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其処に草が生えている 緑之章—踏み潰す—  作者: 宮林 實
第一章『此処は何処』
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第一章『此処は何処』(3)

 入学式から二週間経った。入学式から始まり、一週間はオリエンテーション、健康診断、時間割を決めたりして、今週から通常授業が始まった。


 均は午前の授業を済ませ、食堂で昼ごはんを食べ、午後からの授業までの間は大学内のベンチに座って時間を潰していた。


 交流会から今まで、友達と呼べる人は大喜しかいなかった。

 明日は土曜日なので丸一日、大喜に東京を案内してもらうことになっていた。


 大喜は同じ学科だったが取っている講義はかなり違う。一緒なのは必修科目と火曜の午後からの講義だ。交流会で知り合った人たちは、大喜と共にいるときは均にも声をかけていたが、一人の時は気づいているのかいないのか、声をかける者はいなかった。


 別に、これでいいと思った。東京に来た目的を考えれば、この状況は均の望むような結果になっている筈だからだ。


 昔から憧れていた東京。確かに均は、東京にいる。しかし二週間経った今も全く実感として沸いてはこなかった。ただ都会な場所にいるというような感覚だった。


 頭の中にぼやぼやしたものを確かに持っているのに、そのぼやぼやから敢えて距離をとっているような感覚が、ある。


 ――いや、『ような』ではない。事実距離をとっている。


 大学内の自動販売機で買った、紙コップに入ったコーヒー啜る。

 風が頬を撫でてゆく。座っているベンチの後ろに植えてある桜の花びらがひらひらと地面に落ちていった。

 大学内の桜はもうほとんど葉桜にはなってはいるが、開花が少し遅かったのか花びらがまだ若干付いていた。


 自然とため息が零れた。脱力するかのように顔を下に向けると、コーヒーに自分の顔が映った。

 そこに映っていたのは、地元の田舎町に住んでいた自分そのものだった。


 変わりたい。なのに、どう変わればいいのかわからない。ぼやぼやとした何かがわからない限り、ずっとこのままのような気がする。


 ――いや、『わからない』ではない。実際は分かっている。

 外界へ出ることに躊躇し、結局何もできず、流れに身を任せている下らない自分。


 ――此処に来て、何を掴み取りたいんだ? 本当は気づいているんだろう?

 そんな自問自答に均は首を振る。


 コーヒーの中に桜の花びらが入る。表面に映る自分の顔ゆらゆらと揺れた。

 腕時計を見ると、そろそろ昼からの授業が始まる時間だった。桜の花びらを取ってコーヒーを飲み干し、次の授業が行われる教室に足を向けた。





 次の日、約束通り大喜に東京を案内してもらうことになっていた。

 名前をよく耳にしていたのは新宿と渋谷、お台場だったので、その三箇所に行くことになった。入学前は一人暮らしの準備でそれどころではなかったし、入学後は学校関連でバタバタしていたので、東京観光は全くしていなかった。均はかなり新鮮な気持ちで大喜の案内を聞いていた。

 新宿と渋谷、最後はお台場の予定だった。

 朝から回っていたので、夕方にお台場へ着いた時には結構疲れていた。


 複合型のショッピングモールで夜ご飯を食べてから、そろそろ帰るかという時、大喜の携帯電話が鳴った。

 長い話になりそうな雰囲気だったので、均は終わったら連絡してくれという目配せをし、建物から出ることにした。


 ご飯を食べている間に日が落ちたようで、東京の夜景が一望できた。

 均は眺めの良い場所に移動した。

 いつの日かテレビで見た景色のようだった。


 そして遠目ではあったが、唐突に見えたライトアップされた東京タワーに不意をつかれて暫し思考がとまった。

 遠くとも、橙色の光が存在を主張していた。均の中では東京のシンボルである東京タワー。


 そうだった。此処は東京なのだ。均は今、ずっと憧れていた東京にいる。


 駄目だ、思い出してしまう――そんな僅かな想いが頭を過ぎった。

 やはり、忘れることなんてできない。こんな存在感を持った建物がある限り、避けては通れないのかもしれない。


 東京にいるという実感が湧かなかったのは、四年前のあの出来事を思い出してはいけないと考えているからだ。ぼやぼやしたものから逃げるために、東京にいることを均自身が実感させなかったのだ。


 ゆっくり瞬きをする。

 だんだんと記憶が鮮明に蘇ってくる。

 四年前の出来事は思い出したくなかった。思い出すことで自分が無意味な存在だと実感してしまい、どうしようもなくなるからだ。

 しかしもう遅い。


 時間の感覚も忘れ、均は東京タワーないしは東京の風景を見ていた。その時既に、均は周りから聞こえてくる人の声は耳に入ってきていなかった。唐突に、そして鮮明に蘇ってくる記憶が頭の中を占めていく。もう四年前の記憶をシャットアウトすることはできなかった。


 と同時に、左手首につけている一粒一粒に、透明度の高い白や黒、赤、青、緑、黄、茶の七色が混じりあった数珠が光の反射で、きらりと輝いたが均は気づくことはなかった。


 逃げられない。そして逃げてはいけない。どうしたって均は“此処”を目指して、夢見てきたのだから――。




第一章『此処は何処』【完】

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