②
「……主様のご両親のことで恐縮ですが」
低く、怒りに満ちた声が響く。
「子どもに甘えたいだけ甘える、見下げ果てた連中ですね」
「……ん?」
「どうか、そんな方々のためにもうこれ以上、苦しまれませんよう」
「は、ハーヴェイ」
手を熱く握られ――なんか、予想してた反応と、違う?
「すみません。いくらなんでも不敬でしたね」
「いや、なんていうか」
窓から日差しが差し込んで、キャンドルナイトの石がその明かりを拾う。
「そこまではっきり言ってくれると、逆に潔いっていうか……」
嫌な感じはしない。
今まで親不孝だとか、両親なら助けろとか色々言われてきたからだろうか。
なんだか安心したら、次々に言葉が出てくる。
「もうね、嫌な想いしてほしいとか、不幸になってほしいとか、そういうのはないんだ。
ううん、ほんというと、思ったことはあったけど」
「今はただ……いなくなってほしい」
殴られる悪夢を見るたびに感じる、また殴られるかもしれない恐怖。
メッセージを送られるたびに、自分を貶めてしまうこと。
その習慣とともに、消えてほしいのだ。
切実に。
「はー……」
呆然と、天井を見つめる。
初めて、口に出してしまったらふしぎとすっきりした。
教会で罪を告解したような気分とでもいおうか。
「そう思ってしまう主様が悪魔だとしたら。俺も仲間の悪魔ですよ」
普段を変わらず優し気に、だがそのトーンに似合わない鋭い言葉を、ハーヴェイは発した。
「俺の両親も、似たようなものでしたから。幼い頃父親は母以外の女性と家を出て行き、母は育児を放棄していました」
「……え?」
「そんな状態でしたから、俺は家を出ることになって。孤児たちの施設で育ったんです」
「え? え? ちょっと待って」
そ、それはレア情報……!
公開されてないやつだ。
「でも、ハーヴェイは盗賊に殺された家族のために、復讐を……」
「皆殺しにされたのは、施設で家族のように育った仲間たちなんです」
「……な」
なんてことだ……。
「それは……つらいよね」
なんて、月並み以下の言葉だけど。
歯を食いしばっても、涙が浮かんでくる。
今までの彼の優しさの理由が、ひしひしと伝わってくる気がする。
「ファンはね、推しのそういうの見せられると泣いちゃうんだよ」
「ほの様?」
ハーヴェイのシャツのえりを、がしっと掴む。
強くいようとずっとがんばってがんばって。
なのにそんな彼に、世の中はずっと薄情で。
それでもがんばるけど。
ふとしたときに、どうしようもない痛みがさして。
抱きしめたくもなる。
襟を握ったこぶしがそっと包まれる。
「そう思ってくださるのだとしたら、ほのさまも、同じだからかもしれませんね」
「……え?」
「こんな状況なのに主様は、それを感じさせないほどあたたかくて。哀しみをさんざんぶつけられても、することは、誰かにまたぶつけることではなく、語り掛けることで。同じような状況の人に、この世はあたたかい場所もあるんだと、そっと指し示し続けて――」
「この世界に来てから、俺にしてくださったことも。オタク友達様にも。子どもたちにも。主様の小説にも、それがあふれていました」
そっと見上げると、まぶしいほどの光を宿した紺の瞳がある。
「向こうの世界から俺はずっと見ていたんです。主さまが周りの人々に手を差し伸べられて来たことを」
「……そんな……」
たいしたことはしてない、けど。
ふと、彼に包まれた拳が、和らぐ。
言われてみると、周りの大事な人たちは一人ぼっちにしたくないとは思っていたかもしれない。
「……!」
そう思い至ったとき、また新たなことに気が付いて、まじまじと、彼を見上げる。
ハーヴェイはアプリの執事キャラだからわたしを慕ってくれるんだと思ってた。
でも。
ほんとうのわたしを、こうして見てくれていた――?
スマホの電子音が、思考を遮る。
「ほの様」
「だいじょうぶ」
かけてきたのは、認定こども園の主任だった。
人手が足りなくて、お休みだけど出てきてほしいって連絡かなと、通話ボタンを押す――。
『小熊さん!』
名前を呼ぶ一声で、緊急時代を悟った。
それでも、次の主任の言葉はさすがに予測してなかった。
『今、子ども園にお父さんがいらしてて……』
『ほのさんを出せってきかなくて。少し、興奮されているようで』
そのとき、わたしの中は空洞になった。
見えるのは、子ども園の教室。
スマホからはかすかに怒鳴り声のようなものが聞こえる。
そう確認したとき、ただ一つの言葉が頭の中にこだまする。
「行か……なきゃ」
呆然と呟き、立ち上がる。
「あたしのせいで、子どもたちが……」
走り出す身体が、抱き留められる。
「いけません、主様」
耳元で、切実に、誰かがなにか言っている。
「よく聴いてください。今ほの様は完全にスイッチが入って、戻ってしまっています。家族の面倒ごとや後処理をすべて請け負っていた、かつてのほの様に。とにかく今は危険です。俺が行くので、どうか主様はここで」
その声が、入ってこない。
聴こえない。
そのことが余計に焦燥感に拍車をかける。
「離して。あたし、行かなきゃ……!」
「ほの様!」
気がついたら、とめてくる手を振り払い、身一つで、わたしは駆けだしていた。




