④
わたしが認定こども園についたときにはすでに、主任に怒鳴り散らす父親の姿があった。
娘を出せ、ほんとうはいるんだろうとわめいている。
それを確認したとき、ほとんど反射的に叫んでいた。
「お父さん。あたしはここだよ……!」
ぎろりと、その目がこちらを捕らえると、ぶわっと汗が噴き出た。
おそらく、中で子どもたちは恐怖に縮こまっている。
止めなくちゃ、とそれだけを想う。
「ようやく来やがったか、できそこないが」
吐き出す父親の近くまで歩んでいき、言う。
「ごめんなさい、お父さん。あたしが悪いの。ぜんぶ」
「小熊先生……!」
なにか言いたげな主任に頭を下げて、発言を続けさせてもらう。
「お金なら毎月出す。お母さんに連絡だって取る」
口に出すたびなぜか、身体がぼろぼろと削られていくような感覚に陥る。
でも、やめられなかった。
「育ててもらったのに反抗したあたしが間違ってたの。家に戻ってもいい。言う通り、誰かと結婚してもいい。だからみんなを傷つけないで。もう、許して……」
そう言って、その顔色を窺う。
まだ息が乱れている。
「ふん。今更謝られたって遅いんだよ。ようやく顔見せやがって。今までが優しすぎたんだからな。たっぷりしつけてやるよ。今まで親に対してとった態度を忘れたんじゃねーだろうな」
脅すように顎を持ち上げられた。
「そんな……ことは」
「ったくつかえねー娘だな。金持ってくる男の一人もつかめねーで。この役立たずが」
それは幼い頃からずっと、言われ続けて来た言葉だ。
役立たず。
役立たず?
成人してからは“男の一人もつかめないだめな女”。
心の中の、かすかな声を、聴いた。
……違う。
主任の悲鳴が響いた。
顔を蹴られた拍子にキャンドルナイトのネックレスが宙を舞う。
よく眠れる石。
彼が、預けてくれた。
髪をつかんで引き寄せられる。
彼が教えてくれた豆知識で、すべすべになった髪。
抵抗しようと身をよじると、手をひねられた。
いつもココアで温める手も、すっかり冷えてかじかんでいる。
『素敵です』
『主様は優しい方です』
役立たずなんかじゃない。
あたしは、素敵な主様だ。
気づいたら、殴り続ける父親の腹部に抵抗の蹴りをいれていた。
自分でも驚いてまじまじとスニーカーを見つめると、おもしろくなかったのか父が顔をしかめた。
「ふん。本性出したな。言うこときくって、どうせこの場を収めるための造り話だろーが!」
「お父様、落ち着いてください、どうかもう乱暴は――」
たまりかねた主任がそう叫んだとき、がっと、向かってくる父親の醜い顔が貼り倒される。
「何を言っているんだお前は。そうに決まっているだろうが」
聞き覚えのある、澄んだ低い声。
いつの間にか、通常執事コスチュームに身を包んでいる。
「ハーヴェイ……?」
醜く晴れ上がった顔を抑えながら、父が燃えるような目つきで彼を見た。
「武器の調達に手間取り遅れました。主様、申し訳ありません」
「お前……どこのどいつだ」
「ほのさまの執事だ」
「ああ?」
「話を戻すが、さきほどの主さまの言葉は、お前の言う通り、この場を収めるための作り話だ。そのつもりでいてもらおう」
淡々とハーヴェイは言葉を並べていく。
「金はびた一文出さない。母上と連絡もとらない。今後ほのさまを傷つけることは、この俺が一切許さない。それで引き下がってもらう」
「お前、人様のことに口出すんじゃねーぞ!」
応戦の合図のように、父親が懐から光るものを取り出す。
ナイフだ。
冗談じゃなく、血の気がひく。
わたしを後ろにかくまい、ハーヴェイが凛々しく告げる。
「ほのさまは子どもたちとみなさんを安全なところへ」
「あ。うん……! ハーヴェイ、無理しないで」
裏口から、子どもたちと主任、ほかの先生たちを学校側へと全員避難させ、学校の先生たちに緊急事態を伝え、預けると、わたしはそっと子ども園側に戻った。
警察を呼んだことが、父親の怒りに火をつけるだろうことは予想していた。
これまでも何度か経験したことだった。
だが。
「……なんか、異臭がする」
焦げ臭いような。
そう思うのと、園の窓から爆炎が上がるのと同時だった。
まさか、あの父親がガソリンでも巻いたのか。
考えている時間ない。
園の中にはハーヴェイがいる……!
わたしは一も二もなく、中へ飛び込んだ。




