1不幸を呼ぶ女(前)
グレゴリーの亡骸を呆然と見つめていると、どこかで鐘の音がして、意識が現実に引き戻される。例え何が起こっても、生きているうちは「マリーア」として過ごさなくてはいけない。
「だ……誰か! 誰か来てくれませんか!」
いつまでも死体とにらめっこしてはいられない。ひとまず廊下に飛び出してホテルの従業員たちに助けを求めるしかなかった。
なんだなんだ何事かと、どこから出てきたのか他の宿泊客までスイートルームになだれこんできた。
「死体だ!?」
「外傷はないぞ」
「しかし、見ろ、この苦悶に満ちた表情を……」
というところで、視線が私に集中した。当然のことだろう。
「あ、あの小瓶の中身を飲んだら急に苦しみだして……」
床に転がっている小瓶を指し示すと、人々は一斉に小瓶を見てから、再び私を見た。穴が開くほど見つめられても、私にはそれしか言えない。だって事実はそれしかないのだもの。
「毒殺したのか!?」
「わ、私は何もしていません……!」
つっかえつっかえ、何度も同じ説明をする。繰り返しが数回になったあたりで、誰かが医師を呼ぶべきだと提案した。けれど、すべては遅すぎた。
グレゴリーはどう見ても、最初から手遅れだったから。
「ああ、この素晴らしいホテルでどうしてこんな悲惨な事件が……」
ホテルの従業員が頭を抱えた。……私は呆然としながら、グレゴリーの冷たくなった体を見下ろしている。
不幸を呼ぶ女だとさんざん言われてきたけれど、まさか夫が結婚初日に死んでしまうなんて、さすがに想像もしていなかった。繰り返すけれど、わざとではない。わざとだったら、もっとうまくやる。
だって、この状況はどう見ても──。
考え込んでいると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「え……?」
振り向くと、しかめ面をした衛兵が三、四人いて、私を取り囲んでいた。
「奥さんですね? ご同行願います」
その言葉を聞き終わる前に、縄が後ろ手にかけられる。
──どう見ても私は、夫を毒殺した容疑者にしか見えないのだから!
「待ってください、違う! 私は本当に何も……!」
抗議の声を上げるけれど、私に向けられる視線は冷ややかだ。
「この女が怪しい」「毒を盛ったに違いない」「年の差結婚が嫌だったんだろう」「金目当てかもな」
……口にせずとも、周囲の人がそんなことを思っているのが手に取るように分かる。
少なくとも、結婚に乗り気ではなかった新妻が夫を自らの意思で殺した、の方が私にまとわりつく「不幸」の呪いがグレゴリーを殺した、よりはよっぽどわかりやすいから。
「証拠もないのに……!」
「それは、これから調べることですよ、奥さん」
私はやってはいないけれど、やっていないことを証明するのもまた、困難だ……。
■■■
着の身着のままで受けた尋問は深夜にまで及んだ。
今夜は新婚のベッドではなく、拘置所で夜を明かすことになるらしい。石造りの薄暗い部屋は鉄格子がはまっていて、湿気のこもったかび臭い空気が鼻を突き、くしゃみが出て、震えながら薄いブランケットにくるまる。
「これから、私……どうなるのかしら?」
問いかけても、もちろん答えはなかった。
床に座り込んだ私は、手を抱え込むようにしながら、小さく身を縮めた。膝を抱え、頭の中で何度も自分の状況を整理しようとした。でも、考えれば考えるほど、自分の置かれた状況を痛感し、胃が重く沈むだけだった。
こんなの、理不尽すぎる。
私の前世は日本人で、何の因果が、「マリーア・ウェルフォード」として元の世界とはまったく別の異世界──この世界に転生してきた。理由はわからない。人は貧乏生活よりは優雅な貴族令嬢に生まれ変われてよかったと思うだろう。でも、私は『マリーア』になんて、生まれなければよかったと、本当に心の底から思うのだ……。