第9章 新執事と主様、恋を応援する①
数日後、珍しい夢を見た。
子どものころ、家族でかつて夢の国遊園地に行った夢だ。
多分楽しい夢だった。
だから余計、目が覚めると苦い気持ちになる。
事が起きたのは一日の執筆を終え、夕方一息ついたときだった。
机の上のスマホから着信音が響いて、画面を見る。
なんてタイミングだと思う。
母からだった。
「……」
『主様』
ふいに、切なげに見つめてくる紺色の瞳が浮かぶ。
スマホに伸ばした手の力が緩む。
――出ないって、約束した……。
次に浮かんできたのは、夕べの夢だった。
遊園地で、父と母と手をとりあった温度が、蘇ってくる――。
気がついたら、スマホの通話ボタンを押していた。
『ほの。ほのね。なんてことをしてくれたの』
毎度毎度聞いた、母の攻め立てる声が耳朶に触れる。
『あなたのおかげで、もう、お父さんは帰ってこないかもしれない』
『もう終わりよ』
『死んだ方がまし』
細い息が、口先から抜けていく。
――ああ。
――なんだろう。
そうだ。
あなたたちなんかいなくなってくれたほうがよほどいい。
頼むからもう、わたしの人生に立ち入らないでほしい。
そう何度、脳内で言い返したことか。
それなのにいざこうして、呪いの言葉をかけらえると、ただそれだけで、コブラに全身がからめとられたように、なにも、言えなくなって。
「大丈夫だよ、お母さん。お父さんの世話は、わたしが――」
手に持っていたスマホの感覚が消えた。
「主様のお母様ですか」
「……ハーヴェイ」
「もう今後一切、ほの様にご連絡は差し控えください。お父上にほのさまがお会いすることは今後はありません。それでは」
通話ボタンを切って、こちらに向きなおる。
彼の視線は、さすがに受けきれなかった。
「ほの様」
約束を破ったのに、決して怒ってはいない。けれど。
「お母様からの電話に、出られたのですか」
ただ、哀しそうな瞳から、そっと目を逸らす。
「ごめん……。どうしても、放っておけなくて」
ぼろぼろと、涙が溢れてくる。
ただ一心に自分を心配してくる眼差しを裏切ってしまった。
それほどまでにまだ自分が、淡い望みを捨てきれずにいることを知ってしまった。
そのことが、ショックだった。
「もしかしたらまたもとのように戻れるかもしれないと、思ってしまって……うっ」
嗚咽を噛み殺す背中を、そっと撫でる手の感触が、余計に涙を促進させる。
「幼い頃俺も、同じように思っていました」
「え……?」
そっと見上げるとどこか遠くを見るような瞳で、ハーヴェイは言う。
「ふしぎなものですね。子どもの心というのは。けんかが絶えない両親の仲が戻り、家族が機能する日が来るかもしれないと、そう信じていました」
「……」
「父がほかの女性のもとから母のところにもどって。母も心に健康を取り戻し。でもそう望むたびに打ち砕かれて」
ほの様、と呼ぶ声に、恐る恐る顔を上げる。
何度か口を開きかけては閉じ、ついにハーヴェイは言った。
「もう終わりにしませんか」
頭で考える前に、口が動いていた。
「そんなふうに、残酷なこと言わないで……」
椅子から立ち上がり拳を握って、力説していた。
「以前はあたしのこと、かわいがってくれたの。二人とも。それは偽物だったってこと? あたしは誰からも見向きもされてなかったの?」
「主様……」
「ごめん……」
彼に背を向けたまま、わたしは言った。
「今は一人にして」
「……わかりました」
音もなくスマホの中に消えていったのだろう。
振り返ったときすでに、彼の姿はなかった。




