⑦
秘密のダンスを楽しんだあと、身体がほってってしまったので、夜の庭園に出た。
人気のないそこは、すっかり暗いが、ところどころにランプが灯され、幻想的な雰囲気を醸し出している。
薔薇園の前で、ハーヴェイは立ち止まった。
「主様。最後に、俺とゲームをしませんか」
「ん……?」
いつものように屈託なく、彼は微笑する。
「もしほの様が勝ったら、なんでも一つ、願いを叶えて差し上げます」
「なんでも?」
ところがその直後、いつもとは違った笑みを、彼は灯すように浮かべた。
「そのかわり。もし俺が勝ったら、一つだけ、お願いをきいていただきたいのです」
どこかほの暗い、黒薔薇のような笑みを――。
けれどわたしはそのとき高揚していて、深く気に留めはしなかった。
「うん。おもしろそうじゃない。やってみる」
事実、その笑みはすぐに、いつもの純白の笑顔に溶けてしまったのだから。
「それでは、ほの様。この大庭園のどこかに、隠れてください」
「今から十分後。十一時四十分になったら探しに行きます。屋敷の中央にかかった、あの大時計が十二時を打っても俺があなたを捕まえられなければ、ほの様の勝ちです」
「大々的なかくれんぼか」
よし。
「それでは、目を閉じていますね」
「負けないからね」
直後わたしは、薔薇園の茂みに姿をくらませていた。
二十分見つからなければいいわけか。
これだけ広い庭園だし、案外どうにかなっちゃうかもな。
むふふ、勝ったらハーヴェイになに頼もうかな。
肩揉みとか?
食事後の後片付けの手伝い?
はっとして立ち止まる。
考えたらぜんぶ、日頃からやってくれているじゃないか……!
だとしたら、なにを頼んだらいいんだ?
ふーむ。普段頼めないこととか、かなぁ……。
寂しい夜に、抱きしめてほしいとか?
あるいは……。
『主様。では、唇を失礼します――』
……うっ。
妄想で甘美な心地になってしまった自分にドン引いてしまい、その拍子に足がもたついた。
「わっ」
またしてもどてっと、派手に転んでしまう。
ううっ、ヒールは慣れないんだよなぁ……。
なんだか腕に変な感触がするような……。
「ぎゃっ」
棘のある、グロテスクな薔薇の蔦だった。
「……」
ふいに冷静になって考える。
薔薇園全体は綺麗に剪定されているのに。
ここだけ蔦が、地面を這ってる?
不自然だ。
単にここだけ、庭師さんの管理が届かなかっただけ……?
「ふっははは。相変わらず期待を裏切らない素直さだねぇ、主様?」
「……!」
声のした方を恐る恐る見ると、なんと。
「め、メイナード!」
しかも前髪下ろしてるヴァージョン!
服装はパーティー仕様に変わっている。
右側白、左側黒のデザイン性のあるジャケットに黒い星をちらしたズボンと彼らしく上品なスタイルだが。
今はワイルドヴァージョンになっているだけあって胸元がはだけ、せっかくのホワイトパープルの蝶ネクタイも崩れている。
「こんな見え見えの罠にひっかかってくれるなんて。しかけがいがあったってもんだな」
まさか。
メイナードが罠をしかけたなんて……!
ぐっと引き寄せられ、顎を持ち上げられる。
「あ? それとも、わざと俺のものになろうとしたのか?」
「そそ、そんなわけ……!」
心臓が早鐘のように打っている。
ああ、やめろ、答えるのも恥ずかしいような台詞吐くな……!
「まぁどっちだっていいや。ただ一つ言っとく」
彼はにやりと、肉食獣のように口元を歪めた。
「逃げられると思うなよ?」
ええっと、そうだ。こういうときは、前髪、前髪。
「メイナード、元の紳士バージョンに戻ってよ!」
ところが彼の額に伸ばした手は、あっけなく掴まれてしまう。
「おっと。二度も同じ手を食う気はねえな」
「うう……」
かわされた。
こうなったら説得するしかない。
「い、今忙しくて。ハーヴェイから逃げなくちゃ。かくれんぼ中なの。この花園で」
「ふーん」
ぎらついたその目が、獲物を見つけたように細まる。
「これは、いいこと聞いちまったな」
「え?」
やばい。なんかまずいこと言ったか?
「邪魔な虫はとっとと追い払わなきゃなぁ」
楽し気に言う姿に、嫌な予感がする。
「ちょっと」
ぐっと、メイナードは顔を近づけてくる。
「知ってる? 俺の魔力には植物を操るものもあるんだって」
「あ……」
そういえばたしか、そんな公式設定が。
「この庭も俺が管理してる。悪魔が侵入することもあるんでな」
アプリの設定上、執事たちは常に悪魔と戦っている。
悪魔とは、主様すなわちユーザーの不安、ストレスなどが外在化した存在である。
いやだけど。そう言うあんたが悪魔みたいな顔してるよ。
ひらりと、黒い指なし手袋に包まれた手を、メイナードはわたしの顔の前にかざした。
「この拳を一つ握れば、薔薇園中の棘がナイフの性能を帯びて、侵入者を八つ裂きにするってわけ」
さすがに、ぎょっとする。
「そんな。本気じゃないよね?」
今きっと、ハーヴェイはどこか、わたしを探して茂みの中に――。
「さぁどうだかな? 試してみるか?」
メイナードは残酷なほど綺麗な笑みを見せる。
さっと全身の血の気がひいて、わたしは彼に掴みかかった。
「やめて――!」
その、直後だった。
「うっ。なんだこれは! バラの棘……が……全身に。……まさかメイナードが……!」
悲鳴のような声が、この全身をも震わす。
「ハーヴェイ!」
とっさに、メイナードの腕をすり抜け、声の聞こえたほうに、ダッシュする。
「……いない」
やっぱり、茂みのどこかに捕らわれて――。
こうなったら。
「どこ? ハーヴェイ! 今行くから‼」
心臓が早鐘のように打って痛みを伴う。
泣きそうなほど、心配で仕方ない。
早く。
早く見つけないと……!
「ハーヴェイ……!」
ナイフの茂みに飛び込もうとした、手前で。
後ろから力強く、抱き留められた。
「捕まえましたよ、ほの様」
「え……?」
肩越しに見る彼はいたずらっぽく微笑んで指を口元にあてている。
「作戦勝ちです。傷ついた人を、ほの様は放っておけませんから」
「もう。バカ……」
ハーヴェイの白い燕尾服を何度も拳でぽかぽか叩く。
「ほんとに、死んじゃうかと思ったよ……!」
背中にそっと、手が添えられる。
「お許しください。ほの様にそんなふうに怒っていただきたくて。ついこんな手を使ってしまいました」
抱きしめられたまましばらく身を任せて――。
「あ。そうだ……」
こんな場合ではなかったことに気づく。
「メイナードが、またワイルドヴァージョンになっちゃってて……」
「ええ、知っています」
ハーヴェイはにこりと微笑んだ。
「え?」
「今頃自分のかけた術で、バラの棘の中、身動きがとれなくなっているでしょうね」
「え、え……?」
待って。てことは。
「あたしたちもそれ同じなんじゃ」
庭園は薔薇がぐるりと囲むように配置されている。
「ここから、出られないんじゃ……」
「……」
ふいに笑みを消し、真剣な眼差しで、紺の瞳が見つめてくる。
「少し、座れるところまでお運びしますね」
「ひっ」
抱き上げられて、庭の隅の東屋の中の椅子に下ろされる。
ハーヴェイはその前に跪いた。




