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第1話「大魔法使いエイドラム邸にて」

 魔法界エテルナグロウ。

 魔法街フェルナヴァーレン、大魔法使いエイドラム邸。


ーーー


 一昨年の秋、私はこの家の主である大魔法使いエイドラムの元で目覚めた。

 エイドラム様もとい師匠の話によると、どうやら知り合いの魔法使いが私を抱えて突然師匠の元を訪れ、私の身柄を預けていったのだそうだ。

 本名は彼にもわからないそうだが、その魔法使いは"亡霊スペクター"と名乗っている男性らしい。

 それっきりスペクターからは何の音沙汰もなく、以来、こうして師匠の元で厄介になっている。


 私はというと、ここで目覚める以前はどこにいたのか、どうしていたのか、自分の名前や言語、この世界に関することなど一切の記憶がない。

 言語については、言葉が理解できるようになる魔法を師匠がかけてくれた。

 目覚めた私は、しきりに何か話しかけてくる彼の言葉がわからず困惑していた。

 どうにか伝わらないかと「言葉がわからない」と言葉にしながら身振り手振りで伝えてみたところ、それで察してくれたらしい。

 彼は訝しみつつも私の額に手をかざした。

 彼の手のひらから発された淡い光が私の額にほんわりとした熱を伝わせただけだったが、その光のおかげで互いの言葉が理解できるようになった。

 どういう原理なのかは未だにまったくわからない。


 けれど、師匠がどれほど優秀な魔法使いなのかは今となっては私にも理解できる。

 詠唱もせずに魔法が行使できる人なんて、この世界にもそうそういないからだ。


 そして、もう一つわかったことがある。

 それは、この世界“エテルナグロウ”が、どうやら私の元いた場所とは異なる世界かもしれない、ということだ。

 というのも、師匠曰く、私が話していた言語がこの世界の共通言語である”エテルナ語”ではなかったからだ。

 過去の記憶がない以上確信は持てない。

 けれど、私がこうしてしたためている日記の文字と、ぎっしりと本棚を埋め尽くす魔術書の文字が異なることが、それを裏付ける根拠になりうるかもしれない。


 いつだか師匠に私の記憶を復元できないか相談してみたが、原因がわからない以上は彼にもどうしようもないと至極申し訳なさそうに返ってきた。

 少し落胆はしたが、頼む前から彼の返答は何となく予想できた。

 もし記憶の復元が可能なら、師匠なら目覚めたそのときに対処してくれていたはずだからだ。

 記憶がなくても、師匠が無期限で匿ってくれている以上、生きていくうえでの不足はないだろう。

 そこはあまり心配していない。


 けれどその一方で、そこはかとなく感じている。

 この安寧に満ちた生活は、いつまでも続けていけるものではないのだと。

 いつかは必ず、失われた記憶を取り戻さなくてはならないのだと。


ーーー


 羽ペンをペンスタンドに立て、インクが渇くころに日記を閉ざした。

 固い木の椅子の座り心地には慣れたが、この曲線のない簡素な背もたれでは、長らく座ることにまだ堪えがたい。

 伸びをしながら立ち上がり、気分転換に出窓を大きく開け放つと、晩秋の風がしんと冷気をまといながら吹き込んできた。

 すうっと肌を滑る風は服越しでも肌を冷やすほど冷たいが、私はこの季節の風が大好きだ。

 この街で暮らし始めた頃のことを思い出すからだ。


 師匠の元でお世話になり始めたころは、ただ間借りをするのも申し訳なくて、家事をしたり食事の用意をしたりと身の周りの世話を申し出てしていたが、それらは魔法で事足りるからとすぐにさせてもらえなくなった。

 その代わりにと、師匠は彼の持てる魔法の知識を可能な限り私に詰め込んだ。

 火や氷などの元素魔法、魔法動物、精霊、魔具についてなど、ありとあらゆる知識を。

 そのなかでもとりわけ私を魅了したのは、魔具……すなわち、魔法道具についてだ。


 この世界にとって自分がイレギュラーな存在なのではないかと推察したときから何となく予感はしていたが、私は魔法を使うことができない。

 ならば、せっかく魔法に関する知識を使えたところで意味がないのではないか。

 しかし、落胆する私に師匠は「安心しなさい」と微笑んだ。

 魔具であれば道具そのものにまじないが込められているため、私のように魔法の素養がないものでも使えるのだと、師匠は丁寧に教えてくれた。

 この世界には生まれながらにして魔法が使えない人もいれば、人によって魔法の特性が異なる場合もあるらしく、そういった不足を補うためにも魔具は欠かせないものなのだという。


 魔具について学びを深めることで、私でも疑似的に魔法が使えるようになる。

 何とも魅力的な響きだった。

 私は無我夢中で魔具に関する知識を蓄え、やがて自分で生成できるまでになった。

 魔法薬、呪符、魔楽器。

 作った魔具は、魔具屋に卸してお金に換え、その売上金でまた魔具を作る。そんな日々が続いていた。

 私の没頭ぶりには師匠も随分驚いていたが、今の私には夢中になれるものがこれしかなかったともいえる。

 そうして過ごしていたあるときのこと。

 私は師匠の勧めで正魔法使いとなるべく試験を受けるに至った。


「アネリ。ちょっとこちらへ来なさい」


 間延びした師匠の声が階下から届く。

 "アネリ"というのは、自分の名を思い出せないという私のために師匠が名付けてくれた名だ。

 フルネームは"アネリーネ・フランコ"ということになっている。

 ころんとした響きで結構気に入っている。


 はい、と応える声は少し強張っていたと思う。

 気を引き締め、急ぎ足で階段を下りる。


 今日は正魔法使い認定試験の最終日。

 第一関門の筆記試験を突破しこの最終試験の通知を受け取った時点で、もはや受かったも同然だと言われている。

 というのも、最終試験はサザーラル大聖堂の地下に鎮座する水瓶に聖水を注ぐだけだからだ。

 都合よく解釈すれば簡単なことのように思えるだろう。

 けれど、よくよく概要を確認すれば、言葉にするほど単純にこと済むとは思えない。

 サザーラル大聖堂の地下は松明の明かりのみが頼りなほど仄暗く、最終試験の参加者を除いては一日一回深夜に見回りの者が訪れるくらいだという。

 つまりは、人気のない暗い地下をたった一人で水瓶の元まで向かわなければならないのだ。

 しかも、持ち込めるものは水瓶に注ぐための聖水が入った水差しのみ。

 向かった先で何かあったとしても、私にできるのはせいぜい水差しを振り回すことくらいだろう。


 "万が一"を想像し、身震いする。

 ……ううん、こんなことで怖気づいてなんていられない。

 この試験のためにどれだけ勉強してきたことか。

 一呼吸置き、師匠の待つリビングの扉に手を掛けたときだった。


 "大聖堂の地下へ行ってはならない"


 突然、頭のなかに聞き覚えのない声がこだました。

 男性……だろうか。淡々とした少し堅い声だったが、どこか焦燥感をまとって聞こえた。

 立ち止まり耳をそばだてるが、再度声が聞こえることはなく。

 時折吹く新涼の風が窓を叩く音が聞こえるのみ。


 きっと気のせいだろう。

 そう思うことにして、今度こそドアノブを捻った。


「ずいぶん緊張しておるようじゃな、アネリ」


 私の顔を見るなり、師匠は豊かな白い顎髭を摘まむようになでながら、ふうむ、と唸った。

 その仕草をするときは、大抵少しからかう調子が含まれていることを知っている私は、少しむっとしながら小さくため息をこぼした。


「そりゃあ、緊張もしますよ。薄暗い大聖堂の地下に付き添いもなくたった一人で向かうなんて。街外れの幽霊屋敷スプーキーマンションに肝試しに行くようなものじゃないですか」


 幽霊屋敷スプーキーマンションとは、フェルナヴァーレン街の外れにある古びた廃墟の屋敷のことだ。

 一度だけ屋敷の前を通りかかったことがあるが、その日は一日晴れの予報だったにもかかわらず、屋敷のそばに差し掛かった途端天候が傾き、曇天になったのを覚えている。

 そのときは単なる偶然だと思ったが、聞けば屋敷の前を通りかかった誰もが同様の体験をしているそうだ。

 天気が突然傾くと「誰かが幽霊屋敷スプーキーマンションの前を通った」と形容されるほど、有名な噂らしい。

 そして、今回の試験で訪れることとなるサザーラル大聖堂の地下もまた、幽霊屋敷スプーキーマンションと同等の怖さを誇ると噂される。

 私はこれから、そんな場所に一人で挑まないといけないのだ。


「まあ、そう言うでない。イルヴァシオンの総本山たるサザーラル大聖堂じゃ。聖堂騎士が昼夜問わず警備体制を整えておるし、何より聖獣と聖魔法によって守られておる。要塞よりも堅固な守りだと言えよう」


 師匠の絶対的な言い分にいつもの私なら安堵していたことだろう。

 けれど、私はどうしても不安がぬぐえなかった。先ほどの声が、まだ耳に張り付いて離れない。

 あれは、ただの空耳だったのだろうか。 


「ですが、師匠……」


 玄関のドアノッカーが打ち鳴らされたのは、私が懸念を口にしかけたときだった。

 ついに、大聖堂からの迎えが来たようだ。

 師匠に背中を支えられながら、緊張した面持ちで戸口へと向かう。


 戸口には私とそう変わらないくらいの年頃の若い女性が待っていた。

 きっと私に配慮してだろう。これがいかつい鎧をまとったいかにも豪傑そうな聖堂騎士だったなら、もっと緊張していたに違いない。


「サザーラル大聖堂のマール・フレーメルです。本日、正魔法使い認定試験の最終試験をお受けになられるアネリーネ・フランコ様のお迎えに参上いたしました」


 マールは鈴が鳴るようなおっとりとした物言いで、にこやかに微笑んだ。

 少しだけほっとして、師匠を振り見る。


「おぬしなら大丈夫じゃ。今晩は、ヘルマンさんにお祝いのご馳走を用意させようかのう」


 ヘルマンさんとは、師匠の邸宅のお手伝いさんだ。

 師匠がフェルナヴァーレンに家を構えてからずっとここで働いているそうで、かれこれ数十年の付き合いがあるのだとか。

 少々口うるさいところがあり初めのころは取っつきにくい人だと思っていたが、師匠のだらしなさや付き合いの長さがそういった物言いにさせるだけのようで、私には気さくで優しい人だ。


「もう、気が早いですよ、師匠」


 まだ合格と決まったわけじゃないんですから。

 茶化す私に師匠は、ほっほっほ、と愉快そうに目尻を下げ、それにつられるようにマールもくすくすと笑った。


「では、そろそろ参りましょう」


 マールの穏やかな声に、深く頷く。


「では、行ってまいります」


「健闘を祈っておる」


 和やかな空気と師匠の朗らかなエールに勇気づけられ、戸口から踏み出した。

 秋枯れの葉の香ばしい香りの混じるひんやりとした空気をまといながら、高台にそびえるサザーラル大聖堂を目指して。



第1話「大魔法使いエイドラム邸にて」 終

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