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第10章 執事と主様とオランジェット①

 休日の朝。

 一人で目覚めたことに、なんとなく違和を感じながら、わたしは身支度していた。

 いつもと変わらない部屋。髪をとかして着替えて歯を磨くルーティン。

 この、なんか足りない感じ、なんだろう。

 あ……と声を漏らしたのは、目覚めのココアを淹れたときだった。



『おはようございます。主様』



 今までハーヴェイがココアを淹れてくれていたのに。

「はぁ……」 

 梅ちゃんの一件がうまくいって気がぬけたのか、このところ物淋しくていけない。



 一人にして、なんて言っちゃって。

 悪かったな。

 あの一言を忠実に守るあたりが、憎いというかもどかしいというか。

 ハーヴェイはあれからずっと姿を見せていない。



 ため息をついて髪のてっぺんをいじっていたら、スマホがぴかっと光って。

 まさかと思って、ベッドの上のそれにかけよると、光は徐々に人型になった。



 現れたのは赤メッシュの入ったオレンジの髪とヘテクロミアの瞳。



「ほの様……」

「メイナード」



 ちょっぴり落胆してしまったのが申し訳なくて、肩を落とす。

 なるべく気持ちを隠そうとしたけれど、返って来たのはそれすらも察していそうな口調だった。

「やはり、元気がなさそうですね。……ハーヴェイさんもですよ」

「え?」

「こちらの世界で、寂しそうにしております」

「……」

 ぼすんと、ベッドに腰を落とした。

「ちょっと、酷い態度とっちゃったから」



 メイナードはふっとどこか達観したような笑みを浮かべると、失礼いたしますと、わたしの隣に腰を下ろす。

「ほの様。恐れながら進言いたしますとするならば――。わたくしはこう見えて、これまでの過去、感情を統制して生きてきたほうでして」

 そうなのか。

 意外だ。

「いつも感情を全身で体現しているのにね」

「フフフ。そうなったのはごく最近のことなのですよ。しかし、それは生まれ育った環境でいたしかたなかったことだと思っております。ただやはり所々は。少しだけ素直に、気持ちを口にしていたら、今が違っていたかもしれない。そう思う場面もございます」



 真摯な口調に、胸の中にある頑なな結び目がほどけていくような錯覚に陥る。

「ましてや主様はとても清らかな心の持ち主。先日梅様の件でも思い知りました。そんな主様の気持ちを表に出すことで、救われる人は少なくないのではないでしょうか」

 綻んだような大人な笑みに、ついほろりとくる。

「メイナード……」

 紳士で真摯な彼のおかげで。

 素直に言えた。



「あたし……ハーヴェイと仲直りしたい」

「それでこそ、主様でございますよ」

「メイナード。相談にのってくれる? どうやったらいいかな」

「無論。このメイナードがお力になります」



 あれ。

 そう言って胸に手をあてた笑みに――一瞬だけ影が差したように思えた。

「なんか、疲れてる?」

 笑顔も少しだけ、こわばっている気がする。

「……」

 頭の中で、『癒執事』の公式設定を思いだす。

 執事たちの暮らす屋敷でのメイナードの役割は音楽係。

 でもサブで会計やら設営、イベント事など、業務の種類は執事一多かった気がする。



「いえいえ、大丈夫です。仕事は私の趣味のようなものですし。ただそうですね。最近なぜか、今までなかったような心持になるのです」

 ん?

 静かな笑みを湛えて、メイナードは窓の向こうに視線を投げる。



「屋敷の緑を見上げて、木の葉の揺れを感じる時。小鳥たちが舞う青空を美しいと思う時。ふと胸を過るのです。心なしか少し、わびしいような、心地が、ですね」

 んん?

 腰に手をあてて、身体を傾け、斜めからわたしは彼を観察するように見た。

「それちょっとやばいんじゃない? メンタル不調っていうのはそういう何気ないところから来るんだよ」

 現代人あるあるだ。働き者の人ほど症状を自覚しづらく、それぐらいしか違和感を感じ取れないのだと思う。



「あたしやみんなのために一生懸命になってくれるのは嬉しいけど、ちゃんと休んでよ?」

「フフフ。美しく、ぬくもりのある主様のお言葉だけで、このメイナードは十分でございます」

 またそういうキザなことを言うが、かっこいい台詞で片付くことでもないんだけどな……。

「それでは主様。さっそく、恋のストラテジーを練るといたしましょうか」

「あ、うん……」



 言われて姿勢を正したものの、もじもじと手をすり合わせたせいでまた猫背になる。

「その。ちょっと考えてることがあって」

「ふむ?」

「今年のバレンタイン、バタバタしてて結局なんにもできなかったのもあるし。……話のきっかけとして、彼になにか甘いものでも渡そうかと……」

「おお、それはいい! 名案ですね」



 ぴんとメイナードは指先を天井に向かってつきたてる。

「甘いものは心をほころばせ、会話を促進させる効果がございます。ハーヴェイさんもきっと喜ばれますよ」

「ありがとう。メイナードにももちろん分けるからね」

 そう言うと、メイナードは思わせぶりに片方の眉を上げてみせた。

「ほの様? 本命はしかとその人のためだけにとっておきませんと」

「だ、だけど……」

「それに」

 ふいに疲れたような笑みが、メイナードの相好を過る。



「お気持ちはとても嬉しいのですが。じつはわたくしは、あまり食べ物自体、積極的に食せるほうではないのです」




 ……ん?

「どういうこと? 小食なの?」

「そうですね。というより、食べること自体があまり得意ではなく。普段は最低限の水とパンしかとらないのです」



 あんぐりと口を開けてしまう。

 食いしん坊としては信じられない。

「それはだめだよ! 倒れちゃうよ」

「いえ。単に体質的な問題というか。昔からのことですのでどうか、お気になさらないでください」

「そうか……」

 今どきアレルギーが酷い人もいるしな……。

 あんまり根掘り葉掘り聞くのも悪い、か。



「さて、話を戻しましょう。ハーヴェイさんはあれで、甘いものが大好きなんですよ」

「うんうん」

 そう。

 公式設定より、ハーヴェイは意外と甘いものが好きだ。

 特に好物なのはフロランタンにバームクーヘン。

 だが、作るとすると、どちらもハードル高い。



「お菓子作りなんて、ほぼやったことないもんな……」

「ふむ、なるほどなるほど」

 飲み下すように顎に手をあてて頷くと、メイナードは目を開けた。

「では主様、ここは視点を変えてみるのはいかがでしょう。相手の好みそうなものではなく、ほの様の得意分野に焦点をあててみるのです」

 ……ふーむ。

「でもそれだと、独りよがりの贈物になっちゃわないかな?」

 だが、そんな疑問にもメイナードは余裕そうに肩を広げてみせる。



「なんのなんの。自身の能力値を見極め、どの力をどのように使うのが効果的か考えるのは、セルフプロデュースのようで、実は相手から見た最高の自分を提供する、究極のサービス精神といえるのですよ」

「ほお、なるほどね……」

「ほの様のお得意なレシピの範囲で、ほの様のお力が存分に発揮でき、気持ちが十二分に伝わる。そんなレシピに挑戦するのです! 無論、準備の最中はほの様ご自身も存分にその魅力に酔いしれながら……。ああなんとも甘美なひとときになりそうでございます」

 ふむ。常に自分を演出していそうなメイナードが言うと説得力がある。



「そういうことなら……よし、決めた」

「おや。もう作るものをひらめかれたのですか?」

 お菓子作りが苦手なのが逆に功を奏した。

 まともにできるレシピが一つしかないのだ。

「オランジェット」

『癒執事』で執事たちが紹介してくれたレシピだ。

 輪切りにしたオレンジにチョコレートをコーティングしたもので、時間と手間さえ惜しまなければ案外ちゃんとおいしくできる。

 メイナードの顔がほころんだ。



「なんと、見た目にも麗しいお菓子ではありませんか。では善は急げです。いざ、スーパーへ参りましょう」

「おう!」



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