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第38話「ジェスター・ブレンダン:2」

正面玄関に回り込むには少々遠いらしく面倒だろうということで、勝手口から家に上がらせてもらった。

戸口を抜けると、鼻がとろけそうなほどに甘いにおいに満たされた。

クッキーが焼き上がったあとのような香ばしい香りだ。


広々としたキッチンの台には大きな布巾が敷かれ、その上には洗い終えた後らしき木のボウルや延し棒などが並べて置かれている。

ガラス張りの食器棚にはデザインの異なるティーカップやポットのセットがコレクションのようにいくつも並んでおり、あの老人がかなりの茶好きであることがうかがい知れた。


それに……こういったものには疎いが、調度品のどれをとっても価値の高いものを取り入れているであろうことは素人目にもわかる。

この邸宅の大きさやメイドを雇えるだけの余裕からしてもそんな気はしていたが、この老人はどうやら豊かな生活を送っているらしい。


目の前に垂れる長い髪は腰辺りで三つ編みに代わり、足元まで続くそれは、毛先で輪の形でまとめられている。

俺もそこそこ上背があるほうだと自負していたが、この老人は俺のさらに上を行くため、髪の長さだけでも俺の背丈に近いほどの長さがあるのではないかと思う。


振り子のように揺れる毛先の動きを眺めながらついて行くと、客間のような部屋に通された。

客間には"ヘルマン"と呼ばれていた初老の女性がいた。

ティーセットをティートロリーからテーブルへ移動させていたヘルマンは、老人と俺が現れると作業の手を止め、両の手を前に重ねて軽くお辞儀をし、間もなく作業を再開させた。

一つとして無駄のない動きに感心する。

恐らく雇われているのはこのメイドのみだろうが、これだけの広さのある邸宅にもかかわらず先ほど通ってきたキッチンも廊下も綺麗に清められているところからして、かなり能率の高い人物なのだろう。

愛想こそないが、どこか俺と似た空気をまとっているような気がして、少しだけ親近感が湧いた。


「さあ、遠慮せず座りなされ」


ヘルマンの動作に感心しつい見とれていた。

よっこらせ、とソファに腰かけながらにこやかに促され、勧められるままソファに腰を落とす。


ソファは少しひんやりとするが、暖炉には新しい薪が数本くべられ、空気を伝ってじんわりと暖気が漂ってくる。

花や鳥などが複雑に描かれたカーペットの上には、緩やかな曲線を描いたローテーブルと向かい合うようにして配置された布張りのソファ。

天井まで高さのある広々とした掃き出しの窓には重みのあるカーテンが引かれ、カーペットと似た細かな紋様のレース越しに、さっきまでいた庭が見える。

暖炉の上には火のついていない燭台が置かれ、その壁には大きな尾長の鳥が描かれた絵画が飾られている。


純白のフリルに彩られたヘルマンの腕がテーブルに伸ばされる。

かさりと軽やかな音とともに、プレーンクッキーがふんだんに盛られた平らなかごが置かれた。

ヘルマンはてきぱきとティーポットを手に取ると、俺に用意したカップに茶を注ぎながら説明した。


「先ほど焼き上がったばかりのクッキーですよ。粗熱はすでに取れてますけど、まだほんのり生ぬるいかもしれませんね」


「おお、今日はたくさん用意してくれたんじゃな。わし一人じゃとせいぜい二、三枚程度しか出してくれんというのに」


「先生はあればあるだけ召しあがるではありませんか。今日はお客様がいらしてますからたくさんご用意しましたけれど、日頃からティータイムのたびにこれほどお出ししていたら砂糖も小麦もあっという間に底をついてしまいますよ」


メイドに諫められても堪えた様子のない主人は、さてさてとかさついた両の手を擦り合わせ、用意された取り皿にクッキーを取り上げていく。

そんな主人にヘルマンは呆れたように「まったく」と嘆いていたが、俺の視線に気づくと顔をしかめた。

鋭い目つきに俺にも何か一言あるのかとつい身構える。

しかし、想像とは違い俺にかけられたのは「あなたはたくさん召し上がってくださいね」というぶっきらぼうながらも気遣いの込められた言葉だった。


「ヘルマンさん、ありがとう。お前さんもゆっくりしなされ」


「遠慮なく、そうさせていただきます」


それでは、と短く目礼すると、ヘルマンはティートロリーを押して下がった。


扉が閉まると、彼女を見送っていた老人は、そそくさとシュガーポットからスプーン山盛りに粉砂糖を掬い上げ、ざらざらと自分のティーカップに落としていく。


「冷めんうちにいただくとしよう。おぬしも遠慮は無用じゃ」


あふれそうなカップを摘まみ上げ、ふうと湯気を吹き飛ばすと、カップを傾け、ず……とすすった。

ヘルマンがたしなめていた理由がよくわかる。

あれだけの量を入れてしまっては、恐らく砂糖の味しかしないだろう。


老人がうまそうに飲む茶の味を想像し鳥肌が立ちかける。

俺がそんなことを考えていると知ってか知らずか、当の本人は暢気にクッキーにありついている。


せっかく用意されたものだ。遠慮なくいただくとしよう。

湯気を飛ばしカップの茶に口をつける。

ほんのりと爽やかな柑橘のような風味が広がる。

紅茶特有のえぐみがなく、すっきりとした口当たり。俺はこのままでも十分うまい。


「そういえば、自己紹介がまだじゃったの」


四枚目のクッキーに手を伸ばしていたエイドラムは、屈めていた腰を伸ばし、両のこぶしを膝に乗せた。

改まった様子に俺も手にしていたカップをソーサーに置く。


「わしはエイドラム。ここらじゃちとばかり名の知れた老いぼれの魔法使いじゃ」


「魔法使い……だと?」


俺の疑念を見越したように、この老人――エイドラムは続ける。


「おぬしのことはさっき"見させて"もろうた」


そのとき、老人の開いているのか閉じているのかわからないほどに細い目が、しっかりと開眼し、白い瞳が現れた。

くっきりと見開かれたその目の中心には、切り込みを入れたように細長い瞳孔。

明らかに、俺と同じ人間ではないということは理解できた。


驚きのあまり見つめることしかできない。

そんな俺の目を静かに見つめ返すその白い目の奥が、文字通り光りはじめる。

蛍光灯ように淡い光だったそれがまばゆいほどの輝きに変わったとき、エイドラムは読み上げるように淡々と言葉を並べ始めた。


「ジェスター・ブレンダン。よわい二十八。家族は母親と歳の近い弟のみで、離れて暮らしている。

甘いものはあまり得意ではない」


「どうしてそれを……」


「システムとやらを開発する仕事をしておったようじゃな。残念ながら、この世界にはない技術じゃから、それがどういったものなのかはさっぱりじゃのう」


エイドラムの目の奥の光が収束してゆき、ふたたび現れた白い眼は、豊かな眉が降りてきたことにより間もなく隠れてしまった。

唖然としたまま言葉が出てこない俺に、エイドラムは申し訳なさそうに眉を下げた。


「ずいぶんショックを受けておるようじゃな」


「いや……問題ない。少し驚いただけだ」


確かに、多少なりともショックは受けている。

存在しないと固く信じていたはずのものを、目の当たりにしたのだ。

だがそれ以上に、俺のなかは未知なるものへの高揚感で沸き立っていた。


「お前さんの性格上、実際にその目で見たものしか信じられんじゃろう。そちらの世界には魔法が存在せん以上、その目で確かめてもらう必要があったのじゃ。この世界のことを語るうえで魔法の存在は欠かせんからのう」


「……もっと見たい。ほかにはどんなことができる?」


好奇心からつい要望を思うままに口にしてしまった俺に、老人は可笑しそうに吹き出した。


「ジェスターよ。もっと堅物かと思っておったが、意外と柔軟な男じゃな。気に入ったわい」



第38話「ジェスター・ブレンダン:2」 終

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