紫陽花(あじさい)
2026年、3月。
この時期になると、毎年思い出す。
滲み出す記憶は止められない。
心温まるような、少し怖いような、そんな出会いがあった。
2022年、3月初旬。
来年から大学生活が始まる私は、手頃な足を探していた。
一目惚れしてしまった。
あの白い肌。
白い小さめのバイクが裏路地に停めてあった。
「可愛い…コレ欲しいなぁ」
「え?」
ヤバい思ったより近寄っていたらしい、聞かれたかな、聞かれたよね。
「このバイク、可愛いですか?」
バイクの側にいたお兄さんが立ち上がる。
スラッとした長身、白い肌、色素の薄い髪の色。
正直、このお兄さんにも一目惚れしそうなくらいだ。
「はい!この子、とっても可愛いです」
「この子…か、そう、コレはスーパーカブって言ってね、世界中で人気なんだよ」
何故か少し淋しい表情をした後、打って変わって笑顔でそう言った。
「でも、想像してたスーパーカブとは違うような?」
「そうなんだよ、レッグシールドを外して身軽にしてあるんだ」
「へぇ、それだけで随分印象が変わりますね」
「このバイク…君に貰って欲しい」
「え?あっ猫だ」
お兄さんの後ろを、錆色の猫が通り過ぎていった。
「あっ、すみません…えと?」
「今の話聞いてた?」
後ろの塀に、スズメが3羽降りてきた。
「おっスズメが丸い、可愛いなぁ、まだ寒いからかなぁ…あっ!」
お兄さんが声を出して笑い出した。
「久しぶりに本気で笑ったよ、君は紫陽花みたいな人だね」
「え?は?ありがとうございます」
この時、私は意味が分からず、取り敢えず褒められたのだと思いお礼を言った。
「その…このバイク、ホントにくれるんですか?」
「良かった、聞いてたみたいだね」
お兄さんは満面の笑みを浮かべた。
「免許は持ってる?」
「はい!普通自動二輪車の免許を持ってます」
「良かった、色々やらなきゃいけない事があるから、3日後にまたここに来てくれるかな?」
お兄さんは再び腰を下ろした。
「はい、楽しみにしてます」
私は、90度に腰を曲げ頭を下げた。
何故、私はこんなにも素直に受け取ってしまったのか、自分でも分からなかった。
3数日後。
裏路地の白いバイクの傍らには、老年の女性が立っていた。
「あなたなのね?このバイクの新しい主人は」
「あの…?何が何だか…?」
「そうよね、分からないわよね」
上品なこの女性は、3日前に会ったお兄さんの、お母様だそうだ。
そして、色々話した最後の台詞に私は驚愕した。
「私の息子は、去年の3月に亡くなったの」
「嘘…だって、私…3日前に…」
「少し…お話いいですか?時間が大丈夫なら」
「はい…」
私は混乱していた。
「丁度、おいしい和菓子が届いたの、一緒にお茶でもどう?」
「あの子はバイクが好きでね、いつもいじってたの」
丸テーブルを挟んで、向かいに腰を下ろす。
「元より身体が弱くてね、憧れては居たけど、大きなバイクに乗る体力も腕力もなくてね」
緑茶の湯気が揺蕩う。
「相棒に選んだのが、あのスーパーカブだったの」
和菓子には手が伸びない。
「そして、病にかかってからは、あの子を…スーパーカブの方ね」
くすりと笑うお母様。
「誰かに譲りたいとずっと思ってたわ、そして、バイクを残してあの子は逝ってしまったの」
「………」
「ずっとずっと待ってて、やっとあなたが現れたの」
「?」
「本当にこの子に惚れた人に譲りたいって、ずっと、亡くなった後もバイクの側にいてね…」
目を伏せるお母様。
「私には、その価値があるんですかね?」
「息子がそう思ったのなら、そう信じたいと、私は思う、だからきっと成仏できたのよ」
「もう、お兄さんには、会えないんですね…」
寂しい気持ちがじわじわと膨らんできた。
あの、人懐っこい笑顔が忘れられない。
「そうね、でも心残りが無くなって、あの子も喜んでると思うわ、ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございます…大切に、ずっと大切にします!」
「それと、息子から伝言があります」
「はい」
「余り、初対面の人に、名前やら住所やら教えないほうがいいって、個人情報は大事にしないとね」
そのおかげで、諸々の手続きはスムーズにいったみたいだけど。
「あっ…」
私は赤面して小さくなった。
現在。
そう言えばあの時、お兄さんなんて言ってたっけ。
そうだ、その言葉を思い出し、私はスマホを叩き検索する。
「うは!」
変な声が出た、結構デカい声が、周りを見回す、誰にも聞かれていないようで胸をなで下ろした。
初対面の幽霊にこんな事思われてたのかと、私は自分の耳が熱くなるのを感じた。
軽くため息を吐き、見上げると、まだ高くなりきってない青空に、気持ちよさそうに一つ雲が浮かんでいた。
「ヤバっ!講義講義!遅刻はマズイ!また後でね!」
律儀に、白いスーパーカブに挨拶をして走り出す。
そんな締まらない私の、不思議な出会いの物語でした。
春の前になるといつも思い出す、私の大事な記憶です。
紫陽花の花言葉∶移り気。




