10話 先生(後)
「ご、ごめんなさい……」
びくりと肩を震わせたアドニスはすぐに私のもとへ駆け戻ってきて、そのままスカートの後ろに隠れてしまった。彼がどういう人か説明しなかった私の責任だ。
「どうやって迷い込んできたのかは知らないが、人違いだ。帰りな」
キャスティは再び本へ視線を落とした。
――ま、まだ何も話していないのに、ガードが固いわ。でも、ここで引くわけにはいかない。
「人違いではありません。あなたに是非見ていただきたくて……」
「ああ、はいはい。分かった分かった。お断りします。お帰りください」
私の言葉など最初から聞く気もないというように、キャスティは会話を打ち切ろうとする。
「すみません。お願いします。話だけでも聞いてください」
「聞かない」
「聞いていただけないと、ここを動きません」
自分でも驚くほど、声は震えていなかった。
「……あのな、奥さん。俺のこと、暇人だと思ってるだろ。そうでもないんだぜ」
しつこさに辟易したのか、キャスティはうんざりしたような声を上げた。彼なら私達を追い出すことなんて簡単だ。そうなるまでは、なんとしてでもしがみつく。
「魔術師が常に思考を巡らせている存在だということは、分かっています。その上で――」
一歩ぐいっと前に踏み出しつつ、アドニスをスカートの後ろから引っ張り出す。
「この子の……アドニスの先生になっていただきたいんですっ!」
「よ……よろしくお願いします!」
二人揃って頭を下げると、盛大なため息が聞こえた。
「あー、いるんだよな、そういう人。つめこみ教育をしたって無駄だよ、どうせ途中でついていけなくなる。中堅の魔法学校にでもお入れなさい」
「それじゃだめなんです!」
だって、私立の魔法学校はお金がかかる。その点王立魔法学院はハイレベルな分学費がタダだ。
「この子には才能があるんです、天才なんです……!」
「ふん、どれどれ」
ちょいちょいと手招きされたアドニスは大量に積んであった本の塔の間を縫うようにキャスティにててて……と近寄っていく。
「あー。中の上……というところだな。まあ一般的には合格点じゃないの」
キャスティは見ただけで人の持つ素質、いわゆるステータスがわかる。
「歴史に名を残す天才じゃないかもしれませんけどっ、それでも……彼の将来のために……良い環境で育ててあげたくて……でも、心あたりがあなたしかいなくて……」
「第一、魔法だけじゃなくて礼儀作法や筆記試験、おまけに面接もあるんだぜ。息子息子って、あんたはそれをクリアできるのかい」
「……それは」
「口ごもるようじゃ話にならんね、魔力もないみたいだし」
た、耐えろ耐えろ耐えろ、私。絶対に引いてはいけない。ここで引いたら、キャスティはおそらくここにたどりつくまでのパスワードを変えるだろう。そうなったら彼に会うことはできない。
何を言われても、どんなに情けなくてもすがりつくしかない。だって、私は人間嫌いのキャスティが最終的にデレるのを知っているから……!
「ま、とにかく。それでも俺に師匠になってほしい場合は、対価がないとな」
と、キャスティは親指と人差し指でお金のマークを作った。これは追い払うための常套手段だ、彼は別にお金では動かない。なんとかして彼の興味を惹かないと……!
「マリーア、ごめんなさい!」
禁じ手の前世の話でもしようかと思っていたところに、アドニスがぎゅっとしがみついてきた。
「僕、がんばってお金を稼ぐから!」
「アドニス……」
「家でお勉強も頑張るし!」
お金があったって意味ないけど、アドニスはやる気を出してくれたみたいだった。
「マリーア、帰ろうよ。僕、自分のせいでマリーアがこんな風に悲しい顔をしてるの、見たくない……」
ああ、こんな風に煙たがられて、アドニスに悲しい顔をさせて、私は何をやっているんだろう。この人に頼らなくても、まだできることがあるはずだ。
「わかりました……。自分達で、なんとかします」
キャスティに頭を下げ、アドニスの手を引いて帰ろう、そう思った瞬間に──大量に積んであった本に足を取られて、盛大にすっ転んだ。
「いったいっ!」
「マリーア、大丈夫!?」
踏んだり蹴ったりとはこのことだ、と思う。
「いたた……すみません、貴重な本を」
「元の状態に戻してくれりゃいい」
……と言われても、元の場所が全然わからないし、何について書いてある本なのかもいまいちわからない。こんな素人に「うちの子は才能があるんです!」って言われても、納得できないのはそうよね……。
「た、多分、魔法の属性ごとに積んであった……と思う。多分だけど……」
「そ、そう?」
こんな小さな子の言うことを信じるしかないぐらい、私は魔術について何も知らないのだもの。
「トホホ……」
自分の見通しの甘さについつい、昔の日本語が口をついて出た。
この世界がゲームの世界だと気が付いてしまってからは、なんだか日本人の思考に寄ってきている気がする。
「おい」
いつの間にかキャスティが私を見下ろしていた。
「わっ」
「奥さん、あんた今、「トホホ」って言ったか?」
「え、はい、言いました、けど……」
それってこの世界の差別用語に当たったりしたかしら? と考えるけれど、特に心当たりはない。
「ど、どうかしました?」
キャスティは返事の代わりに、私の鼻先に本をつきつけてきた。
「この本の題名は?」
「たのしくてわかりやすいにほんのむかしばなし」
素直にそのまま、本の表紙に書かれたタイトルを読み上げる。
「……それ、どういう意味だ?」
「え、楽しくて、分かりやすい、日本という国のおとぎ話を集めた本だと思います」
説明を求められて、本の表紙に書いてあるのは日本語だとやっと気が付いた。こちらではまったく見る事がないから忘れていた。私は日本語と大陸語のバイリンガルということになるのだろうけれど、使う機会なんて生まれてこのかた一度もなかったから。
「なるほど」
それだけ言って、キャスティは顎に手を当てて考えこんだ。考えて、考えて、考えこんで──時間にして三分くらいだろうか。それくらいの時間が過ぎてから、顔を上げて「わかった」と言った。その間に私達は本を積み直し終わった。
「それではお邪魔しまし……!」
「まあ、まあ、そう言うな。お茶でも飲んでゆっくりしていきなよ」
と、キャスティは急に態度を変えてきたのだった。




