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白紙の叙事詩  作者: ムラサメ
本編
6/16

故郷の村

翌朝、アルバスは日の出とともに、執政官カシムによって緊急の会議室へと呼び出された。

 そこには、まだ眠気の残る目をこすりながら集まったグレン、セレス、そしてリリーの姿もあった。


「……事態は一刻を争う」


 カシムが、重苦しい表情で地図を叩いた。


「偵察隊からの報告だ。北にある『ナギの村』が、魔王軍の別動隊に完全包囲された。奴らの狙いは村の地下にある聖石の鉱脈だ。これを奪われれば、魔王軍の戦力はさらに跳ね上がるだろう」


「ナギの村って……あそこ、リリーの故郷じゃねぇか!」


 グレンの叫びに、リリーが青ざめた顔で立ち上がった。


「ええ。父さんも、母さんも、まだあそこに……」


 アルバスは、地図を注視していた。

 『リリーの故郷』。知識としては知っている。半年前、そこを訪れたときに彼女の両親から歓迎を受け、最高の夕食を振る舞われたことも覚えている。

 だが、その時に感じたはずの両親の温かな眼差しや、リリーが嬉しそうに自分の育った場所を紹介してくれた時の「愛おしい記憶」が、今はもう砂のように抜け落ちている。

(……救出しなければならない。勇者として。そして、仲間のために)

 彼は自分の中にある「正義」という芯を必死に奮い立たせた。記憶はなくても、やるべきことはわかる。


「すぐに発とう。敵の規模は?」


「数は五百。だが、指揮を執っているのは魔王軍の幹部、影の魔術師だ」


 カシムの説明を聞きながら、アルバスの頭の中で「最適解」が弾き出される。

 五百の軍勢。強力な指揮官。今の自分たちの戦力。そして、リリーの精神状態。


「カシムさん、提案があります。……敵の狙いが鉱脈なら、彼らが地下に潜り込む瞬間が最大のチャンスだ。リリーの広域魔法で村全体を氷結させ、動きを止めた隙に俺とグレンで指揮官を叩く」


「……ちょっと待てよ、アルバス」


 グレンが顔を強張らせて割り込んだ。


「村全体を氷結させるって……そんなことしたら、逃げ遅れた村人やリリーの両親はどうなるんだよ!」


「リリーの魔力なら加減ができるはずだ。……違うか、リリー?」


 アルバスは隣のリリーを見た。

 リリーは、震える手で杖を握りしめ、信じられないものを見るような目でアルバスを見つめていた。


「アル……無理だよ。五百の敵を足止めしながら、村人だけを避けるなんて……。そんなの、今の私じゃ失敗して、みんなを傷つけちゃうかもしれない」


「だが、それが最も効率よく敵を殲滅できる。失敗する可能性を考慮しても、これが一番……」


「……アル、あなた、今何を言ってるかわかってるの!?」


 リリーの叫びが、会議室に響いた。

 彼女の目には、涙がたまっている。


「私の家族だよ? 私が育った家だよ? 失敗したら……なんて、どうしてそんなに平気な顔で言えるの……?」


 アルバスは、言葉に詰まった。

 冷徹になりたいわけではない。彼はただ、最も確実に「村を救う」ための最短ルートを提示しただけなのだ。

 だが、リリーの両親を大切に想っていた記憶や、彼女の故郷に愛着を感じていた記憶を失った彼は、無意識のうちに「犠牲のリスク」と「勝利の確率」を天秤にかけてしまっていた。


「……すまない。リリー。俺は、ただ確実に勝ちたいだけなんだ」


 アルバスは、リリーの肩に手を置こうとした。

 けれど、昨夜と同じように、その指先はためらい、空中で止まってしまった。

 「母親に撫でられた温もり」を失った手では、どう触れれば彼女を安心させられるのか、どうしても確信が持てない。


「……俺が先に行く」


 アルバスは手を下ろし、背を向けた。


「俺が一人で村の正面から切り込む。敵の注意が俺に集まっている間に、グレンとセレスで村人を避難させてくれ。リリーは……無理をしなくていい。後方で待機していろ」


「おい、一人で五百を相手にする気か! 死ぬぞ!」


 グレンの声が背中に刺さる。


「……死なない。俺は勇者だ」


 アルバスは振り返らずに、部屋を出た。

 廊下を歩きながら、彼は懐の黄色い花に触れた。

 リリーを愛おしいと思った記憶はない。

 けれど、彼女が泣いている姿を見て、胸の奥が焼けるように痛むことだけは、まだ忘れていなかった。

 この痛みが消える前に、すべてを終わらせなければならない。

 その影で、悪魔が楽しげに口笛を吹いている。

 アルバスが「勇者としての正解」を選ぼうと足掻けば足掻くほど、その心に空いた穴は、より残酷な形で仲間たちを切り裂いていく。

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