表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白紙の叙事詩  作者: ムラサメ
本編
14/16

消失

「……アル、待って……!」


 大階段を一段、また一段と踏みしめる彼の背中に向かって、リリーが震える声を絞り出す。


 彼が階段を上るたびに、彼の歩取りは不気味なほど軽くなっていく。


「くくく……。ついにここまで来たね。さあ、最後だ、勇者様。扉の向こうには魔王がいる。今の君なら勝てるかもしれないが、確率は五分だ」


 影から這い出した悪魔が、アルバスの肩に腕を回すようにして囁く。


「勝率を百パーセントにしたいだろう? ……なら、最後の一粒をよこしなよ。……君の中にある『自分自身の記憶』のすべてを」


 それは、自分が「アルバス」という名であったこと。自分が誰に愛され、誰を愛してきたか。今日まで自分がどんな道を歩んできたかという、彼という人間を繋ぎ止めている最後の「核」だった。


「アル、ダメ!! 絶対にダメ!!」


 リリーが階段を駆け上がり、アルバスの鎧に縋り付く。


「私のことも、グレンのことも、セレスのことも……全部忘れて、一人ぼっちになっちゃうんだよ!? 勝利に、そんな価値なんてない!!」


 グレンも、セレスも、その言葉に息を呑み、彼を見つめる。一秒。


「……自分、の、記憶」


 アルバスは足を止め、空虚な瞳で自分の掌を見つめた。

 そこには、かつてリリーと繋いだ手の温もりも、グレンと肩を組んだ時の重みも、セレスに癒やしてもらった時の安らぎも、もう「感情」としては残っていない。ただ、冷たい指先があるだけだ。


「……あぁ。いいだろう。持っていけ」


「アル!!」


「……俺という存在が消えても、魔王が消えれば、世界は残る。……俺の記憶など、平和な世界には不要だろ?」


 アルバスの脳裏で、何万という記憶の断片が、真っ白な光の中に溶けて消えた。

 母親の優しい声。

 初めて剣を握った日の高揚。

 リリーと笑い合った草原の匂い。

 仲間たちと囲んだ温かい食卓の湯気。

 それらすべてが、凄まじい魔力へと変換され、彼の体から溢れ出す。


「……あ、……ぁ……」


 リリーは、アルバスの体から放たれる圧倒的な光に押し戻された。

 その光の中心に立つ男は、もはや「アルバス」ではなかった。

 

 彼は、自分がなぜここにいるのかを知らない。

 自分が誰であるかも、目の前で泣き崩れている少女が誰であるかも、分からない。

 ただ、「目の前の扉を開け、中にいる敵を屠る」という、魂に焼き付けられた純粋な命令だけが、彼を動かしていた。


「……扉を、開ける」


 感情を完全に喪失した、無機質な声。

 彼は一度も振り返ることなく、玉座の間へと続く巨大な扉に手をかけた。

 一秒。扉が開く。

 リリーたちの叫びが、無情な風にかき消される。

 自分という存在のすべてを燃やし尽くし、ただの「勝利の兵器」へと成り果てた勇者が、魔王の待つ最深部へと足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ