため、と言えば、誰も「何が事実ですか」と聞きにくくなる。事実を確かめる前に行動制限を正当化できるからだ。
第三王子は、場を見回した。何人かが重々しく頷いている。何人かは沈痛な顔をしている。何人かは、もう話が自分の好む方向へ転がることを確信している顔だ。
「……誤解を招く行為は、確かに慎むべきだろう」
ああ、と思った。もう危うい。
この人は、今「双方に配慮する穏当な着地」を探している。だが、こういう場で穏当な着地を探す人間は、たいてい一番雑な結論を出す。誰も明確には悪くない、だから全員少しずつ悪い、みたいな顔をして。そういう結論は、だいたい弱い方にだけ傷が残る。
「しかし男爵令嬢にも事情が――」
と、そこで。
段の端、ほとんど背景みたいな位置にいた伯爵令息が、椅子の背に浅くもたれたまま、低い声で呟いた。
「……この国、大丈夫か?」
小さな声だ。独り言にしか聞こえない程度の大きさ。だが、独り言ほど空気を切るものはない。誰も言わないことを、誰にも向けずに言うからだ。
第三王子の言葉が止まった。子爵令嬢が目を瞬かせる。男爵令嬢だけが、ほんの少しだけ視線を動かした。
「伯爵令息」
第三王子が低く言う。叱責というより、意味を測りかねた声だ。
「今のは、どういう意味だ」
伯爵令息は視線も上げなかった。若い男だった。だが、目元には疲れた中年みたいな影がある。王宮に長くいると、こういう顔になる。まともに怒る体力より、先に諦める技術ばかり磨かれる。
「そのままの意味です。会議の体裁だけ整って、中身がありません。罪状がない。被害も定義されていない。なのに裁こうとしている。国として大丈夫かと」
大広間が冷えた。
冷えたのは彼の言い方のせいではない。冷えるべきものが、ようやく冷えただけだ。
子爵令嬢が一歩前に出た。
「私は、ただ殿下のためを思って――」
「何をされたんですか」
伯爵令息が遮る。声は低いままだ。怒っていない。怒っていないから、余計に逃げ道がない。
「え……」
「男爵令嬢に、何をされたんです」
「された、というほどでは……」
「では処分は要りません」
言い切る。
何人かが息を呑んだ。誰もまだ処分とは言っていなかった。だが、皆の腹の中にあったものを、勝手に机の上へ引きずり出された気分になったのだろう。
「伯爵令息、言い方が――」
横から年配の貴族が口を挟む。
伯爵令息はそちらを見ない。
「言い方ではなく、順番です。子爵令嬢は、男爵令嬢に具体的に何をされたのか。そこが空のまま、殿下の名誉だの秩序だのと器だけ並べている。中身がないんですよ」
第三王子が、ようやく自分を取り戻そうとする。
「待て。誰も処分だとは――」
「殿下」
伯爵令息が、初めて顔を上げた。
「今この場にあるのは、“処分した気分”になりたい空気です。罪があるかどうかではない。誰かを少し下げて、自分たちは秩序の側だったと思いたい。それだけです」
第三王子の喉が止まる。言い返せない。図星だからだ。
伯爵令息は続ける。
「男爵令嬢。図書室での業務は殿下の指示ですね」
「はい」
「侍女を下がらせたのも」
「殿下のご判断です」
「子爵令嬢」
視線が向く。
「あなたは何を見ました」
「……お二人が近くに」
「近い、以外で」
沈黙。
「つまり、事実として確定できるのは“殿下と男爵令嬢が同じ空間にいた”だけです。以上です。それを罪にする規則があるなら、今ここで条文を出してください」
誰も出せない。あるわけがない。だから気分で始めたのだ。
伯爵令息は小さく息を吐いた。
「……あー。馬鹿なんだ」
今度は何人かがはっきり聞いた。だが誰も怒鳴れない。怒鳴ったら、感情で反応した側になる。今この場で一番まずい役だ。
第三王子が、ようやく弱々しく訊ねる。
「……なら、どうすべきだ」
伯爵令息は肩をすくめた。
「会議を終わらせる。処分も注意も出さない。出すなら運用改善だけです。今後、図書室の業務には侍女を一人つける。それで十分。子爵令嬢には“心配”と“断罪”は別だと教える。以上」
派手さのない結論だった。だからこそ、正しい。
第三王子はしばらく黙り、それから短く頷いた。
「本件は、処分を行わない。男爵令嬢の業務に不正はない。子爵令嬢の不安は不安として受け止めるが、不安は罪ではない。今後は図書室での業務に侍女を同席させる。……以上だ」
拍手は起きなかった。起きない方がまともだ。拍手は、誰かが勝った時の音だ。今日は勝敗の話ではない。止まるべきものが止まっただけだ。
人が散り始める。
だが伯爵令息は、まだその場を出ない。椅子から立ち上がり、第三王子を見上げた。
「殿下」
「……何だ」
「お兄様に叱られて来い」
その瞬間、大広間が本当に静まった。
第三王子が信じられないものを見る顔をする。
「兄上は、関係ないだろう」
「ありますよ」
伯爵令息は一切引かない。
「止めてくれる人間がいるかどうかは、王家の健全性に直結します。殿下が自分で止めきれないなら、止められる人に怒られてください。その方がまだ早い」
「お前な……」
「この会議、兄上にそのまま説明して通ると思いますか」
第三王子は黙った。
通らない。自分でも分かっているのだろう。
伯爵令息はもう一つだけ、男爵令嬢へ視線を向けた。
「あなたは、今日一番まともでした。次からは事実だけ言ってください。黙っていると、勝手に物語を足されます」
男爵令嬢は一瞬驚き、すぐに小さく頭を下げた。
伯爵令息は、それ以上何も言わずに出口へ向かう。背中がひどく面倒くさそうで、だからこそ場を救った人間には見えなかった。
回廊の影に、小さな影がある。
九歳の王女だった。
本来なら、こういう場を見せるべきではない年齢だと判断された。だから遠ざけられた。だが王宮の大人が子どもを遠ざける時、だいたい仕事が雑になる。雑だから、影から見えてしまう。
王女は、拍手の前のざわめきも、秩序だの名誉だのという器ばかり立派な言葉も、よく分からなかった。
けれど、一つだけ分かった。
誰も止めない時に、止める声があること。
嫌われても構わない顔で、順番を戻す人間がいること。
兄たちは優しい。
優しいけれど、優しさは時々遅い。
あの伯爵令息は優しくない。
だが、遅れない。
王女は、そこで決めた。
自分が王になること。
そして、あの人を隣に置くこと。
恋ではない。憧れでもない。
この国が壊れない配置として、そう決めた。
伯爵令息は、まだそれを知らない。
出口の向こうに消えていく背中は、ただ「余計な仕事が増えた」と思っているだけの背中だった。
そのツッコミが、後の人生をどこまで確定させたのか。
彼自身は、最後まで気づかない。
それを見ていた、九歳の王女だけが知っている。
――なんやかんやあって。
第一王子は、王家直轄領を下賜され、公爵として土地を治めた。
第二王子は、隣国でパンを焼きながら、たまに国を外から救った。
第三王子は、二人の妻としょうもない言い合いを続けつつ、七人の父になった。
第一王女は、酒を飲みながら嫁ぎ、四姉妹の母になった。
そしてあの九歳の王女は、予定通り女王になった。
伯爵令息は王家に使い倒され、止めるたびに責任と地位が積み上がり、ついには宰相となり王配にまでなった。
その夜、女王の私室でも、王配――かつての伯爵令息は、まだ書類を見ていた。
「それ、まだ終わらないの?」
女王がソファに腰掛けたまま言う。声音は軽い。軽いが、彼は知っている。軽い時ほど、この人は譲らない。
「終わりますよ。ですが国事です」
「早く終わらせないと、夜の時間が減るでしょう」
王配の手が止まった。
「……それ、国事より優先順位高いんですか」
「当然でしょう」
即答だった。
王配は深く息を吐く。
「……国を回しているのか、囲われているのか、たまに分からなくなります」
「今さら?」
女王は笑う。
九歳の時から決めていた人間の笑い方だった。
王配は、しばらく黙ってから、ようやく書類を閉じた。
あの断罪の場で、ただ一度だけ空気にツッコんだ男は、結局最後まで王の隣から逃がしてもらえなかった。
そしてそれを、本人以外はだいたい最初から知っていた。
今回の話は、重たいものをずっと書いていた反動で出てきた、かなり軽めの一本でした。
正直、気分転換と手抜きのあいだみたいな顔をして生まれています。
とはいえ、書いているうちに、しょうもない断罪にしょうもなくツッコむ人と、それを見て全部決めてしまった王女の話になりました。
軽い温度で始めたのに、気づけば妙なところだけしっかり重くなっていて、自分でも少し笑っています。
深いざまぁもありませんし、大きな逆転劇もありません。
ただ、空気で進みかけたものを止める人がいて、その一言を見ていた子がいた、というだけ
の話です。
たまにはこういう、あまり気負わず読めるものもいいかなと思って書きました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




