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第八章『母の涙と、選ばれた道』

「――静かにしてください」

張り詰めた怒号と混乱の中、その声はまるで刃のように空気を断ち切った。

人々がざわつきを止め、視線が一斉にその男へと向けられる。


人混みの奥から歩いてきたのは、一人の男だった。

自衛隊の迷彩服に身を包み、背筋をまっすぐに伸ばしている。

その目は、戦場を見てきた者の眼光だった。


深い湖のように澄んでいながら、そこに映るすべてを逃さない、冷静さと慈悲が同居するまなざし。

「僕は自衛隊・災害派遣部隊の隊長、**天翔てんしょう 零真れいしん**です」

その名が告げられた瞬間、柚希がピクリと反応した。


「……天翔……」


彼女の声は小さかったが、灯夜の隣で確かな温度を持っていた。

天翔は群衆を見渡し、短く、しかし鋭く言葉を投げる。


「今、あなたたちの不安も怒りも理解しています。けれど――この場所は、“誰かを責めるため”の場所ではなく、“誰かを守るため”の場所であるべきです」


沈黙が落ちた。

天翔はゆっくりと歩き出す。ひとりひとりの顔を見つめながら、手を差し伸べるように言葉を続けた。


「自分より弱い者を守る。それが“人”であることの証だと、僕は信じています」


そのときだった。

柚希が、すっと前に出た。

目を閉じ、小さく深呼吸する。

彼女の周囲に、淡い光が揺らぎ始めた。

――無数の“糸”が、空中に現れる。

それは人々の間に張られた、目に見えない願いの糸。


「……この人は、誰かを助けたくて震えてる……この人は、助けを求めてるのに声が出せない……」


柚希の瞳が開かれたとき、彼女はまるで曼荼羅の中心に立つ巫女のようだった。


「みんな、繋がってるよ……」 


彼女の言葉とともに、光の糸が――やがて、人々の胸に届いた。

一人の女性が、隣に座っていた老人に声をかけた。


「……先にどうぞ」


泣いていた子どもに、誰かが毛布を差し出した。

天翔は静かに目を細め、柚希を一瞥する。


「……なるほど。君は…」

「久しぶりだね、天翔さん」


柚希が微笑んだ。天翔は短く頷いた。


「今は、君の糸に任せよう」


一呼吸置いて、柚希がふと問いかけた。

「……師匠には、会えた?」

「ああ、さっき。黄金の衣のまま現れたよ」

「そう。じゃあ“始まった”んだね」

「ああ。そして、“狂聖”にも会えた。“迅”って名乗ってた」


「ふふ、相変わらずだった?」

「正気と狂気の狭間で、供養してたよ」

「SNS見た? 緋の救済がバズってた。“火の刀の女性”って」

「……なるほど。じゃあ“あと一人”か」

「うん。曼荼羅が、集まりはじめてる」


彼らの会話は、誰にも届かぬような静かな波紋を生みながら、確かに“始まり”の気配を孕んでいた。

そしてそのとき、避難所の片隅で――


「……灯夜……!」

懐かしい声が、震えながら届いた。

振り向いた先に、息を切らした母の姿があった。


……灯夜は、声をかけられなかった。

目の前にいるのに、遠い人のようだった。

握りしめた拳が震えている。心が追いつかない。


(もう、会えないと思っていたのに)


一歩、踏み出す。

「母さん……!」

 二人は抱きしめ合った。 泥と埃にまみれた避難所の片隅。 壊れた世界のなかで、たしかに“ふたりだけの世界”があった。

 どれほど願ったことか。 再会できた、この瞬間を。


 二人は、しばらくそのまま抱き合っていた。

 混乱の中で、ようやく見つけた静けさ――それは、世界の片隅に差す、小さな光のようだった。


母は、ゆっくりと灯夜の頬に手を添えた。

泥にまみれたその掌が震えている。

「……生きててくれて、本当に良かった……」

灯夜は思わず目を伏せた。


子どもの頃、風邪を引いて寝込んだ夜。

熱に浮かされながらも、母の手のひらが額に触れたときの“温かさ”を思い出していた。

「母さん……ごめん。心配かけて……」

母は首を振る。

「いいの。いいのよ。あんたが無事なら、それだけで……」


声がかすれ、涙が頬を伝った。

灯夜は、母の肩を抱き寄せた。

瓦礫に囲まれた避難所の隅で、

二人だけの小さな“家”がそこにあった。

灯夜は、ようやく胸の奥に安堵の呼吸を落とした。



ふと、灯夜は母の肩越しに震える指でスマホを取り出した。

……匠。あいつは、今どこにいる?

LINEを開く。ひび割れた画面に文字を打ち込む。


《無事か? どこにいる?》


送信から数分後、既読がついた。

返ってきたのは、たった一文。


《変な奴らに絡まれてる 河川敷 逃げる》


灯夜の心が凍る。

(河川敷……どこだよ、それ……!)


その瞬間、画面がちらつく。

圏外マーク。

LINEの接続が切れた。


「匠……!」


母のぬくもりに包まれたまま、灯夜の心は再び混乱の中に引き戻されていった。


「大丈夫なの? ケガは? 熱は? ご飯は……」

母は灯夜を前に、まるで子どもに戻ったように喋り続けた。 灯夜は頷き、短く返すことしかできなかった。

不意に、胸の奥から込み上げてくるものがあった。 彼女が泣きそうな声で微笑むたびに、自分の存在が肯定されている気がして。


だが、それでも。

灯夜は、言わなければならなかった。

「……匠を、探しに行く」

母の動きが止まった。


灯夜の声だけが、崩れた避難所に響いた。

静かすぎて、泣き声さえも遠ざかった。

母は、ゆっくりと座り込む。


目を合わせないまま、小さくつぶやいた。

「……え……?」

(……沈黙が、痛かった)

「ダメよ!」


叫び声に近い声だった。

「やっと会えたのに……! やっと、無事がわかったのに! なんで、またそんな危ないところに……」

灯夜は、言葉を詰まらせた。


「俺、助けたいんだ……匠を。あいつ、俺の……」

「だめ。お願い、もうやめて……」

母は肩を震わせながら言った。

「あなたがいなくなったら……私、本当に一人になっちゃうの……」

それは、ただの親の心配ではなかった。 まるで、何かもっと深く、根のように長く、灯夜の命にしがみつく想いだった。


そのときだった。

「……その迷い、よくわかります」

静かな声が、二人のあいだに割って入った。

灯夜が顔を上げると、そこに立っていたのは、自衛隊の制服をまとった青年だった。 涼やかな目と、戦場に似合わぬ落ち着いた声。


天翔だった。

「大切な人を守りたい気持ち。それは何よりも強く、そして正しい」

母は驚きの目を向ける。 天翔は灯夜をまっすぐに見つめた。

「ただ、それが“他の誰かの痛み”を置き去りにしてしまうなら……君の優しさは、きっと君自身を傷つけてしまう」


灯夜の心が揺れる。

「誰か一人を守ることと、多くの人を見捨てないことは、両立できる」

その言葉に、灯夜の視界がゆらめいた。

天翔の姿が、青く輝くような残像に変わる。 風が吹いた。


そして――

視界が、千年前のインドの砂塵に変わった。 純白の盾を掲げた青年の姿が、そこにいた。

読んでくださって、ありがとうございます。


【8日間連続投稿6日目!】


灯夜は、母との再会を果たしました。


けれどその安堵の中で、“誰かを救いたい”という願いが、

彼を次の一歩へと向かわせます。


「行かないで」と泣く母。

「行きたい」と願う自分。


その狭間で揺れながらも、“誰かの光になる”ことを選ぶ灯夜。


【あなたに聞かせてください】

・この章で一番心に残った場面はどこでしたか?

・母との再会と別れ、どんな気持ちで見守りましたか?


コメント・レビュー、Xでの感想(#光ってない?)いつでもお待ちしています。

一つ一つ、すべてにお返事させていただきます。

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