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白紙の叙事詩  作者: ムラサメ
本編
3/16

西の空が、橙色に染まる頃、僧侶のセレスは足を止めた。


「……今日は、ここで休みましょう」


「まだ街まで距離があるぞ。もう少し進まねぇか」


 グレンの言葉を、セレスは静かな首振りで遮った。


「この一帯、魔力の流れが極端に不安定です。夜の闇でこの歪みに捕らわれれば、移動そのものが命取りになりかねません」


 セレスが結界を張り、野営することになった。



 夜。

 焚き火が、不自然に歪む。


「……来たのか」


 背後に気配を感じ、見張りに立っていたアルバスは呟いた。眠る仲間たちを起こさぬよう、声は極限まで抑えられている。


「君の削れ方が興味深くてね。というより力を使いすぎだ」


 闇の隙間から、染み出すように悪魔が姿を現した。その視線は、焚き火の傍らで丸まって眠るリリーへと向けられている。


「それと、彼女は実に鋭い」


「君が、かつての君の『記録』をなぞって、“正しい行動”を選び続けていることに、彼女はもう気づき始めている」


「……問題ない。俺は、俺を演じきってみせる」


「ああ、今のところは、ね」


 悪魔は淡々続けた。


「感情とは、不合理なものだ。正論であればあるほど、説明できない違和感は毒のように人を追い詰める。君が完璧であればあるほど、彼らは君を『見失う』ことになるだろう」


 嘲笑うような影が薄れ、焚き火は元の赤さを取り戻した。

 アルバスの胸に残ったのは、実体のない嫌な予感だけだった。


 ――その後


 リリーは眠ったふりをしながら、掌の中でわざと魔力の波長を乱していた。

 かすかな魔力の揺らぎ。術師であれば誰もが気づく違和感。

 かつてのアルバスなら、彼女が声を上げる前にその異変を察知し、駆け寄って「どうした、どこか痛むのか」と、その手を握ってくれたはずだった。


「……」


 アルバスは、動かない。

 

 リリーは奥歯を噛みしめ、さらにはっきりと波長を不安定にさせた。助けて、アル。私を見て。

 沈黙を破ったのは、低く、落ち着き払った声だった。


「リリー」


 名前を呼ばれ、彼女の胸が大きく跳ねた。彼女は、期待を込めて顔を上げた。


「魔力の波長が不安定だ。眠れないのか?」


 アルバスはリリーに近づいてきて、心配そうな声をかけた。ただし、それは以前のものとは違っていた。


「……ねえ、アル。私、怖くて眠れないの」


「そうか。だが、俺が見張ってるから大丈夫だ。安心して眠るといい」


 そう言って、アルバスは元の位置についた。前のアルバスなら、私が眠るときまで傍にいてくれたのに。リリーはどこか違和感を覚えながら、眠りについた。


 やがて、見張りの交代時間が来た。

 重い足取りで起きてきたグレンが、黙って酒袋を放りよこした。


「一口、やるか」


「見張り中だ。感覚が鈍る」


 一秒の猶予もない拒絶に、グレンは乾いた笑いを漏らした。


「お前さ、そんなんだったか?前は一緒に飲んでくれたじゃねぇか」


「正しい判断は、生き残るために必要だ。お前も分かっているはずだろ?」


「ああ、分かってる。嫌になるほどな」


 グレンは焚き火の底を見つめ、酒袋を乱暴に煽った。


「だから忠告してやる。俺たちは仲間だ。だから一人で突っ走るな」


 アルバスは、すぐに答えられなかった。

 かつての自分なら、何と返していただろう。肩を並べて笑い、「わかってるよ、相棒」とでも言っただろうか。


「……分かっている」


 絞り出したその言葉は、嘘ではなかった。

 だが、胸の奥には、出口のない小さな引っかかりが残る。

 

 自分は正解を選び続けている。仲間を救うために、世界を守るために。

 なのに、なぜ彼らの目は、あんなにも悲しげに自分を見つめるのか。

 分からないことが、鉛のように重かった。

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