第三章『出会いは縁』(1)
「――おい! 均!」
はっと意識が戻ったように横を向けば、大喜が少し心配そうに均を見ていて我に返った。
今まで大喜に東京を案内してもらっていたのだ。最後に、お台場に連れて行ってもらい、大喜が長電話になりそうだったので、少し待つために東京を一望できる場所へ足を向けたのだ。東京タワーが見えるこの場所に来て、そして四年前を思い出したのだ。
「……ごめん。かなりぼーっとしてた。携帯見てなかったから探したよな? ごめん」
「すぐ見つけたからいいよ。それよりお前大丈夫か? 景色見るにしては険しい顔してたぞ」
「大丈夫だ。ちょっと昔のこと思い出してただけだから」
「……昔、ねぇ。女に振られた事とか?」
「そうだな。聞いてはっきりさせとけばよかった」
均は冗談を言うように笑うが、大喜は笑わなかった。
「はっきり振られたわけじゃないのか。歓迎会の時言ってた『今はそういうこと考えられない』って言った事と関係してるのか?」
大喜には言う必要がないから言わないが、そもそも均は優香への恋愛感情に気づいただけで、告白などしていない。
東京に来た事で、優香に対する想いから距離を取る為に、思い出さない為に、その言葉を言ったのだ。
「よく覚えてたな。皆は嘘だと思ってるだろうけど」
「どうだろう? 一応、均が帰った後、本当の事だろうっていうのは言っといたぞ。俺、そーゆーの判るタイプだからな」
前にも聞いた台詞だった。大喜はこちらを見るのをやめて、欄干に腕を置き、身体を預けながら景色に視線を向けた。
「もったいないなって話してたんだよ。お前、顔悪くないのにさ」
「……初めて言われたよ」
「お前と話したいっていう女子何人かいるんだぞ。知らないだろ?」
「知らない。嘘言うな」
「嘘じゃねえよ。お前が一人で誰とも関わろうとしないから、女子が絡みにいけないってよ」
「俺は別に女子と話したいわけじゃないし」
「そんな感じだから女子が来ないんだよ。男でも、俺みたいに底抜けに明るい奴じゃないと、お前とは絡みにくいからな」
自分で言うところが大喜らしいな思う。言い方も全く不自然さはなく、嫌みを言っている感じも少しもない。均を卑下して言っている訳でもなかった。
交流会の時の嘲笑が、まだ心に突き刺さっていた。でもそれは、皆を知ろうとしない均にも問題はあるのかもしれないのだ。
「……距離を取ってるとは思う」
「距離を取る必要ないじゃん。楽しまなきゃ損だろ?」
「…………」
「――だって、此処は東京だぜ? だから、そんな葬式みたいな顔するなよ。東京には希望が詰まってるんだからさ」
バシバシと背中を叩かれた。
「……そうだな」
ちらりと景色を見る。遠くに東京タワーが見えた。
*
次の日の日曜日、均は家でだらだら過ごしていて、いつの間にか夕方になっていた。
開け放たれたカーテンのせいで、西日が部屋を照らしている。全て橙色に染まる部屋が、今の均にはライトアップされた東京タワーを連想させた。
東京タワーを見て思い出した今、四年前をどうしてあんなにも思い出したくないと意地を張っていたのかと均自身不思議に思う程だった。東京に上京した時点で、四年前の事を思い出さないようにできる訳がないからだ。
手紙を貰った当初は何回も読み返した。数行程度の手紙を執着するように読んだ。
しかしそれは最初だけで、時間が経つにつれ、手紙を読む回数は少なくなった。
優香のことを引きずっているからこそ、手紙を読む勇気がなくなったのだ。
そしていつの間にか、机の引き出しの奥に仕舞っていた筈の手紙は無くなっていた。
無くなったが、探すことはしなかった。ちょうどいいと思った。そのまま優香の事を忘れようと決めた。
どうして優香はあんな手紙を書いたのだろう。
数珠も大切なものだと言っていたのに、何故均に渡したのだろう。数珠は瞬から貰ったものだと思っていた。
途中まで均を連れて行った理由も解らなかった。
おかしいとは思った。でもそれを人に話そうとは思わなかった。
あの一連の出来事を地元の人に話すことは、均にはできなかった。
優香は何を想っていたのか。最後に見せた悲しみの顔に一体何が隠されていたのか。
均には何もできない。手紙に書かれていた、『きっと私と関わったことを後悔する時がきます』という言葉は、優香に対して何もしてあげることができなかった後悔だ。
今は憧れの東京にいる嬉しさよりも、優香のことを思い出す材料にしかならないのかもしれない。
そもそも優香の事を気にしていなければ、数珠を肌身離さず持っているわけがない。矛盾だらけの行動に今更ながら気がつく。
結局均は、惨めな想いのまま東京に行きたくなかったのだ。心が引っかかっている状態で東京という、均の理想に踏み入れたくなかった。あんな悲しみに満ちた表情を浮かべていた優香の存在を、自分のエゴだけで消し去ろうとしたのだ。
純粋な憧れを抱いた均として、完璧な東京の世界にいたかったのだ。
『じゃあ岩崎君は、東京に何か在ったほうがいいの?』
昨日の景色が頭に浮かぶ。まだ均は東京にいない。昨日眺めた景色のように、心はまだ東京を眺めている。
優香は何も無いことを望んでいたのだ。
どうして優香はそんなことを思ったのか。そして何故東京に行ったのか。
均はいてもたってもいられなくなり、ベッドから起き上がる。最低限の荷物を持って家を出た。
何も解決しないと解っていても、東京にいるという実感が欲しかった。強烈に東京を訴えてくる建物――東京タワーへ行くことにした。