第三章『出会いは縁』(2)
岡本雪は新宿で友達三人と遊んでいた。
今流行りの服屋や可愛い雑貨店を見たり買い物をしたり、最近できた話題のカフェに入り、スイーツを食べながら話に花を咲かせていた。
「山手線怪談って知ってる?」
三人のうちの一人、通称ユーミがチョコケーキを頬張りながら言う。
「知ってる知ってる! 今話題の!」
通称ヤエが楽しそうに身を乗り出した。
山手線怪談なんて初めて耳にする。こういう巷の情報は、ユーミとヤエが詳しいのだ。
「山手線怪談って何?」
頭にはてなを浮かべるので、そんな雪に二人が呆れ顔になった。
「もーユッキーは話題に疎いねー」
「でも最近だよね。この話が出てきたのは」
そう言って、二人は目をきらきら輝かせる。
「山手線怪談ってのはね、山手線に乗り続けると、ある人に会える話」
「ある人?」
「その人に会うことによって、嫌だと思っていることや切ない気持ちとかつらい気持ちを忘れさせてくれるんだよ」
ユーミとヤエの話を聞いていると、山手線怪談とは、文字通り山手線に乗り、座席に座る所から始まるらしい。
立ったままだと現れないので必ず座る。そこから目を瞑り、ひたすら乗り続ける。どのくらい乗るのかは人によって違うらしいが、人の気配が一切なくなる感覚に陥る時があり、そこで目を開けると、車両内には全く人がいなくなっているが、自分の向かいの席に一人だけ座っている人がいる。
外の景色は青色の光に包まれていて、外の情景は見ることはできない。
向かいに座っている人は問いかける。
『忘れたいと思っている事はあるか?』
その問いに答え、後はその人が問いかけてきた事に全て了承すれば、現実世界に戻った時、嫌な事などを忘れているらしいのだった。
「実際見たって人に会ったことないくせに、なんでそんな信じられるの」
通称ミカリンが冷笑する。ミカリンは噂話が嫌いであった。
「あくまでも噂だけど……でも信じたいし……」
「みんな病んでるよね。自分に都合が良いように話作ってさ。ユッキー、こんな下らない話信じなくていいんだからね」
「うん。そんなの私も信じないし」
ユーミとヤエはがくっと肩を落とし、ミカリンはうんうんと満足げに頷く。
「でもさ、嫌な事を忘れさせてくれるなんてすごく良くない?」
「そうそう! 思い出したくもない記憶とおさらばできるんだよ!」
「あんたたちはそんなに忘れたい事がたくさんあるわけ?」
「あるある! いっぱいある!」
「バカ」
するとヤエの携帯が鳴った。途端ヤエの顔がぱっと明るくなり、携帯をひらいた。
「なにー? 彼氏ー?」
「うん! 彼氏からメールだよ」
「いいよねー、ヤエは年上の彼氏と順調だし、私も年上の彼氏ほしー」
ユーミは羨ましそうにヤエを見る。
「でも年上の彼氏ってたまに話合わないときあるよ」
「あーなるほど。価値観の違いってやつね」
「包容力はあるけどね。三人もさっさと彼氏つくりなよ」
「できないのよ! ザンネンナガラ」
ユーミは口を尖らせた。
「私はいらない。私に釣り合う男なんていないでしょ」
「そんな自信あるの女子の中でミカリンくらいよ」
「それで? ユッキーは?」
「え」
「え、じゃないよ! 前に告白された小笠くん、けっこーポイント高いよ!」
雪がなんて言えばいいのかわからず黙っていると、ミカリンが助け船を出してくれた。
「ユーミはしつこいよ。ポイント高いからって付き合うわけないでしょ」
「ううん! 私は付き合う!」
「……バカなユーミ」
「それくらい、小笠君は良い人ってことだよね!」
「ねー」とユーミとヤエは顔を見合わせた。
雪は所在無さげに視線を彷徨わせる。
一週間ほど前、隣のクラスの小笠尋に告白されたのだ。
高校二年生になってクラスは別になったが、一年の時はクラスが一緒で席が近くになることが多く、比較的よく喋っていた男子だった。
「……うん。小笠君は気さくだし、皆に人気者だし、気が利くし、なんで私に告白してきたのかわからないくらいだよ」
「そんなことないよ。ユッキーは可愛いんだから」
「自信持ちなよー」
「ユッキーが可愛いのは私も同意」
三人は雪を持ち上げてくれるが、雪は反対に気分が落ちてゆく。
「でも、いくら良い人だからって、好きでもない人と付き合っていいとは思えなくて……」
根本的な問題として、付き合うということは、お互い深く関わり合わなくてはならなくなる。雪にはある意味不可能な事なのだ。
雪はフォークを持っている手が止まる。
そう、一生不可能なのだ。
夕方になり、そろそろ帰ろうということで、四人は新宿で解散した。
雪は地下鉄に乗るため、切符売り場に向かう。
今日の話題に出た山手線怪談という話に則って、雪も山手線の電車に乗り込む想像をしてみる。よく考えれば、嫌な事を忘れさせてくれるのに怪談話というのは少し違う気がする。
この手の話には穴が幾つもあるものなのだろう。
もしその人に出会った時、雪が忘れさせてくれ、と言う事柄は一つだけだ。
それさえ忘れさせてくれたら普通の人生を歩めるのに、と思いながら雪は地下鉄に続く階段を下りる。
(でも、本当に?)
忘れた後の自分は、何が残るのだろう。なんの為に“此処”にいるのだろう。
切符売り場につき、切符を買おうとした時、斜め前にいた若い男性に目が止まる。大学生だろうか。
若い男性は料金表をひたすら見ていた。横顔から察するに、目的地までどう乗り継いだらいいのかわからないようだった。
(関係ないや。私はそんなお人好しじゃないし)
左手を少し上げて、路線を辿るように指を動かし料金表と格闘していた。若い男性がつけていた一粒一粒が透明度の高い白や黒、赤、青、緑、黄、茶の混じり合った数珠に何気なく目がいく。
変わった数珠だと思った。
しかしその瞬間、唐突に思考が途切れ“聴こえた”。
“この者に協力しろ”と。
そして、“異物を殺せ”と。
(嫌だ。また私は人を殺さなくてはいけなくなる――)
そんな想いとは裏腹に、雪は今までの自分が徐々に遠ざかり、“聴こえてくる声”を受け入れざるを得なかった。
否、受け入れる為に自分の感情を自ら沈ませた。