第二章『焦熱の紅蓮華 ―業火を断つ刀―』
いよいよ物語が動き出します。
街に現れた“紅蓮の剣士”――彼女は、怒りを“救い”へと変える者。
灯夜と匠の前に、その姿が焼き付けられます。
土曜日の朝。
佐倉灯夜は、駅前の時計を見上げて小さく息を吐いた。
(……ギリギリ、間に合ったか)
寝癖はごまかしたけど、目の下のクマは隠せなかった。
夢のことを考えすぎて、ほとんど眠れなかったのだ。
金色の影。
泣いていた少女。
崩れていく曼荼羅。
そして――「誰かを、救いたい」と願った、自分の声。
あれが夢なのか、記憶なのか、予知なのか……わからない。
でも、ひとつだけはっきりしている。
(今のままじゃ、何もできない)
駅前はいつも通りの風景だった。
だけど、それすら“仮面”に見えた。
光の柱が空に突き刺さったあの日から、何かが変わった。
変わってしまったのは、世界じゃなく――俺の方かもしれない。
(……今、誰かが助けを求めてる。確かに、あの声がまだ残ってる)
深く息を吐く。
その先で、匠の姿が見えた。
ベンチには、すでにスマホをいじる匠が座っていた。
顔を上げて、軽く手を振る。
「よっ。遅いぞ、願い人」
「誰が願い人だよ……」
「昨日、空に向かって“誰かを救いたい”って言ってたじゃん。あれもう願い人じゃん」
「うるせぇ……お前だってタグ使ってたろ」
「#光ってない?な。俺のはバズらなかったけど」
「だろうな」
そんな他愛もない会話が、妙に安心できる。
二人は近くの映画館へ向かい、アクション映画を一本観た。
CGまみれの爆破と拳銃と“世界を救う主人公”が、どこか現実味を帯びて見えたのは気のせいだろうか。
映画を観終わると、外の空気が少し重くなっていた。
――空は、また赤黒い雲に覆われ始めていた。
「腹減ったな。あの焼肉屋、行こうぜ」
匠が言った。
「財布、大丈夫か?」
「ダメだったら、お前が出せ。救済ってそういうもんだろ?」
「知らねぇよ……」
焼肉屋までの道すがら、匠がぽつりと空を見上げて呟く。
「……なあ、灯夜。今日、週末だろ?」
「土曜だけど?」
「せっかくの終末だしさ――生き抜きしようぜ」
「……終末? 週末じゃなくて?息抜きじゃ?」
「どっちも“しゅうまつ”だし。意味わかんなくなってきたけど」
匠は照れ隠しのように笑った。
「だけどさ。世界が終わりそうでも、焼肉食って笑って誰か助けて、それで生き抜けたら最高じゃん?」
灯夜は立ち止まる。
匠の笑顔は変わらず軽い。
でも、そこに確かに“願い”があった。
「……お前ってさ、バカみたいに見えて、たまに一番まともだよな」
「なんだよ褒めてんのか、それ」
夕暮れに近づく赤空の下、
二人の影が並んで伸びていた。
そのとき、遠くの方で――ガラスが割れるような音が響いた。
「……今の、なんだ?」
「ちょっと行ってみるか?」
焼肉屋の方向とは、逆だった。
でも、灯夜の足がそっちへと動いていた。
(……終末でも、誰かを救えるなら)
匠の言葉が、胸の奥にまだ響いていた。
せっかくの終末だし、生き抜きしようぜ。
**
しょうもないやりとりをしながら、二人は飲食ビルの一階へと向かった。 そのとき――
「ガシャン!」
耳をつんざくような音が響き、灯夜と匠が顔を見合わせる。 そのすぐ先で、悲鳴が上がった。
「誰かっ! あいつ、ガソリン撒いてる!!」
視線の先、黒いパーカーの男がリュックから取り出した何かを床に撒き散らしていた。 鼻を突くような匂いが、すぐにガソリンだと知らせてくる。
「マジかよ……」 匠が呟いた瞬間、男はポケットからライターを取り出した。
「全部、燃えちまえよォ……!!」
バチッ。
――次の瞬間、轟音とともに火柱が立ち上がった。 爆発。ガス管に引火したのだろう。 ガラスが砕け、炎が天井を突き抜ける。
「くそっ、匠! 下がれ!!」
灯夜が匠の肩を掴み、咄嗟に引き寄せる。 周囲の人々は悲鳴を上げながら四散し、混乱は一瞬で広がっていった。
「誰か! 中に人がいるんだよ!!」
群衆の中から叫び声が飛んでくる。 火と煙が建物を覆い、もはや近づくのも難しい。
そのときだった。
――炎の中に、一つの影が、歩いていた。
ゆらゆらと揺れる熱気をものともせず、黒装束の女がゆっくりと前進していく。 炎の向こうで、紅の外套が翻り、瞳だけが真っ直ぐに光っていた。
「……誰だ……?」 匠がぽつりと呟く。
灯夜も、言葉を失っていた。 燃え盛る中を歩くその姿は、まるで人間じゃない何かにすら見えた。
女は倒れた老人をひょいと抱き起こし、安全な場所へ運ぶと、再び炎の中へ。
「……まだ誰かが、あの中に……?」
次の瞬間、女が背中の袋から一本の刀を取り出した。 黒い鞘を静かに抜く。 その刃が――紅蓮に、燃えた。
「っ……!」
灯夜の視界の奥、火を放った男の周囲に“黒い靄”が立ち上っていた。 人影とも影法師ともつかないそれが、うごめいている。
「うおおおおおお!!」
男がナイフを振り回しながら飛び出してきた。 その瞬間、
「断て、“業火”!!」
女の声が響き、刀が閃く。
――紅蓮の斬撃が、空気ごと黒い靄を切り裂いた。
男は呻き声と共に膝をつく。 刀は峰打ちだった。 殺さずに、影だけを断った。
「……っ……なんだよ、あの人……」 匠の声が、震えていた。
灯夜の胸に、何かが灯る。 彼は息を呑み、ぽつりと呟いた。
「……怒りを、救いに変えた……」
***
炎が収まり始めた頃には、消防と警察のサイレンが近づいてきていた。 女――緋蓮は、静かに刀を鞘に納めた。 赤い光がスッと消え、静けさが戻る。
彼女は視線を前に向けたまま、誰に語るでもなく、低く呟いた。
「……ここまで。あとは、あなたたちの仕事」
その背中は、誰よりも静かで、誰よりも強かった。
「……すげぇ……」 匠が呆然と漏らす。
灯夜は、その場から動けなかった。 あの光景が、網膜から離れない。
(……救ったのは、命だけじゃない) (あの人は、俺たちの“信じる力”を救ってくれた)
やがて、緋蓮は群衆に背を向け、音もなく歩き去った。
「刀、たぶんアウトだよな。法律的に」
匠がぽそっと言う。
「でも……誰も止められないよ、あの人は」
灯夜が答えると、風が一瞬吹いた。 焦げた匂いの中に、紅い光がひとひら、ふわりと舞った。
「……名前も知らないのに、なんでだろ。懐かしい気がする」
灯夜の言葉に、匠は少しだけ驚いたような目をした。 だが何も言わず、その隣に並んで歩き出す。
***
駅前のベンチに戻った灯夜と匠。 ふたりとも、無言だった。
「……なあ、灯夜」
匠がぽつりと口を開いた。
「さっきのお前……ちょっと“変”だったぞ」
「え?」
「“怒りを救いに変えた”とか言ってた。……普通、そんなセリフ出てこなくね?」
灯夜は少しだけ苦笑いした。
「……自分でも、よくわかんない」
けれど胸の奥で、何かが確かに芽生えていた。
(この世界には、“怒りを救いに変える人”が、本当にいる)
***
その夜。
灯夜は眠れなかった。 ベッドの中で、スマホを開く。
《#紅蓮の女》《#火の救済者》《#光ってない?》
新しいタグが、次々に流れていた。
誰かが撮影した写真には、紅の外套と刀を持つ女の姿。 燃えるような瞳が、炎の中で誰かを救っていた。
灯夜は、スマホを胸に伏せる。
(……俺にも、何か……できるのか)
知らない誰かの祈りの声が、まだ耳に残っていた。
『お願い……を、助けて……』
そして、灯夜の心の奥で、小さく燃える光があった。
“誰かを救いたい”
それは、きっと――まだ形にならない、願いのはじまり。
***
その夜。
灯夜は眠れなかった。
ベッドの中で、スマホを開く。
《#紅蓮の女》《#火の救済者》《#光ってない?》
新しいタグが、次々に流れていた。
……と、その中に、見慣れない投稿が混じっていた。
《#青い光が見えた》《#願いが視える少女》《#歌舞伎町の観音様》
添えられた写真は、ビルの谷間で泣いていた女性にそっと手を差し伸べる少女の姿。
その手元から、ほのかな青い光がにじんでいた。
(……なんだこれ)
灯夜はスマホを伏せ、深く息をつく。
(……明日、何も起きなければいいけど)
だけど胸の奥には、もう知ってしまった“祈り”の熱が残っていた。
そして、彼の心のどこかで、確かに感じていた。
――まだ“誰か”が、助けを求めてる。
それを、柚希という少女が見つけに行こうとしているとも知らずに――
お読みいただきありがとうございます!
“紅蓮の剣を抜く者”は何者なのか。
灯夜の中に生まれた“何かを救いたい”という想いは、これから彼を変えていきます。
【質問コーナー】
・緋蓮、どんな印象でしたか?
・あなたなら、誰の怒りを救いたいと思いますか?
コメントやブクマ、レビューが物語の曼荼羅を形づくります。
あなたの願いも、どうかそこに刻まれますように。
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