第十一章『願いの混沌 ―歌舞伎町、魔境へ―』
SNSで広がる“黄金の光”。
それが導く先にあるのは、かつて「眠らない街」と呼ばれた歌舞伎町――
いまそこは、人々の絶望と暴力が支配する“魔境”と化していた。
灯夜と柚希が向かうその地に、ひとつの願いの曼荼羅が生まれます。
避難所を出てから、もう数十分が経った。
東京の空はどこまでも灰色で、煙と瓦礫と叫び声が混じり合っていた。
歩道のあちこちが崩れ、信号は機能しておらず、車は放棄され、割れたガラスがあらゆる光を吸い込んでいた。
佐倉灯夜は、その混沌の中を柚希と並んで歩いていた。
柚希はスマホを操作しながら、眉をひそめている。
「……バズってるね。さっきの、あの光の写真」
「……あれって……叡智さんの……?」
柚希は頷く。
「“#光ってない?”ってタグで、もう十万リポスト超えてる。
動画も、誰かが避難所で撮ってたっぽい。
瓦礫の中で、少女に手をかざす光――あの黄金の波紋が、静かに広がっていく瞬間が映ってるの」
灯夜は、胸の奥がかすかにざわつくのを感じた。
「でも……あの人って、いったい何者なんだ……? 自衛隊でも、医者でもないよな……」
柚希は少し言葉を探すようにしてから、静かに口を開いた。
「私も、よくは知らない。……今生じゃ、ね」
「え……?」
「ただ……過去世では会ってる。」
「過去世……?」
灯夜は思わず立ち止まる。
柚希は少し照れたように笑って、歩を緩めた。
「……まあ、灯夜くんもそのうち思い出すと思うよ」
「おいおい……その言い方、ずるくないか」
「ふふっ、ごめん。でも、本当なの。魂ってね、“必要な記憶”から先に呼び起こされていくから」
「じゃあ……俺があの人を“知ってる”としたら、それも……」
「うん、偶然じゃない。たぶん、灯夜くんも叡智さんと、“ずっと前から縁があった”んだと思う」
――ずっと前から。
その言葉に、灯夜の胸に何かが触れた気がした。
あのフラッシュバック。赤く焼けた大地。光になって消えた師の姿――
(……あれも、叡智さん……だったんだろうか)
「…………」
「でも、大丈夫。思い出すべきことは、これからちゃんとやってくるよ。私もそうだったから」
そう言って柚希は、灯夜の隣で小さく息を吐いた。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
二人はまた歩き出した。
目指す先は、東京・新宿。かつて“眠らない街”と呼ばれた場所――歌舞伎町。
ふと、駅のモニターに悠のMVが流れた。
荒れ果てた都市の映像に重ねるように、
「あなたがここにいるなら 願いはまだ、生きている」
という字幕が浮かぶ。
灯夜は立ち止まり、ほんの数秒、映像に目を奪われた。
***
柚希の指が空中をなぞると、曼荼羅のような光の糸が再び浮かび上がる。
複数の糸が、鋭く交差し、ひとつの方向を指し示していた。
「……この先。たぶん……深い魔境」
「深い、って……?」
「怒り、裏切り、搾取、絶望……。
“人が壊れかけた場所”には、世界が壊れるより先に、精神の闇が現れるの」
風が強くなり始めた。
遠くのビルの陰、血のような夕暮れに黒い靄が立ち昇るのが見えた。
その瞬間――柚希の瞳が、曼荼羅の光で輝いた。
「行こう。私たちの“願い”が、ここで試される」
(……匠が……この先にいるかもしれない)
灯夜は大きく息を吐いた。
母を守るためにも、今、救える誰かのために――この一歩を踏み出す。
彼の足元に、わずかな光の粒が集まり始めていた。
血の月が沈まぬまま、空を焦がし続けていた。
柚希と灯夜は、崩れかけたビルの陰に身を寄せていた。道の先には、かつて「眠らない街」と呼ばれた歌舞伎町が広がっている。
だが、そこにあったはずの喧騒とネオンはもうない。瓦礫、黒煙、暴徒。そして、光を失った人々。
「……これが、“魔境”」
柚希が言った。
「精神の絶望が、現実を蝕んでいく。世界が崩れるとき、最初に現れるのがここ」
灯夜がふと目を凝らすと、瓦礫の山の隙間に“何か”が立っていた。
人影のようで、霧のよう。
黒い靄がまとわりつき、顔の部分は“穴”のように抜け落ちていた。
「……っ……今の……見えた?」
柚希は小さく頷いた。
「自我が肥大化して限界を迎えた姿よ」
その影は、音もなく霧に溶けて消えた。
灯夜は目を凝らした。破壊された通り。燃え上がる飲食ビル。遠くで銃声が響く。
――ドンッ。
近くのコンビニから、若者が悲鳴をあげて飛び出してくる。 「金だけよこせって言ったじゃねえかああああ!!」
その直後、銃声。少年が腹を押さえて倒れる。
灯夜の足が、自然と前へ出た。
「……待って!行かないで!」
柚希が腕を掴む。
「助けなきゃ!」 「無理だよ。今は、あなた一人じゃ……!」
けれど、灯夜はその手を振り切った。
「俺は……願ったんだ……“誰かを救いたい”って……」
その瞬間だった。
爆発。
近くのビルの一角が吹き飛び、悲鳴と怒声が交錯する。
銃を持ったヤクザ風の男たちが現れる。誰彼構わず金品を奪い、殴り、蹴る。
灯夜はその只中に飛び込んだ。
「やめろ!! それ以上は――!」
拳が飛ぶ。灯夜の頬が裂け、血が飛ぶ。
「何様だてめぇ……」 ヤクザの一人が銃を向けた瞬間、
柚希が叫ぶ。
「やめて!!彼は……彼は今、願ってるの!!」
だが止まらない。
暴徒が灯夜を殴りつけ、蹴りつける。
――ドスッ。 鉄パイプが腹にめり込む。
灯夜の身体が倒れた。 視界がぼやけ、血が喉に込み上げる。
***
歌舞伎町、焦土と化した交差点。
瓦礫の山、崩れた建物の間で、暴徒たちは吠え、笑い、争い、泣いていた。
銃声、悲鳴、無関心なカメラのシャッター音。
「誰も助けてくれないんだろ!」
「金があれば逃げられた!」
「アイツが悪いんだよ、あいつが!」
叫びは、もはや他人を罵るものではなかった。
自分自身の、救われなかった魂への呪詛だった。
灯夜は、柚希の腕を借りながら、膝をついていた。
瓦礫に潰された脚が痛む。だが、それ以上に、胸の中の痛みが深かった。
「……こんな……誰も、誰も止められない……」
柚希がその肩に手を置く。
「勇気と無謀は、違う。今は、別の形で向き合おう」
そのときだった。
「……悠さん、私たちの出番、きっと今です」
静かで落ち着いた、けれど内に祈りを宿すような女性の声。
「……そうだね」
短く答えたのは、あの黒猫――
否。
その姿が、淡い光に包まれ、変化していく。
闇に差し込む月のような白光。
長い銀髪が揺れ、白い衣がひらめく。
どこか儚げで、それでも見る者すべての目を奪うような、美しき青年が、そこにいた。
「……まさか……黒猫が、あのアーティストの悠……?」
灯夜は呆然と声を漏らす。
(……あのMVの人だよな……!?)
TVやニュースで何度も見た、あの“願いのアーティスト”――
その本人が、目の前で灰を集め、光に変えていた。
柚希は口元を手で押さえ、言葉にならない驚きを目に湛えたまま、スマホを取り出す。
《#光ってない? #黒猫の正体 #救済の歌声》
SNSに、すでに何百という写真と動画が上がり始めていた。
焦土の中、光とともに現れた“誰か”の姿を捉えた投稿。
それは、先日話題となった「黄金の救済」の写真に続く、新たな奇跡として世界を駆けめぐっていた。
柚希は小さく呟いた。
「……やっと、五人が揃ったんだね」
そのときだった。
悠が、静かに手を上げた。
手のひらを空へ向けると、空中に漂っていた火山灰が微かに震え始める。
悠がゆっくりと指先をひとさしする。
その動きに応じるように、灰が螺旋を描いて集まりはじめた。
そして――灰は、まるで呼吸するように集まり始めた。
彼の手に向かって、ゆっくりと螺旋を描きながら。
「……この灰は、燃え尽きたものの名残。けれど、そこに“願い”があった証でもある」
悠の手のひらに集まった灰は、やがて淡い光を帯び始め、
白くきらめく粒子となって地に降り注いでいく。
「燃えた痛みを、願いに変えよう。いま、ここから」
ルーミーが一歩前へ進み、両手を合わせた。
「――どうか、ほんの少しだけ。あなたの“心の中心”に、祈りの声が届きますように」
その声は、どこからともなく空間に満ち、音そのものが共鳴していくようだった。
彼女の祈りは曼荼羅の旋律となり、空気を震わせて心に染み入っていく。怒りや憎しみが波のように静まっていった。
暴徒が、少しだけ動きを止めた。
誰かが振り返る。
悠が、静かにマイクを手に取る。
マイクなど、どこにもないはずだった。
(……神様って、こんな風に、現れるんだな……)
ただのライブじゃない。“音そのものが、救済になっていた”――。
だが、曼荼羅の中心で、それは彼の手に“現れた”。
「……これは、かつて誰かに届かなかった願いの歌。
それでも、今なら届くかもしれない、そんな想いをこめて」
音が、鳴った。
楽器も伴奏もない。
だが、その声は、音楽だった。
澄んだ高音が、空に浮かぶ灰を貫き、焦げた瓦礫を震わせる。
「赦されなかった声よ。
聞こえなかった願いよ。
いま、曼荼羅の中で、再び咲け――」
悠の歌声が、人々の耳を貫く。
痛みの奥にある、幼き日々の記憶。
誰かに抱かれた夜、泣きながら名前を呼んだ日。
そのすべてを呼び覚ますように、悠の声が、世界を満たしていく。
「……すごい……」
灯夜が呟いた。
(……別次元だ)
悠の存在感に、胸がざわつく。
歌も、言葉も、姿も“整いすぎて”いて、自分とは別の種族に思えた。
「あんなの見せられたら、自分の“願い”なんて……」
そのとき、隣で柚希が小さく笑った。
「灯夜くんが焦る必要なんてないよ。
願いって、偉い人が持つものじゃない。“持ちたい”って思う人のところに、ちゃんと降りてくるものだから」
男が、拳を落とす。
女が、涙を流す。
子どもが、泣きながら母を探す。
――それは、赦しの始まりだった。
ルーミーが、祈るように手を合わせる。
曼荼羅の陣が、街全体に浮かび上がる。
五色の光が、歌舞伎町の空に咲いた。
世界が、わずかに“救われた”音を、確かに聞いた瞬間だった――。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
【8日間連続投稿7日目!】
今回の章では、ついに“願いの光”が広がりはじめました。
悠と慧宗――新たな二人の登場とともに、
「#光ってない?」というひとつのタグが、
絶望の中に咲いた願いの曼荼羅へと変わっていきます。
この章は、“奇跡”のように感じられる歌と祈りが、
現実の暴力と恐怖に届いていく、
救済の可能性の第一歩です。
悠というキャラクターには、音で救うような“霊性”と“人間味”を込めて描いています。
もし万が一、アニメ化なんて夢のような未来があったら……
声は藤井風さんにお願いできたらなあ……なんて、勝手に妄想しています。
あの方の音や言葉は、まさに“願いの曼荼羅”そのもののように思えていて――。
【ぜひお聞かせください】
・悠の登場、どう感じられましたか?
・あなたがこの街にいたら、どんな“願い”を灯したいですか?
コメント、ブクマ、レビュー、Xでの感想(#光ってない?)など、
あなたの“願い”が、作品を繋ぐ曼荼羅になります。
★感想にはすべてお返事します。
Xでの反応/ブクマ/レビューもとても励みになります!
あなたの願いが、この物語の光になります。
#光ってない?
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