プロローグ
東京都某所の格安アパート。深夜。
スマホ通話モードで恋話中である。
「それでさぁ、彼がねこをなでるように言ってくるわけ」
「うん、うん」
「でなでたらね、『なんだろうこのモヤモヤした気持ちは。微笑ましい光景のはずなのに』」
「きゃ~やばいやつ~、子ねこに嫉妬とかー」
「てなわけで間違いなく、彼は今あたしに恋しだしてるから、あともう一押しなの!」
「恋がうまくいくよう祈る。おやすみ」
「おやすみ~」
机の上に立て置いたスマホをタップして通話を切ると同時に、ふわぁぁぁと、大あくびが出る。
さて、寝る体制に入るか。
スマホをベッドの脇の電源につないで横になり、あるアプリを起動する。
『おやすみなさい、主様』
タップした画面から心地よい低声が響く。
漆黒ストレートの髪に紺色の瞳。
ミッドナイトブルーの燕尾服にピュアブラックのネクタイ。
襟の折り返しには、モーヴシルバーの蔦模様。
画面に頻繁に姿を現すイケメンキャラ。
普段真面目な彼がおやすみヘルプモードだと甘い声になるのがまたたまらん、と思う。
彼は人気アプリ『癒執事』のキャラクターだ。
総勢24人もの執事からお気に入りの執事を担当に選んで、日々のスケジュール管理やメンタル・体調管理などを手助けしてくれるケアアプリである。
癒しの声掛け機能、目覚まし機能、瞑想、お散歩機能など様々なツールとして役立てることができる。
『主様、今日もほんとうにお疲れ様でした。今はゆっくり疲れをとってください』
ゲームモードを選べば、執事たちが、主様——すなわちユーザーの自己否定、不安などが外在化した存在である悪魔たちから主様を守っていくストーリーを楽しむことも可能である。
『主様に出会えて、俺は……幸せです』
時々、キュンキュン要素あり。
キャラクターデザイン・設定などシミュレーションゲーム並みにかなり細かく凝っている。
「おやすみ……ハーヴェイ」
ハーヴェイ・クレスウェル。推し執事の名前である。
呟いたのと同時に、心地よい睡魔が全身を包み込む。
『時々考えます。主様の世界に行けたらいいなと……』
『そちらの世界でも、危険なことから主様をお守りできたら』
ほとんど意識も途切れかけていたが、習慣で画面に表示される、執事への返事の選択肢の一つをタップして、わたしは眠りについた。
『そうだね』
推しキャラに癒されながら眠る、日常の一コマ。
そのはず、だった。