第十章『運命を選ぶ手 ―空の下の誓い―』
母の涙。
過去世の誓い。
そして、今の自分が選ぶ“願いの行き先”。
灯夜は、いま初めて――
「自分の手で、誰かを救いたい」と口にします。
(……俺は、守られていたんだ)
魂の記憶から戻った灯夜は、しばらく言葉を持たず、ただ自分の両手を見つめていた。
その掌には、かつて誰かが灯してくれた“光”のぬくもりが、まだ微かに残っている気がした。
天翔は静かに立ち、柚希は遠くの空を見上げていた。
その傍で、灯夜の母は泣き止んだまま、何も言わずに息子を見つめていた。
「……母さん」
灯夜がようやく口を開く。
「俺……行くよ。匠を探しに」
その一言に、母の目が潤む。
しかし今度は、怒りではなく、恐れでもなく――ただ、深い悲しみが滲んでいた。
「なんで……なんでそんなに優しい顔して、私を置いていくの……?」
その言葉には、誰よりも愛してきた息子に対する“願い”のようなものが込められていた。
灯夜は、ゆっくりと膝をつく。母と同じ高さに視線を合わせて言う。
「母さん……俺さ、ずっと“守られてるだけ”だった」
「でも、いまは違う。――守ってくれた人たちの光を、誰かに渡したいって、そう思うんだ」
「それは、母さんを見てたからでもあるんだよ」
「毎日、ご飯作ってくれてさ、朝バタバタしながらも“行ってらっしゃい”って言ってくれて――」
「母さんがくれた“当たり前”が、どれだけ大きな光だったか、ようやくわかったんだ」
母の目から、ぽろりと涙がこぼれる。
「……あんた、そんなに大きくなって……」
「ずるいわよ……そんな言い方……」
母は震える手で灯夜の頬を包む。
「私ね……この世界がこんなになって、あんたがどこかに行ってしまうのが、怖くてたまらなかった」
「でも、ほんとは……私の方が、ずっと前から“置いていかれる覚悟”をしなきゃいけなかったのかもしれないね」
灯夜は、その手に自分の手を重ねる。
「母さん。俺は、ここにいるよ。ずっと、ここにいた」
「でも、いま俺が行くのは――この手で、誰かを守りたいから」
「それが結果的に、母さんを守ることにもなるって、俺……信じたいんだ」
母は、静かに瞳を閉じる。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……わかったよ」
「行ってきなさい、灯夜。――あんたの願いが、誰かの光になるなら」
「私はここで、帰ってくるのを信じて待ってる」
「母さん……ごめん。心配かけて……」
母は首を振る。
「いいの。いいのよ。あんたが無事なら、それだけで……」
声がかすれ、涙が頬を伝った。
灯夜は、母の肩を抱き寄せた。
瓦礫に囲まれた避難所の隅で、二人だけの小さな“家”がそこにあった。
「……母さん、覚えてる?」
「俺、小さい頃さ、“誰かを助ける人になりたい”って言ってたんだ」
「ああ、言ってたね。消防士か、ヒーローか、そんなこと言ってた」
灯夜は微笑みかけながら、目を伏せた。
「でも、いつの間にか言えなくなった。“願ったって無駄”って、思うようになって……」
「傷ついたり、笑われたり、期待裏切ったり……そうなるくらいなら、最初から“願わない方が楽”だって」
母は、何も言わずに灯夜の手を握った。
「でも今――こうして母さんと会えて。匠のことを想ってるうちに……
“もう一回、願ってもいいかもしれない”って、少しだけ思えるんだ」
それは、“別れ”ではなかった。
それは、“繋がり直す”ための、願いの言葉だった。
灯夜は立ち上がる。
その背に、もう迷いはなかった。
* * *
そのときだった。
避難所の天井越しに、再び――地の奥から響くような重低音の揺れ。
「っ……また地震……!?」
人々がざわつくなか、柚希が遠くを見つめたまま言った。
「……来る。あの黒い靄が……複数、同時に現れてる」
視線の先、割れた壁の隙間から、街の彼方に“黒い魔境の靄”がじわじわと膨張していた。
「……これは、ただの自然現象じゃない。願いを否定し、絶望が集まってくる……」
灯夜の胸が脈打つ。
また、誰かが危機に瀕している。
「行こう」
灯夜は立ち上がる。母に微笑みを残し、柚希と並んで外を見据える。
そのときだった。
「――任せて」
天翔の声がした。いつの間にか、二人の背後に立っていた。
「私の光の糸をたどって」
柚希がそう言うと、天翔の周囲に無数の光の糸が浮かび上がる。
それは、都市の中に存在する“助けを求める人”と、“彼が助けられる人”を結ぶ、曼荼羅の縁の糸だった。
「願いが向かう場所へ。僕は、そこへ行く」
天翔の足元に、青い曼荼羅が展開される。
一陣の風が、彼の身体を包み――光と共に、天翔はその場から掻き消えた。
柚希が振り返り、灯夜に静かに語る。
「さっき見えたでしょ? あの黒い靄。あれが人の“絶望”に引き寄せられて現れる“魔境”。」
「世界が壊れたとき、最初に現れる精神の闇――。
いま、物質世界と精神世界が融合し始めてるの。だから見える。だから、現実になってる。」
灯夜は黙って頷いた。
(なら、匠がそこにいても……おかしくない)
「可能性はある。助けを求めてるなら、“糸”が反応する。私は、それを辿れる」
* * *
そのとき――スマホの緊急速報が再び鳴る。
Jアラートではない、政府が発した“特別報道声明”だった。
画面には、官邸前に立つ首相と、災害対策本部の責任者。
音声が流れる。
『……本日午後、富士山の噴火による連鎖的地殻活動により、南海トラフに沿った複数の断層帯で大規模な地震が発生。
これにより、東日本・中部・西日本の広域インフラが壊滅的打撃を受けました。』
『加えて、国際的な気象研究機関の報告では、今回の事象が“地球規模のプレート異常”である可能性があり、各国で同様の断層活動が観測されています。
米国西海岸、中国沿岸、インドネシア、ヨーロッパ南部――』
画面が次々と切り替わり、各国の混乱が映し出される。
・バチカンで「光の使徒出現」と叫ぶ巡礼者
・イスラエルで“第三神殿建設”を叫ぶ過激派
・インドで空に曼荼羅のような光が観測されたというSNS映像
・アメリカで“AI救世主”に祈る黒衣の青年たち
灯夜は画面を見つめた。
どの国でも、人々は「神の啓示」や「終末の始まり」と受け止めていた。
「……世界全体が、願いの選択を迫られてるんだ……」
柚希は呟くように言った。
「“願い”って、誰かが祈れば届くものじゃない。“自分の手”で動く願いだけが、世界を変える」
灯夜は、そっとポケットのスマホを握りしめた。
SNSのタイムラインに、ひときわ強く光るタグがあった。
《#光ってない? 君の願い、曼荼羅になる》
彼は、そっと呟いた。
「……行こう。俺たちの願いを、形にするために」
柚希は頷いた。
二人は、黒い靄がゆっくりと立ち昇る都市の中心へと向かって歩き出す。
その手には、微かだが確かな“光の糸”が絡んでいた。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
【8日間連続投稿7日目!】
この章は、灯夜の“決意”が言葉になった章です。
もう守られるだけの少年ではいられない。
願いを抱く者として、
世界の混乱の中へ、彼は自分の足で進もうとしています。
【あなたの言葉も聞かせてください】
・この決意、あなたはどう受け止めましたか?
・「願いを持つ」って、どういうことだと思いますか?
コメント、ブクマ、レビュー、そしてXでの声――
どれも灯夜たちの願いの糸と繋がっています。
★感想にはすべてお返事します。
Xでの反応/ブクマ/レビューもとても励みになります!
あなたの願いが、この物語の光になります。
#光ってない?
★X(旧Twitter)でも更新・挿絵を発信中!
【アカウント名】『月が照らす救済譚』公式
【ID】@tsukitera_prj
読者参加型の企画も予定していますので、今のうちにフォローお待ちしてます^_^