⑤
机に突っ伏した状態で目が覚めたのは、ラストオーダーも過ぎ、閉店間際の店内だった。
肩にはさっきまでハーヴェイが着ていた上着がかかってる。
瞼に違和感があるなと思って手をやったら、目にじんわり涙がにじんでいることに気づく。
泣いてる……?
やばっ。
酔って泣くとか失態だ。
あわてて見渡すと、席に人影はなく、店内のお客さん自体も帰り始める頃のようだ。
ほっと胸をなでおろしたその瞬間、
「わからねぇな。主」
声をかけられてぎょっとして振り向くと、たたみ席の壁際にボイスがもたれてあぐらをかいている。
「メイナードの野郎の呼び出しに応じてきた目的は酒だけだが、気になっちまったもんでな。余計な口出しと思ったら聞き流すも勝手だが」
この涙のことだろう。
あああ恥ずかしい。
なんて返したらいいかわからない。
「話聴いてるかぎり、なにが問題なのかね。お前今なんか不幸なのか?」
ハスキーな低声が、騒がしいはずの店内で妙にくっきり響く。
「ちがう……」
ぎゅっと、肩にかかったジャケットを握る。
好きになった人が異次元で。
すごく幸せなのに。
「なのになんで、頭の片隅から声がするんだろう……」
ボイスは黙って聞いている。
『なんでこいつはふつうじゃないんだ』
『ろくに育てられやしなかったわ』
「なんでふつうの男の人を好きになって結婚できないんだって。頭の中の、この声がっ」
とてもうるさい。
いつだってその声に反論している。
なにがわるいんだ。
彼はスマホに触れるたびいつも言葉をくれて。
ラインでひどい言葉をぶつけられることも。
急に既読無視されることもぜったいなくて。
現実に会えなくたってかまやしない。
心の中でにいて話せるし、自分を肯定してくれる。
そうなんにも問題なんかない。
ハーヴェイに出会えて、わたしは自分が好きになれた。
多分、そんなことをまとまりのない言葉で語ったんだと思う。
全部吐き出してしまうと、ボイスは肩をすくめる。
「やれやれだな」
そうして語りだした。
「ハーヴェイは、あいつはさいきん変わった。明るくなったっつーかな。まぁ、ぼけっと腑抜けることも多くなったが」
「だからこれはあいつにも言ったことだが。——主」
両手を頭の後ろで組んで、ボイスは静かに目を閉じる。
「お前の大事なもん、不用意に周りにさらすんじゃねーぞ」
唐突な言葉に、しばらく静止する。
「え……?」
「どこの世界だろうと、人と違うもんを持って堂々と立ってるやつを叩きたくなる人間つーのは一定数いるからな」
かすかに、眼帯に隠れていない片方の目が、開いた。
「そんなやつにはわかってもらおうと思うどころか、見せることすらしなきゃいい。大事なものは大事にしまっとくもんだろ」
ふわぁっとあくびを一つ、ボイスは大儀そうに片手を上げる。
「大事なもんを守るのに、誰かの許可なんかいらない。視線すら気に留めるなってことだ」
「ボイス……」
知らず笑みがこぼれる。
主は主のままでいい、なんて。
彼が実際に言ったわけじゃないけど。
とどのつまりはきっと、そう言ってくれてるんだなと思うと、ほっとした。
でもそれもつかの間だった。
メール着信を告げる音に、反射的にスマホを取り出して。
差出人を見て、ぞくりと身体に悪寒が走る。
嫌な予感は的中し、メッセージを目で追うごとに、震えがとまらない。
「主様」
「あ……」
気が付くと、お会計を済ませたのか、メイナードとともに帰ってきたハーヴェイが心配そうにのぞき込んでいる。
「顔色が悪いです。少し飲み過ぎましたか」
「う、うん……そうみたい」
「申し訳ありません、主様。わたくしがノンアルコールとアルコールを間違えなければ」
「メイナードのせいじゃないよ」
状況が状況なだけにどうにかごまかせたけど。
三人にアパートまで送ってもらう間も、不吉なメッセージが頭から離れなかった。




