第三章『出会いは縁』(3)
東京の電車の料金表は異常だ。本当にこんな駅の数があるのかと疑いたくなる。
東京タワーに行こうとして、新宿で降りたところまではいいが、そこからの乗り継ぎが難しかった。
なにがなんだかわからず、まだ慣れない地下鉄の料金表と格闘していると、唐突に声をかけられた。驚いて振り向くと、そこには均と同い年くらいの少女がいた。
「貴方、まだ消してないの?」
なんの話だ、と問い掛けたかったが、目の前にいる少女の冷たい瞳に萎縮して言えなかった。
とりあえず曖昧に笑いかけてみた。頭の端で、これが都会の逆ナンなのか? と均は思った。だが再度同じ台詞を吐き、そして先程よりきつい言い方になったので完璧にそうではないと理解した。
そもそも均に逆ナンをしてくる女子などいるわけがなかった。
「……えーと、まだ消してないというかなんというか。……ははは」
恐る恐る曖昧に言葉を発すると、少女はあからさまに顔をしかめた。
「……だから私にも聴こえたのか」
ため息を吐きながらその少女は均に聴こえるか聴こえないかくらいの声で囁いた。
「……な、なんの話だよ?」
「惚けないで。貴方がさっさと対象を消さないから、私まで聴こえたんだよ」
睨まれる。均はわけが解らなかったが、その鋭い瞳から滲ませる“何か”に知らぬ間に少女を凝視していた。
「ついてきて」
有無を言わせない声色だった。でもその言葉から、じわりと“何か”が流れ出している。
もし少女が無理にとはいわないと言われても、均はついて行っていたかもしれない。なんとなく懐かしいような感覚がしたからだ。
少女は焦げ茶色でストレートの胸下くらいの髪、そして元の綺麗な顔を引き立たせる程度に薄化粧をしていた。近くで見ると、綺麗なのだがその中に可愛さも隠れている。しかし今の少女はどこまでも冷たく、前を向いて歩いているのに、どこを見ているのかわからなかった。
そこで均は気がついた。
少女の顔が優香の時たま見せる表情に酷似しているのだ。無意識に優香の表情と比べていたことに気がついた。だから懐かしかったのだ。
「ここらへんに住んでるの?」
少女が何者か知りたくて、世間話をするように少女に話し掛けてみた。少女は均の顔も見ず首を横に振って否定した。会話は終了だった。
時間は十八時を回っていた。
新宿の街は老若男女関係なく、たくさんの人が歩いていた。
煌びやかな街だった。皆が都会に行きたがる気持ちが解る。
暗闇を無くすように、街は光に包まれている。しかしその反面、寂しい街にも見えた。
均が東京で望んでいた世界に近い気がした。軽い親しみを持てども、一人一人に固執しない、そんな世界。
すると急に少女は冷たい目をさらに冷たくして、通り過ぎようとした道を睨みつけた。
均も何事かと思い少女が見ている方に視線を送った。
そこには一見すると仲が良さそうに身を寄せ合いながら歩いているカップルがいた。男性も女性も二十代後半に見えた。
「どうしたんだ? あのカップルがなんか――」
ついて来て、と言うのが先か、少女は均の腕を掴むとカップルを追いかけるように後をつけ始めた。
「貴方本当に聴こえないの?」
それは半分独り言で、腕を引っ張っていることよりも、もう二人を追うことに必死だった。
“聴こえる”とは何を言ってるのだろう。しかし疑問に思うよりも、どうして優香と重ねてしまうのか気になるところだった。
誰も寄せ付けない感じとか、だろうか――。それだけではないが――。
カップルは大通りを外れ、一歩中を入る。均たちも続くと、大通りとはまた違う独特な雰囲気に圧倒された。
そこはいろんな欲望が入り乱れる繁華街――ないしラブホテル街だった。
さすがに焦りが湧き上がってきたが、こんなところで少女の手を振りほどいたら、カップルがホテル街で惨めに喧嘩していると思われてしまうのではないか。
普通の店舗もそれなりにあるが、大通りより静かで、人通りも比較的少なかった。独特な雰囲気に呑まれつつある均は、変な動きはしたくなかった。
「お、おい! 放せよ! なんでこんなとこに来なきゃいけないんだよ!」
できるだけ声を小さくして言った。
「……ちょっと黙って」
ギロリ、と睨まれる。
これ以上の声も出すわけにもいかず、均は黙る。
カップルは一通りホテル街を周ると、ある一つのホテルに入っていった。リゾートホテルのような南国をコンセプトにしたホテルだった。
なぜ少女はあのカップルの後をつけているのだろうか。
三角関係? 否、ありえない。否、ありえなくはないかもしれない?
少女の瞳に映るものはなんなのだろうと、やはり優香の表情を思い出し重ねて見た。
少女はカップルが入ったホテルの前で立ち止まった。均も立ち止まり、ほっと息をついた。
「もう追いかけるのは無理だよ。諦めよう」
提案してみたが少女は、ばっとこちらを向いて上目で睨んできた。
「そうやっていつもこういう時逃げてるんでしょ。情けない男。私はそんなの許さない」
「そんなわけのわからないこと言ってる場合じゃないだろ! 傍から聞いたら絶対勘違いされるようなこと言ってるよ、君!」
まるで均が緊張して、毎回情けない結果になっているみたいに思われるではないか! と変な汗が出てきた。
自分はそんな根性なしじゃない!
「そんなことどうでもいいから」
そしてまた腕を強く掴まれると、そのホテルに足を踏み入れたのだった。